『正しさ』
今更ですけど、過去編ですね。
追記しますと、多分これで人区切りがつくと思います。もしくは次話で〆だと思いますよ。
振り落とされる剛腕は極限にまで洗練されており、それこそ容易く強靭な龍鱗さえも貫いてしまいそうだった。
「――ッッ!」
「――――」
その殴打に、回避する暇さえなく盛大に吹き飛ぶ。
もはや、自らの命運は風前の灯。
少女が誤って踏んでしまったのは、眠れる獅子のその尾。
それを盛大に踏んづけたのだ。
青年の手により既に死傷者は最小限に留められているが、それでも0ではない。
故に、義憤に身を焦がした青年から生きて帰れる筈もなく。
だからこそ、せめてもと強がりに少女は頬を苦痛でゆがめながら、声を荒げ獣のように問いかけるy。
「どうして、ニンゲン如きに肩入れするのかしら?」
「――。……如き?」
「ええ。あなたも、人間の愚昧さを、醜悪さを脆弱さをこれ以上にないくらい理解しているでしょ?」
「……否定はしないよ」
「――?」
思いもよらない素直な返答に目を丸くする少女。
そんな少女へ、青年はどこか物悲しい雰囲気を漂わせながら、嘆息する。
「君の言葉を否定する心算はない」
「――――」
「人間は度し難い程に醜く、浅ましい。そういう生物だ」
「な、ならどうして……」
そこまで、そこまで理解しているのに。
それなのに、そんな醜悪な存在と何故肩を並べ、誇らしげにしていられるのだろうかと心底不思議になる。
あるいは、化け物でも垣間見た心境だったのか。
いずれしろ、当時の少女には理解できない理念であった。
青年は当惑する少女を一瞥しながら、さも誇示するかのようにそのうなじに鮮烈な翼を広げていく。
「――だが、それでも『龍』に匹敵する誇りが有る」
「――ッ」
そう断言する青年の龍翼は、どこまでも痛烈で、思わず見惚れてしまう程であった。
一目惚れにも近い心境な少女につゆしらず、青年は声を張る。
「――疑うんだよ」
「――――」
「僕たちは、常にどうしようもない固定概念に囚われている。そこから一歩踏み出すことは並大抵ではないよ」
「――っ」
青年は、「僕にも、君みたいな時期があったよ」と微苦笑しつつ、そっと目を細める。
「これから生きていくのなら、常に自分の常識を疑った方がいい。それが本当に正しいのか、明確な答えを抱くべきだよ」
「……これからって」
その口振りでは、まるで――、
「――。ああ、勘違いしていたようだけど、僕が君にこれ以上危害を加えることはないよ。できるなら、僕と同じ理念を抱く子が生まれるといいからね」
「――――」
「――ただし」
その、思いもよらない展開に唖然とする少女へと、すっと青年は鋭く目を細めながら、強かに断言する。
「――これから、ニンゲンは襲わないこと。別に、それが正当防衛なら良い。だけど、自分から進んで殺害することは、禁止させてもらうよ」
「なっ……」
冗談ではない。
愚昧なるニンゲンをこの世界から滅ぼし尽くすことこそ龍種の悲願であり、それを今更曲げるだなんて――、
「――選べ。生きるか、死ぬか」
「――――」
――だが、結局のところ少女に選択肢なんてあってないようなモノだった。
十中八九、『誓約』を結んでしまえば、二度と自分はニンゲンを害することができなくなってしまうだろう。
だが――それを拒絶すれば、どうなる?
この青年と少女との間に生じる隔絶した実力差は自明の理。
それを覆すことなんて――到底不可能。
これだけの実力差であるともはや逃亡など以ての外であり、そもそも龍としての矜持――意地が、それを許しやしない。
ならば――、
「……私が、悪かった」
「――。そうかい」
そう、少女――セフィールは屈辱に顔を真っ赤にしながら、頭を下げ許しを請うたのである。
「ふむ。流石売女。恥も外聞もない」
「止めて! ママのライフはもうゼロよ!」
事の顛末を聞き終えた沙織さんの第一声がそれであった。
確かに、自分でもこれはちょっとどうなのかなあ……と思っていたりもするが、それを明言されると猛烈な羞恥心が襲い掛かる。
悶絶するセフィールを冷めた眼差しで見下ろす沙織さんであった。
「……それで、続きは?」
「……話さなきゃ、ダメ?」
「お願い、お母さん」
上目遣い&瞳うるうる攻撃!
必然、その猛攻に娘大好きであるママが抗うこともできずに、「ぐふっ」とちょっと気持ち悪く喘いでいらっしゃる。
もはや、龍としての威厳は皆無であった。
(……どうしてこうなったのだ)
だいたいメイルさんの仕業である。
そんな肝心なことをまるっきりスルーしながら、続きを促すメイルであった。
「……それからは、正直目も当てられなかったわ。ひたすら、あの男が言う常識を疑えっていう言葉の意味が分からず悶々として、それを発散するように修練に勤しむ日々よ。どうせ、宿敵のニンゲンは滅ぼせないのにね」
「いよっ、無駄な女っ」
「沙織はちょっと黙っているのだ」
いつになく毒を吐く普段温厚かつ天真爛漫な沙織さん。
その最もたる要因は富士山レベルの双丘であるのだが……それを知ってかしらずか、セフィールさん、更に胸を張る。
もちろん、早々に堪忍袋の緒が切れる沙織さんであった。
そんな怒れる沙織をチョップでなんとか正気に戻しつつ、視線で続きを促した。
「――私は、『正しさ』が何なのか全く理解できなかった。当然わよね。なにせ、ずっと肯定概念に縛られていたんだから」
そう自嘲するセフィール。
彼女は「ホント、若気の至りだったわ」と嘆息しつつ、その筋書きの続きを語る。
「それから、ずっと私は苦悩してたの。『正しさ』とはなんだってね。でも、結局答えが分からないまま」
「――――」
「このままじゃあどこにも勧めない気がする。私はそんな焦燥感に苛まれ、ずっと葛藤してきたのよ」
「……それは、少し分かるのだ」
「あら。ありがとね」
「――――」
戦士として色々と思うことがあるのか、どこか感慨深げに共感を示すメイルに嫣然と微笑むセフィール。
「それでね、もう自分でも自分が分からなくって――気が付いたら、あの男に元に辿り着いていた。不思議わよね。あれほど忌み嫌っていたあの男が、私の助け舟になるなんて」
「……中々に皮肉なお話だね」
「ええ。自分でもそう思うわ」
きっと、その難題を投げかけた彼ながら、納得のいく正答を答えてくれる筈だと、そう思ったのかもしれないわねえと嘆息する。
「――でも、違った。あの男は、そんなに優しくは無かった。……いや、ある意味あれも優しさかしらね」
「……どういう意味なのだ?」
「あの男は、私が『正しさ』に葛藤していることを知って、笑ったのよ。当時はそれはもうキレてたわ」
きっと、それは自分の下らない声音がしっかりとセフィールに響いていることに安堵したからだろうねと、そう補足する。
「それからは、劇的だったわ。あの男は私に答えを提示するばかりか、あまつさえニンゲンたちがひしめくあの街に住めと、そう助言したのよねえ」
「――――」
「当然、私も猛反対。でも、あの男曰くそれが『正しさ』に至るまでの最短ルートだと、そう告げたのよねえ」
「――――」
抗える筈がなかった。
ようやく掴み取ったその光明に、地獄に垂れた蜘蛛の糸に縋りつくように恋焦がれてしまうのは自明の理。
「そうして、私とニンゲンとの共同生活が行われたわ」
「――――」
「でも、当然よね。ニンゲンと価値観が大いに異なる私と、彼らが分かり合える筈もなく、度々衝突してばっかりだったわ」
「――――」
「でもね、次第に私も慣れて、ある程度はニンゲンたちといつのまにか分かり合えるようになっていたの。不思議よねえ。あれほど忌み嫌っていたニンゲンを、私が胸を張って友人なんて明言できるだなんて」
「――――」
きっと、それに至るまで数えきれない葛藤がセフィールを苛んだのだろう。
たった一言で済まされたその事実に、一体どれだけの激情が息をひそめていただろうか。
だが、彼女はそれを乗り越え、今こうして笑い合えているのなら、
「……流石、酸いも甘いも嚙み分けた大人」
そう、渋々ながらも評価を改める沙織であった。




