ママァ!?
「――龍」
「――――」
そう、龍だ。
かつてこの世界に癒えぬ傷跡を深々と刻み込んでいった、あの。
それを自分でも驚く程に冷徹に噛み砕いた沙織は、剣呑にその瞳を細めながら、ジッと龍とやらを睥睨する。
「……どうして、こんなことを?」
「それ、聞く必要、あるかしら」
「――――」
無論、断じて否。
アキラ曰く、既に『老龍』は人類を滅亡させる結論に至っており、そしてその眷属たちはそれに従う他ないだという。
きっと、明確な理由なんてそれだけなんだろう。
そう理解し、その生き様に敵ながらも頬を歪ませ、
「――でも、貴女はメイルを傷つけた。許されることじゃない」
「で? 貴女が仮に私を許容しなかったら、私にどんな実害が生じるのかしら」
「――――」
「あら。だんまり?」
「――っ」
龍の力量は千差万別。
先刻溢れかえっていた蜥蜴たちは近接戦闘に長けていない沙織であろうとも片手間であろうとも容易く一蹴できる。
だが、相手が『龍』とならば、話の勝手は大いに変動するだろう。
個体にもよるが、『龍』の力量はそれこそ国家さえも滅ぼしてしまう程だという。
それを、たった一人のか弱い少女が、果たして止めることができるのだろうか。
――きっと、無理だろうね。
沙織は、ずっと『傲慢の英雄』を中心としていった同僚たちの背中を追い続けている。
『赫狼』という絶対的なアドバンテージを喪失してしまった以上、現状沙織に繰り出すことができる対抗策なんて、皆無に等しいだろう。
ただ、手招くのは、深淵のような暗闇――、
「――それで、いい」
「――――」
「私は、命を懸けて足掻いてもがいて、その結果たった一人でも誰かが救われたるのなら、それでいいよ」
「――。貴女も、随分とイカれているわね」
「よく言われるよ」
――これだ。
これが、スズシロ・アキラが最も憂慮していた沙織の本質。
シラザキ・サオリという少女はどこまでも自己犠牲という概念の化身であり、誰かの、特段に大切な人のためならば、落命も一切厭わない。
その形容に、一切の誇張は吹き込まれていない。
ただただ、誰かのために、自分の苦痛を後回しにするその生き方は――成程、『龍』が呆れ溜息を吐くのも頷ける。
「……メイル。今は、寝てて。きっと、すぐ終わるから」
「――――」
無論、返答が木霊することはない。
でも、どこか自分の選択を死にも狂いで撤回させようとするメイルの姿も自然と浮かんで。
だから――、
「――御免ね、メイル」
「――――」
きっと、自分は今ここで朽ち果ててしまうのだろう。
そもそもの話、アキラとこの約定の大地にて再開を果たし、穏便な日常が崩壊した直後からこうなることは悟っていた。
ならば、今更躊躇うことはない。
でも、ほんの少し心残りが、ある。
――きっと、私が死んだらメイルもちょっと悲しむだろうなあ。
それだけが、ほんの少しだけ、心残りだ。
だが――、
「――でも、メイルが生きれるのなら、それでいい」
「あらあら。――こんな美しい狂人、旦那以来じゃない」
そうやけに艶やかに目を細め、『龍』は武士の風潮をリスペクトでもしたように、ようやく名乗り上げる。
「――セフィール・グラン。『龍』よ」
「白崎沙織。どこにでもいる、少女だよ」
挨拶は、これでお終い。
刹那――爆炎と氷結が竜巻のように渦巻いていったのだった。
「――ッッ」
「あら」
散弾のようにこちらを射抜かんと飛散していく氷結していった弾丸を、沙織が即座に展開していった烈火によりその悉くを焼却。
一瞬の停滞。
その隙をつき、刹那で沙織は龍の懐に潜り込む。
狙い定めるのは、最も回避が困難かつ効果的な、腱。
この骨髄を切り刻んでしまえば、たとえ竜であろうとも歩行は困難となると、そう踏んでいったのである。
沙織は飛散する氷柱を回避、迎撃し、力強く踏み込んでいった。
そして――、
「甘いわあ」
「なっ」
ガギンッ。
響き渡ったのは、切断音――などではない。
ただただ無機質な、不定協和音。
沙織が繰り出していった鋭利な切っ先は、確かに、どこまでも正確無比にセフィールと名乗った龍の腱へと振るわれ、捉えた。
ただ、純粋にそれを遮る龍鱗の硬度が異常であただけだ。
飛び散るのは、深紅の火花――、
「ふんっ」
「――ッッ」
直後、セフィールは鋭い蹴りを沙織の胴体へ放ち、その脚力を遺憾なく振るうことにより盛大に吹き飛ばしていった。
「がはっ」
「あらあら……可愛い顔も、台無しわよお」
「だ、誰のせいだと……あがっ」
おびただしい血反吐をぶちまけながら、沙織は己へ簡易とはいえ十二分に致命傷程度の傷跡ならば回復できるレベルの治癒魔法をかける。
激痛は依然として健在であるが、それでも本気を出すためのコンディションを整えることは叶ったのだ。
ならば――、
「――まだ、死ねない」
「……本当に、イカれてるわねえ」
「それは、どうも」
「ふっ」
どこか揶揄するかのような響きに、沙織はどこぞの少年を彷彿とさせる不敵な笑みを浮かべていた。
そんな沙織の常軌を逸した姿に、さしもセフィールであろうとも少し、否、相当引いていらっしゃる。
極悪非道な龍にさえもドン引きされる生きざまって人としてどうなのかと、そう微苦笑しながら――、
「……貴女、どこかで会った?」
「――。どうして、そんなことを?」
「いや……何と無しに、誰かを既視感を感じるよ。それが誰かなのかってね」
「……あー。そういうことね」
「――――」
メイルの治癒に集中するために、ダメ元でそんな問いかけをしたのだが、意外なことに、返答はあった。
セフィールは、どこか苦笑しながら、
「私に既視感を憶えるって、誰と私を重ねたのかしらあ?」
「……分からない」
「あら、そう」
「――――」
セフィールはその沙織の要領を得ない返答に特に咎めることもなく、逆に納得したかのような表情を浮かべる。
「そりゃあそうだわあ。私とあの子じゃ、全然性格も異なっているのだからあ」
「……どういう、意味?」
「何。至極当然の摂理よ」
セフィールはその口元に妖艶な笑みを浮かべ、ちらりと倒れ伏すメイルを一瞥し、それを口にした。
「――私は、メイルの血の繋がった母親よ」
なんだか、七章のBパートに彼女と似た口調をするヤツがいたような……
同一人物か否かは、彼女の素性が完璧に語られる時はハッキリと明言すると思います。




