傀儡
ドンマイガバルド君!
っていう話です
――有り得ない。
脳とは、魂に匹敵する生物置ける重要な器官である。
それを、こうも無遠慮に踏み躙られ、破砕されたのだ。
生物ととしての根幹が非情にも打ち破られてしまえば、如何なる例外もなく、万象の生物は死に至る。
「――言ったろ? 油断するなって」
――筈だった。
唐突に起き上がった『暴食鬼』の様子は健在そのもの。
まるで、つい先刻脳天を撃ち抜かれた事実が揉み消されてしまったかのような、そんな感覚が脳裏を浸透する。
「……嘘だろ」
「さあな」
絶句するガバルドへ、無論『暴食鬼』も容赦しない。
『暴食鬼』はどこまでも悪辣かつ醜悪な哄笑を口元に浮かべながら、その片腕に万力にも匹敵する握力で片手剣を握りしめる。
「――止めだ」
「――ッ」
今現在、ガバルドは適性が悲しい程ない魔術をこれほどの練度で組み立てていったが故に、疲労困憊。
更に、最高の瞬間に油断しきっていたのだ。
そして、殊更に常軌を逸した『暴食鬼』の脚力がそれを駄目押しする。
――回避は、不可能。
「――っ」
「あっ……ぁっ!?」
一瞬の空白。
それは、人知を超えた耐え難き苦痛が脳の機能を一時的に停止させてしまったからか。
いずれにせよ、結果が変動することはない。
宙を蝶のように舞い踊るのは、幾粒もの鮮血の雨あられ。
その天才的な直感を遺憾なく発揮していったことにより、顔面への直撃は、なんとか死力を尽くし、回避した。
だが、それでも負った損害はあまりにも甚大である。
振るわれた横薙ぎ一閃は腹立たしい程に精緻かつ繊細な魔力操作を以て振るわれたモノであり、宿った威力は絶大。
裂傷が刻まれたのが、頑強な筋肉により覆われていた鳩尾付近でなければどうなっていただろうか。
これまでの、血のにじむ修練がなければ、今頃ガバルドの胴体は泣き別れになってしまっていたであろう。
だが、何よりも――、
(くっ……! 出血が酷い!)
胴体から、洪水のように血反吐が吹き上がる。
一応、ほとんど一瞬で応急処置は施した。
だが、それはあくまでも簡易的なモノ。
そして、刻まれていった傷跡の被害はあまりにも甚大であった。
(不味いな……。長く数時間、最悪数瞬後には失血死するぞ)
想像の埒外に、出血量が膨大だ。
止血は済ませた。
だが、それでもなお足りぬとばかりに無尽蔵にドス黒い鮮血が溢れ出し、着実にガバルドの生命を蝕んでいく。
「――勝負は、ついたな」
「まっ……まだ、終わっちゃいねぇ……っ」
「強がりを」
虚勢を張った直後、その反動に再度血反吐をぶちまけてしまう。
もはや味覚がおびただしい血液により蝕まれてしまっており、鈍い鉄鉛程度にしか味わうことができなかった。
意識が暗転と回帰を繰り返す。
もうじき、意識が貧血故に霞んでいき、歩行さえもままならなくなるだろう。
「――だから、その前に、お前を殺す……ッ!」
「戯言を」
その、あまりにも荒唐無稽な御伽噺に、『暴食鬼』はどこか呆れ果てたような、疎むような表情を浮かべ――、
「無駄だよ」
「――ッ」
懲りもせず鋭刃片手に裂帛の気合で待機を激震させながら特攻するガバルドへ、『暴食鬼』は冷ややかな眼差しを向ける。
そして、片手間で蹴り上げ――直後にガバルドの輪郭が掻き消えた。
「――ぁ」
「もう、眠れ」
鬼畜外道の類でしかない『暴食鬼』さえも、半死半生の状態でもなお、死に物狂いでこちらへ挑むガバルドを哀れに思ったのか。
放たれる蹴りは決して遊戯などではない。
ただただ、相手を破滅へ追い込むために放たれた、おぞましい程に無慈悲な一撃――。
「ああああああああッッ‼」
「――――」
もはや、愉悦もない。
『暴食鬼』とて、言うまでもなく人形とごっこ遊びする気なんて、さらさらないのだ。
ガバルドの決死の特攻は、ただ『暴食鬼』を呆れさせた以外に及ぶ効果なんて、一切存在しなかった。
そして――致死の一撃が、ガバルドへと到達する。
「――ぁ」
「――――」
インパクトの瞬間。
その刹那だけ、ガバルドの瞳には戦意という名の戦意から明白に解放されていて――、
「――――」
「――――」
もはや、言葉もない。
靴底と強靭な肉体が激突する痛烈な爆音が廃墟にりんりんと木霊し、衝撃波と共に血反吐が盛大にぶちまけられる。
『暴食鬼』、正真正銘の本気の一撃だ。
それを、唯の人間たるレギウルスが耐えられる筈がない。
それが、『人間』と、『亜人』との、明確な差異。
そして――、
「――――」
気配を探る。
すると真っ先にあまりにも身近な距離に、次第に薄れゆく天命がありありと関知することができて――、
「――眠れ、『英雄』」
返答は、無い。
肉塊と成り果てたガバルドを『暴食鬼』は怜悧な瞳で見下ろしながら、一瞬懐古するかのように目を細め――、
「――サヨナラ、嘘吐き」
そう、言い残していった。
「あーあー」
「……これはこれは」
高原の一角に響き渡ったのは、おぞましい程に軽薄で、それ故にその奥底に宿る感情が伺えない青年の声音だ。
その隣の幼女は、どこか呆れ果てたように嘆息している。
両者共に呆気に取られている中、唯一この場においてそれまで観戦していた男の残虐な末路に眉根をひそめることもなかった青年は、ちらりとその細目で自らの主をどこか期待するかのような眼差しで一瞥する。
「――終わっちゃったっスね」
「……まあね」
「うむ」
少年は、嘆息するルインを横目に、揶揄うような口調で問いかける。
「どうしちゃったんですか、主。もしかして、感動したとかっスか?」
「いいや、それはないよ」
「まあ、じゃろうな」
一応は協定相手であるルインの既知の悪辣さに顔を顰めるシオンを無視しながら、青年は「じゃあなんで」と尋ねた。
「いやね。ちょっと、彼の力量に度肝を抜かれただけ」
「あー。そういうことっスか」
「ふむ。それに関しては同意するのじゃ」
納得したかのように頷く青年を横目に、シオンは嫌がらせなのかやけに苦いティーを口にしながらそう同意を示した。
「いやー、僕としても企画の成果が満遍なく証明できて、本当に有意義だったよ」
「その結果、誰かの命が踏みにじられても?」
「もちろんだよ」
「……本当に、らしい解答じゃな」
その迷いのない外道発言に盛大にシオンは顔をしかめる。
「おや、不満かい?」
「いいや、そういうワケじゃないのじゃ。そんなの、今更じゃし」
「まあ、確かに言われてみればそうっスよね」
「アハハハハ」
『円卓』然り、『神獣』然り。
ルインのその叡智という概念の体現ともいえる頭脳は美徳といえるのだが、いかんせん考案するプランがあまりに外道すぎるきらいがある。
まあ、そんなの本当に今更であるのだが。
「やれやれ……過ぎた余興じゃな」
「……一応言っとくけど、これにもちゃんと意味が――」
「知っておるのじゃ、そんなこと。馬鹿扱いはやめよ。細切れにするぞ」
「嫌に物騒っスね、シオンちゃん」
直後、少年の輪郭が細やかに線画、割断される。
「気安くちゃん呼ばわりするな、下郎」
「……それだけの理由で、俺は細切れにされたんっスかね!?」
「自明の理じゃろ?」
「君達、仲いいね」
果たして、些細な言動で片方が文字通り分割されてしまうような関係が良好なのだろうか。
と、そんな至極真っ当なツッコミを内心で繰り出した直後――
「――?」
不意に、ルインは小首を傾げ、
「――へえ」
そう、意味深な笑みをこぼした。
その表情の転換に怪訝な眼差しをしながら、真意を聞き出そうとした直後――遅れて、シオンも異変に気が付く。
「これはこれは……」
そして――直後、不気味な『奇跡』が、倒れ伏すガバルドを包み込み――、




