氷華
沙織さん視点です
「――『氷花・乱舞』」
「――――」
意識が、研ぎ澄まされる。
体が、異様に軽く、それこそ羽毛のように感じられる。
過度な緊張、多寡な重圧により、かえって萎縮してしまうどころか、未だかつてない程に目下の課題に集中する沙織。
そんな沙織を迎え撃つセフィールは、扇を媒介として、大いに廃墟全土にわたり、氷点下の蔓を展開していく。
その蔓は、さながらうねる蛇。
不規則な軌道で宙を滑走し、広範囲に振るわれる蔓であったが――、
「問題、ないっ」
「……ホント、なんて火力なの」
もはや、後先は考えない。
それこそ、己自身を燃料にでもしたかのように、爆発的に燃え広がる烈火に、容易く押し寄せていった鋭利な蔓が一蹴される。
その熱量は、十二分にセフィールの脅威。
「……つくづく、イカれてる」
「それ、何度目?」
「――――」
明らかに、初期の頃と比べるとどこまでも洗練された動作で蔓の弾幕をかいくぐり、そのままセフィールへ急迫する。
音もなく跳躍し、その寝首を掻こうと目論む。
そして、その大鎌を――、
「――甘いわ」
「――――」
銃声。
否、それは紛い物だ。
あくまでもそれは副次的に生じたモノでしたなく――それ故に、鮮烈な本命が、弾丸と化して沙織の胸に吸い込まれる。
(熱波での防御は……無理!)
吐き出された弾丸の速力は凄まじい。
それこそ、レールガンさえも霞んでしまう程の弾速の弾丸を、繊細な魔力操作が要求される魔法の使用は厳禁だ。
更に、今現在沙織は空中に滞在している。
それ故に、真面な体幹では、純然な回避さえも、到底不可能。
まさに、詰みの局面である。
ならば、それこそ致死に――、
「――ッッ」
「あらあら……」
もはや、言葉もない。
人間などとは隔絶した存在であるセフィールさえも乾いた笑みを浮かべてしまう程の事象が、今この瞬間に生じたのだ。
原理は単純明快。
もはや足場を展開する暇さえもないと、そう判断した沙織は、驚くべきこそに大鎌を手放したのだ。
自由落下により沈降する大鎌は、格好の足場。
「――――」
もちろん、そう捉えるような輩は、そう居ないだろう。
それ相応の質量とはいえ、落下する大鎌を足場にしようとも、並大抵の体幹では、容易く転倒し、即座に弾丸の餌食になるだろう。
無論沙織もその程度の自明の理、とっくの昔に理解している。
そして、把握したうえで、十二分に可能だと、そう判断したのである。
大鎌を投げ捨てていった沙織は、それが手から零れ落ちる寸前、それを足場に驚嘆すべき技巧で足場にし、軽やかに跳躍。
だが、迫りくる弾丸の速力も中々。
幾ら寸前で回避行動に移したところで、依然脳天目掛けて飛翔するそれを真に躱すのは至難の業であろう。
脳天。
そう――脳天だ。
「っ」
沙織は、掠める弾丸に顔色一つ変えることなく、極々自然な動作で小首を傾げ、結果的に氷槍が素通りする。
無論、故意だろう。
意表を図た筈の、あの奇襲がこうも呆気なく破られるとは……。
それこそ、純粋な力量さえ伴っていれば、相当な術師になるであろう。
(それだけに……惜しいわねえ)
これだけの才能があるのにも関わらず、何故沙織は魔術師ならば必然会得する『術式改変』、少なくとも本来の魔術を利用していないのか。
考慮される可能性は二種。
一つは、消費があまりにも多寡という可能性。
そして、もう一種は――そもそも、『術式改変』、更にいえば、ロクに魔術さえも使えないという可能性である。
推し量るに、これまで彼女が多用したのが、魔術ではなく、あくまでも魔法の類であったことから、十中八九、後者。
だからこそ、惜しい。
仮に、彼女がそれを習得したのならば――あるいは、自分さえも上回る術師になっていたであろうに。
「……貴女が、私の娘だったらね」
「――――」
そう、思わず零してしまう程に。
そう、悔恨にも近い感情を極々自然に吐露した直後――一斉に、それまで展開していた氷結の世界が溶け消える。
直後に生じたのは、地獄を彷彿とさせる獄炎の大海原。
「――ふざけないで」
「――――」
怨敵にそんな戯言を囁かれたのが、利害という概念を完全に無視してしまう程に、腹立たしかったか。
否。
もしくは――、
「そんなこと……メイルの前で、絶対に言わないで」
「……善処するわ」
耐え難き、義憤。
成程、確かに彼女らしい動機である。
そう、一人勝手に納得するセフィールの相も変わらずな態度に沙織は歯噛みしながらも、その反面冷静に状況を分析する。
(……そろそろ、不味いよね)
身を燻る憤怒に委ねて構築してしまったこの術式。
しかしながら、この常軌を逸した魔法を行使してしまったこと、また維持していくことにより、y多大な負担が存在することは、免れようもない事実。
(……二分)
それが、この獄炎を維持できるであろう、最終刻限。
これを過ぎ去ってしまえば――もはや、沙織に勝算は、無い。
幸い、最大出力の烈火は十二分にセフィール十八番の氷結さえも容易く溶かしてしまっている。
これで、こちらの炎が彼女に通用することは理解できた。
だが、相手はあの熟練の存在。
同世代からしてみれば、分不相応にも卓越した技量を持ち合わせる沙織であったが、それはあくまでルーキーとして。
それでは、この年配に勝利する可能性は限りなく低減してしまうだろう。
だけど――、
「まだ……可能性は、ある」
本来ならば、泣き叫び許しを請う状況下。
だが――それでも、微弱ながらも、勝算は、ある。
メイルと、また一緒に生きることができる。
その、とっくの昔に諦観していた可能性が、今になってようやく現実味を帯びた今――沙織が、絶望する筈がない。
その瞳に宿ったのは、明日への希望。
断じて、絶望などという感情は、一片たりとも灯っていなかった。
そんな沙織を捉えたセフィールは、そのどこまでもひたむきな沙織の姿に、どこか嫉妬するかのような表情で嘆息する。
「……貴女、本当に十代?」
「乙女に年齢を聞くのは失礼だよって、そうツッコみたいところなんだけど――今更、時間稼ぎに付き合う心算はないよ」
「……つくづく、厄介ね」
「それは、誉め言葉だよ」
「でしょうねえ」
明らかに同世代の子供たちとは異色すぎる、その強かな、それでいてどこまでも純真な魂を垣間見、思わずセフィールは目を細め――、
「言っておくけど、娘の親友だからって手加減するつもりは、ないわよ」
「もちろん」
もとより、そんな不確かなモノに縋る程の愚者ではない。
確かに、ちょっと頭が悪――残念な自覚はあるのだが、それでも、幾度となく乗り越えた視線が、沙織にそんな甘ったるしい希望を抱かせない。
そして――、
「――溺れて」
「熱烈ねアプローチは、お断りよ」
刹那、爆炎が猛威を振るい、それを迎え撃つようにして、雪崩のような勢いで、猛烈な殺傷能力の弾丸が虚空を飛び舞っていった。
「34番の意識の消失を確認。如何致しましょう。主」
『……沙織が危なくなった際はまだしも、このタイミングで奴に私兵を露見させたくはない。見守ってあげてくれ」
「委細承知」
『頼むよ』
「はっ。……しかし、無礼を承知で伺いますが、果たして沙織様が、あの蜥蜴の寝首を掻くことができるのでしょうか……?」
『まあ、当然の疑念だね』
「――――」
『なら、率直に答えよう。――無理だ』
「――――」
『今現在、沙織には俺が魔術の使用は厳禁って言いつけてある。あいつが、それを破るとは、とてもじゃないが思えないからな。その状況下じゃあ、まあ無理だろうな』
「ならば――」
『そう慌てるな。確かに、沙織では無理だろうな。――だが、奴ならば、あるいは……』
「……そうですか」
『うん。後は、アドリブで頼むよ。スピカ君』
「承知っ」
……そろそろコメディー書きたい




