涙
たまには、シリアスをどうぞ。
そして――戦場に静寂が訪れた。
「――――」
メイルは、その華奢な細身をそれこそ洪水のような鮮血により深紅に染め上げ、不意に力なく倒れ伏す。
「メイルっ!」
「―――――」
沙織はついに血液要領に限界を迎え、失血死寸前なメイルへ、『聖典』をかけることにより無傷同然へ治癒した。
己を覆う陽光に意識が暗転していたメイルもようやく復帰したようだ。
「……て、天使?」
「ちょ、何言ってるのメイル! というか、絶対そんな余裕ないでしょ!」
「こんな美少女に看病されながら永眠するのも、中々……」
「縁起でもないこと言わない!」
メイルさん、ここぞという時にボケキャラに回っていらっしゃる。
そんなメイルに苦笑しながらも、沙織はちらりと白煙が立ち上る地点を一瞥する。
「――――」
「ふむ……」
そこには、満身創痍という形容さえも生温い程に完膚無きままに叩きのめされたセフィールの姿が。
沙織の視線でそれを察したメイルは、
「だ、誰がこんな酷いことを……!?」
そう、さも殺人事件に遭遇してしまった一般人Aのような、年相応の仕草で目を剥き、心底畏怖して――、
「メイルだよ! 犯人は他でもないメイルだよ!」
「メモリにはございませーん」
「くっ……!」
うざい。
それはもう、あの温厚な沙織でさえ額に青筋が浮かんでしまう程にうざったい。
一皮剥けたというか、正直になったというか……。
とりあえず、一言。
「メイル。――貴女、とってもアキラに似てるよ!」
メイルさんがかつてない程に傷心したのは言うまでもない。
色んな意味でこの子アキラに似てきたな……と苦笑しながらも、沙織は嘆息しながらようやく向き直る。
だが、メイルは先刻まで宿っていた天真爛漫な雰囲気はどこへやら、影を帯びた瞳でじっとそれから目を背け――、
「――メイル」
「…………」
「メイル」
「……まあ、沙織が言うなら」
沙織の、柄にもない強い口調にやや冷や汗を掻きながら、それまでそっぽを向いていたメイルは、ようやくそれを向き合う。
――満身創痍の重傷を負った、自らの母親に。
「――――」
きっと、メイルの先刻の軽口も、ある種の虚勢ではないだろうか。
そう沙織は推察しながらも、もう自分に出る幕はないと思案し、そくさとメイルの背後へ後退した。
それを横目に、メイルはようやくちらりと虫の息のセフィールと目を合わせる。
「――お前を、超えて見せたのだ」
「――――」
「だから、聞かせて欲しい。私の問いかけに対する回答を」
そのメイルの要求に、セフィールは屈辱故にか俯き、それでもなお『龍』としての矜持が虚勢を張ることに一助する。
「……それを告げる義務は? 温情でもくれるの?」
「――で?」
「……え?」
そのあまりにも素っ気なく、それこそ絶対零度を想起してしまうような、そんな冷たい声音に思わず顔を上げる。
そして――目を見開いた。
「貴女……」
メイルは――それこそ、今にも泣きだしてしまいそうな眼差しでセフィールを見据えていた。
本当は、獣のように自らの魂に蠢く、複雑かつ迂遠で鮮烈な激情を感情に委ね、吐き出してしまいたいのだろう。
だが、メイルはそれを現実には断じてしない。
そんな醜態、後ろに控える沙織に見せることもできないし――何より、目下には自分よりも泣き出しそうな母親が居るのだ。
あるいは、それはある種の意地だったのかもしれない。
親の前では泣き出したくないという、子供にありがちなどこまでも下らない反抗心――。
「――ぁ」
気づけば、頬を透明な雫が零れ落ちていた。
それは、数百年前のあの日から一度たりとも頬を通り過ぎたことのない、胸の内を燻る激情の何よりをも証明で。
「どうして……どうして私は、泣いてるの?」
意味が分からない。
その起因が龍としての矜持が踏みにじられたことに対する屈辱ならば、きっとまた弁解の余地はあるだろう。
だが、この温もりが屈辱なんていうモノである筈がなく。
そして、気づく。
気づいて、しまう。
「――ぁ」
――きっと、セフィールは嬉しかったのだ。
幾度となく殺そうとしていた娘が、こんなどうしようもない自分なんかのために、涙で瞳を潤ませているのだ。
嬉しかった。
まるで、あの日に戻ったような、そんな錯覚に陥て――、
「――違う‼」
「――――」
「違う、違う、違う……!!」
そうがむしゃらに自分の胸の内を締め付け、そして抱きしめる感情を赤子が癇癪を起したように否定するセフィール。
だって認められる筈がない。
あれほど心の奥底かた忌み嫌い、なによりも唾棄すべきだとそう認識していた娘のことを、本当は――、
「あああああッッ‼」
「――――」
もはや、理性なんてとっくの昔に掻き消えており、セフィールはその激情を発散するように雄たけびを上げる。
そして、傲然と立ち尽くすメイルへ急迫し、自分の胸を締め付けるこの感情をぶち壊してしまおうと――、
「――――」
だが、届かない。
セフィールはかろうじて破損しなかった鋭利な扇により双剣を振るう要領で斬撃の雨を織り成していった。
だが、メイルはそれを見もせずゆらりと木の葉が舞うかのような仕草で容易く回避。
武道もクソもないセフィールの精彩を欠いた動作に見受けられる粗に至極冷静なメイルが勘づかない筈もなく。
「ふんっ」
「――ッ」
踏み込むまでもなく、純粋な身体強化を付与した片腕で、稚拙な斬撃で虚空に軌跡を描くセフィールを打撃。
そして、我を失ったセフィールはそれを躱すこともできずに――インパクト。
「――ぁ」
「――――」
直後、セフィールは隕石のように、されどしっかりと生存できるようにして手加減された蹴り上げにより、盛大に吹き飛ぶ。
「――あ」
「――――」
骨髄は度重なる負傷により木っ端みじんになり、肉体からは耐久の限界を迎えた筋肉がザクロを破裂でもさせたかのように鮮血が溢れ出す。
もう、吐く血反吐も尽きた頃合いに。
「違う……違う……絶対に、違う……」
「――――」
セフィールは、それでもなおうわごとのように自分の胸を否応なしに焼き尽くすようなその感情を必死に否定する。
もはや、龍としての秩序や矜持など夢のまた夢。
そしてメイルはそんなセフィールを見下ろし、おおむろに近寄ると――そして、壊れ物を扱うように、されど確かに抱きしめた。
「――ぇ?」
セフィールは、突如として全身を覆った人肌の温もりに目を剥き、その驚愕ゆえに引きはがすこともできずに呆然とする。
そんなセフィールへ、メイルは堪え切れないとばかりに一筋の涙を流し、そして万感の想いを込めて、囁く。
「――逢いたかった」
きっと、それだけなのだ。
メイルという少女は、この刹那の幸せな一瞬に思い焦がれ、今日までずっと足掻くような、そんな生き様なのだ。
下らないと、そう断じる輩も居るかもしれない。
自分を捨て去って、あまつさえ直々に殺害しようとするような鬼畜の類との抱擁に、何の意義があるのだろうか。
全く持って、不毛。
「――それでいい。私は、それでいい」
「――ぁ」
それが、どうした。
そんな至極真っ当な意見、聞き飽きた。
もう、迷わない。
無駄で、どうしようもなく救い難いそんな人生を歩んで、それでも最後に笑い合えるのなら、それでいい。
名声も外聞も、そんなモノは知ったモノか。
そんなモノを一々気にしてしまったら、どうしようもないくらいに雁字搦めになってしまい、息もできないだろう。
そんな生き方、御免だ。
だから――この一言に、一切合切を宿す。
メイルは未だ唖然としているセフィールに苦笑しながら、ついにその瞳に大粒の涙を溢れ出し、嗚咽混じりに明言する。
「お母さん。――大好き」




