罠
俺の脚力は、それこそ魔人国でも最高峰だという自負がある。
更に、強烈な『自戒』までもを得た今、その蹴りに宿った威力は壮絶と言う形容でさえ物足りないモノとなってしまっていた。
そして――、
「――効かないよ」
「――っ」
衝撃が、全身を駆け巡る。
そう、言うならば、生身で鉄筋を殴ってしまった際に生じる、あの絶大な反動のような、そんな衝撃が……。
――止まっていた。
「おいおい……マジかよ」
「大いに、マジだ」
魔人国最高峰の一撃が、さも当然とばかりに停滞していたのだ。
これを異常事態と言わずして、何という。
唖然と目を見開くガバルドへ、無情な一撃が迫りくる。
華奢な指先にコーティングされていったその鉤爪が俺の強靭な肉体をバターでも切り裂く。
「――だらっしゃぁっ‼」
「チッ……」
その、寸前。
俺は至近距離の足場――即ち餓鬼自体を足場にし、全力で跳躍。
それと同時に、入れ違うようにして猛烈な射程の斬撃が横薙ぎに振るわれ、回避したと、そう安堵した刹那。
「クソッ、縮小性質は相も変わらずか……っ」
「そういうこと」
安堵した直後、なんら前触れなく、伸びきった鉤爪が、その形容をあまりにも強引に変更したのだ。
鋭利な太刀を象った鉤爪は、やがて蛇のようにうねり、俺へと殺到していった。
絶対絶滅。
そんな状況がお似合いな状況。
「とでも思ったか?」
「だよねえ……」
無論、この程度の包囲網で俺を殺害できる筈がない。
今現在、魔力回路の関係上真面に遠距離攻撃が行使できないが……まあ、それでも十二分に役割を果たせるであろう。
俺は、強かにそこらの管を足場に跳躍。
「面倒草っ」
「――――」
そう気だるげに呟き――そして、口元に相も変わらずな笑みを浮かべ、『紅血刀』を存分に振るっていった。
感触は……やはり、無いな。
常軌を逸した膂力による振るわれていった斬撃は、豆腐でも踏みつぶすような感触で満足にその使命を果たせなくなってしまう。
存外。
(餓鬼の気配は……真正面。否、背後か)
迂遠な手管だ。
謎器官により実態を作り出し、更にそれに本体と引けを取らない練度の魔力を編み込んでいやがる。
それ故に、間抜けならば容易く引っかかってしまうだろうな。
が、気配ばかりに神頼みしていたあの頃ならばともかく、魔力という未知の粒子を自由自在に掌握していった今――、
「――今更なんだよ、餓鬼」
「――――」
俺が向かったのは、背後――否。
そもそも、あの悪辣な野郎が魔術師として未成熟な俺でさえも容易く看破できるような残滓を残す筈がない。
なんとも露骨な罠である。
そして、本命の魔力気配は――頭上。
「チェックメイトだ」
「くっ……!」
軽やかに管の一片を踏み締め、そのまま餓鬼が待機しているであろう地点を『紅血刀』により掻き分けていく。
すると、そこには狙い通り、唖然とした餓鬼の姿が。
「ったく、呆けるなよ。餓鬼」
「――ッ」
そう呆れ果てながら、俺は『紅血刀』の糧を手に入れようとした直後――悪寒が全身を駆け巡っていった。
その起因は、明白。
「――アハッ」
「――――」
目下で失笑する、この狂人。
歪な仮面越しにでも、彼が浮かべた表情の系統がありありと理解できてしまう。
そして、直後にそれまで絶対的な矛と盾の役割を担っていた管は、突如として餓鬼から離れていった。
月光に照らされた餓鬼の華奢な細身は、管の束縛に耐えかね、至るところにおびただしい鮮血が溢れかえっている。
見るも無惨な光景。
これが年相応の少年ならば、泣き叫んでいるか、失神でもしているのだろう。
無論、この廃墟に自ら足を運ぶような輩が、そんな無様を晒すとは到底思えないのだがな。
事実、俺の推測は案外的を射ていた。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!! やっぱり、やっぱりお兄さんが気が付くよね、僕の罠くらい‼」
「――――」
ああ、大正解だよ。
推し量るに、虚勢でもはり、なんならかの由縁故に時間稼ぎでも試みるつもりか。
無論、俺がそんなモノに意識を削がれる筈もなく、全力で疾駆し、餓鬼の懐へと急迫し、『紅血刀』を――、
「やっぱり! やっぱり、お兄さんが僕の戯言にも頓着しない! だからねえ、だからねえ!!」
「――死ね」
戦場に持ち合わせる私情なんて不要だ。
俺は、さながら機械のように不気味なくらいに鮮やかに鼓膜に滑り込む声音を極力無視し、身体強化の段階を強化する。
そして、ようやく迎えた最終フェーズ。
もはやこの段階に至ってしまった以上、お互いに撤退は不可能。
駆け引きさえもなんら意味をなさない、究極の瞬間――。
「その認識は間違っているよ。お兄さん」
「――――」
深紅の刀身が餓鬼の胴体を泣き別れにする、その刹那に奴は焦燥することもせず、そう飄々と囁いていった。
そして――、
「――駆け引きは、今この瞬間には続いているよ」
「――っ」
今、確かに『紅血刀』は餓鬼の寝首を掻こうと振るわれ――そして、停滞した。
餓鬼は、それまで隠匿していた首筋――幾筋もの管が絡まっていったその寝首を曝け出しながら、笑みを浮かべる。
「そうだよね。お兄さんって、案外慈悲深いんだよね。だって、死んでいったことさえも理解できないように、首を割断しようとするんだから」
「――ッ」
読まれていた。
(こいつ……一体何者だ!?)
知り過ぎている。
それこそ、本来ならばメイルや目聡いアキラ程度しか把握できないような俺の根底を、さも当然のように。
何者だ。
そう、叫び散らそうとした直後―ー、
「お兄さん。あなたはボクに、『チェックメイト』って言ったよね?」
「――――」
直後、産毛か一斉に逆立つ。
それは、この究極体に至ってもなお、魂が警鐘をけたましく鳴らしていった何よりをも証拠である。
俺は本能に従い、バックステップした直後――胸に、異物が。
「な」
「いいでしょ、これ」
口元から溢れ出すのは、懐古さえ感じてしまう鉄鉛の味わいがする、深紅の液体であろうか。
それを把握しながら、俺は唖然としながら、背後を向き直る。
そこには、俺が不毛と切って捨て見逃していた管が、その鋭利な切っ先でこちらへ牙を剥いており――、
「チッ!」
「――――」
舌打ちしながら、俺は『紅血刀』でその身体を侵食していた強靭な管を一蹴し、直後に間髪入れず、死角より襲来する管を切り伏せた。
(……硬い)
先刻までは、さながらバターでも切り分けた程度の感触しか感じなかったのに、今では俺が苦戦するレベルまで。
「……温存していやがったか!」
「そういうことだ、お兄さん♡」
「――――」
俺はその気色の悪い顔面から逃げるようにして、相手のテリトリーで踊り舞うのは不利だと、そう判断し、バックステップ。
最悪、アキラと合流するか。
いや、それはそれで癪……。
「雑念に思考を削いでいる場合!?」
「くっ」
次第にこちらへ殺到する管の頻度はいっそのこと視界を埋め尽くす程の勢いにまで昇華されてしまっている。
一応、捌けている。
ちょっとしたミスで負ってしまったのはあくまでも軽傷。
この程度ならば、また許容範囲内であろう。
問題は――この先。
「ギアー、上げていきな!」
「クソッ……! 調子に乗りやがって」
やはり、俺が餓鬼の気配を探っている間に根回しは済んでいるようで、無尽蔵にこちらへと管が流れのように押し寄せる。
到達する頻度は次第に増していく。
(不味いな……このままじゃ、最悪蹴散らされるぞ)
クソっ、とりあえず、アキラの加勢を待ちこすために、時間稼ぎを――、
――あれれ? もしかしてレギウルスさん、あれだけ自信満々で任せろって啖呵を切りながら、助けてくださいぃ? ねえ今どんな気持ち? あんなに香ばしい台詞を吐いた後に、こんな様って、どんな気持ちぃ?
「テメェ、ぶっ殺すぞ、ゴラァ!」
「!?」
幻聴してしまったうざったい声音が脳裏にこびりつき、そして――、
「いいぜ、餓鬼」
「――――」
加勢をまつだなんて、あまりにもナンセンス。
ならば、俺がとるべき行動は唯一無二。
「――正面突破だ。お前がこしらえた罠とやらを、完膚無きままに破砕してやんよ」
「――。そうこうなくっちゃ」
そう啖呵を切ったのと同時に、第二ラウンドが開演していった。




