また逢えたら
――サヨナラ
「おりゃあああああッッ‼」
「――――」
裂帛の気合が周囲一帯の大気を震わせる。
跳躍。
俺の脚力に限った話でこそあるのだが、おそらくアキラさえも上回っているであろうという確固たる自負がある。
現状、こちらのアドバンテージなんて、これくらい。
(クソッ……正真正銘のクソゲーだな!)
俺は電光石火が如き勢いでアキラの懐に潜り込もうとする――その直前に、強引ながらも確かに軌道を変更。
「チッ」
「ハッ」
次の瞬間、俺が起動を一切変更することなく愚直に進んでいたら通過するであろう地点に、鋭利な氷柱が激突する。
その威力、突き刺さることさえなく、貫通する程の品物。
真面に喰らえば、それこそ即死さえも現実味を帯びてしまうなと嘆息する。
(……紅血刀は封印すべきではなかったか?)
『紅血刀』は存外に優秀だ。
それを併用さえしてしまえば、残留する天命の数値なんて気にすることなく、暴虐の限りを尽くすことができるだろう。
が、そこからは泥沼だ。
仮に、俺がそんな暴虐に打って出てしまえば、アキラも納刀している『羅刹』とやらを抜き去るだろう。
そうなれば、待ち構えるのは終わりの見えない死闘。
しかも、相手はあのアキラだ。
確実に俺は膾にされちまうだろうな。
故に、紅血刀は、今は自重させてもらおう。
幸い、アキラも俺が紅血刀という絶対的なアーティファクトを利用していないことから、意味をくみ取り無手だ。
俺がアキラと真っ向勝負で晴々と勝利できるのは、この条件下に限られている。
残念至極なことに、俺はお前みたいに小手先技なんてモノを扱えるほどに器用な男じゃなってことは分かっている。
だから――、
「――俺には、これしかねえんだよ」
「――――」
不規則な軌道でアキラの間合いに侵入し、かと思えばバックステップを繰り返し、緩急をつけ、相手を惑わせる。
が、相手はあのアキラ。
この程度の小細工、何の痛痒も感じれないだろうな。
だが、さしも奴であろうとも、流石に綻びが生まれちまうよな。
スズシロ・アキラは紛れもない人間だ。
それ故に不完全であり、徹底して俺の輪郭を捉え続け、的確に対処することなんて、機械でもないんだからできやしない。
俺の勝算は、その綻び……!
だが、リスクを負うタイミングを履き違えば即座にノックダウンとなってしまうことは赤子でも理解できる。
つくづく、厄介な男である。
「――蒼海・乱式『白鯨』」
「――。なんつう物量だ……」
が、流石に奴も埒が明かないと判断したのだろう。
アキラは俺には成し得ない手段――幻想を現実にしてしまえる魔術を行使し、この膠着状態を打破するための起爆剤を放り投げた。
だが……にしても……
「デカすぎるだろ……」
「一応、死なないように手加減してやったぞ」
「ハッ」
俺は、滝のように冷や汗を流しながら、頭上を見上げる。
すると、そこにはどこまでも澄み切った水塊が、巨大な鯨を象っており、微弱な心音さえも聞こえてくるようだ。
何よりも異質なのは――そのサイズ。
巨大という形容にも千差万別なのだが、今回の場合、出現した鯨の巨躯は――それこそ、この廃墟を覆うレベルである。
「貴様……まだ余力をっ」
「主、退避をっ」
「アハハハハ……これは、流石に、ね……」
ふと、音源を見渡してみると、そこには俺と同じくあまりの威容に明白に動揺している敵対者たちの姿を捉えた。
おいおい、龍さえもドン引きの物量を、一応とはいえ仲間である俺に容赦情けなく躊躇もなくぶつけんなよ。
「だって、お前、『紅血刀』持ってるだろ? なら、多少手荒にしても大丈夫だってと助言してやるよ」
「即死したら、どうするんだよ」
「そん時は、そん時だ」
「ハッ」
実際は色々と対策を練ってこういう暴行に打って出ているのだろうが……なんだが、実際にそんなモノが存在するのは不安になってくる。
まあ――、
「――どちらにせよ、俺相手にそんな配慮は必要ねえよ」
「ほう?」
今更になって、尻込み?
魔人国が誇る、『傲慢の英雄』が?
「ハッ」
――笑止千万、反吐がでる。
それは、もはや唯の紛れもない侮辱である。
だが、アキラはそんなことに頓着することもなく、冷徹に、まるでマリオネットのような冷たい眼差しでこちらを見下ろし――、
「死にはしねえよ。――ちょっと、眠ってもらうだけだ」
「ハッ」
パチンッ。
そう指鳴らした直後――『鯨』が、堕ちる。
もはや、温もりも、天命も、拍動さえも定かではない。
肺が苦しい。
酸欠により脳が朦朧としてきており、それこそ意識を強靭に保っていなくちゃ、失神しそのまま海の藻屑だ。
死ぬ。
そう、明白に歩み寄る気配を感じ取る。
このままでは、レギウルス・メイカという男は、確実に死に絶えるだろう。
ならば、どうすればいい?
「――――」
お前か。
俺は、音もなく傍らに寄り添うように、得物を狙い定めるように、貪るようにしてこちらへ歩み寄る獣を冷めた眼差しで一瞥する。
それは、どこまでも獰猛かつ救い難い獅子を象っており、幼子であればその眼光に射抜かれ、失神しちまうだろうな。
が、俺にとっては少々勝手が異なる。
なにせ――これは、いわば俺自身なのだから。
「――――」
獅子は、無言で体を明け渡せと、そう催促する。
そうだよな。
お前が表にできることでしか、この逆境から逃げ出すことはできないことは、赤子でも理解できるだろう。
俺も、お前も、今までそう納得してきた。
なにせ、この獅子は俺の化身なんだから。
度し難い程に粗悪で、無思慮で、無遠慮。
他者の感情などを一切頓着などするはずもなく、ただただ無慈悲に生ある者を蹂躙するだけの、そんな哀れな存在だ。
何度もこいつと相まみえた。
何度も、喰われた。
そうやって、そうやって俺は生きてきた。
だから、今回も――、
――お前は、それでいいのだ?
――ッッ。
ばっと目を剥き振り返るも、無論そこには如何なる生者も存在することはなく、ただただ無機質な空間が展開されているだけ。
だが、それでも。
――それでも、あの子が俺のことをまた叱っているように、思えたから。
「御免な。――お前に頼ることも、喰われることも、もう、ねえよ」
「――――」
獅子は、立ち上がる俺を、どこか疎まし気に――否、まるで寂しいように、いかないでよとでもいうように、じっと見つめていた。
そして俺はおおむろに、俺の本質ともいえる獅子へ歩み寄り――、
「今までありがとな。――また、な」
「――――」
獅子の、毛むくじゃらな頭髪を、そっと、酷く優し気に撫で、そして――。
――意識が、浮上する。




