襲撃者の
ガバルドさんサイドです
たかが風。
されど風だ。
行き過ぎた爆風は容易く周囲一帯の物質を薙ぎ払い、律儀なことにそれを粒レベルに分解していき、身勝手にも手榴弾の役割を果たしていく。
周囲へ飛散していく散弾に撃ち抜かれ、絶命する。
それ以外の可能性など、とっくの昔に死滅している。
なんなら、用意した軍隊が壊滅してもなんら可笑しくはなかった。
「――『天呑』」
――仮に、今この場に『魔王』が存在しないのならば。
魔王の莫大な魔力を浪費することにより生じていった空洞に、爆風の一切が散弾と化した粒こと吸い寄せらていく。
数瞬後、土煙さえも晴れ果てていく。
「……済まなかったな、魔王」
「アンセルだよ、ガバルド君」
「ああそうかい、魔王」
「……」
感謝の意を告げるガバルドであったが、どうやら何がなんでも魔王の真名を呼ぶつもりは一切ないらしい。
「そろそろ本当に私の本名って忘れ去られているのでは……?」とちょっと遠い目で明後日の空を眺める魔王さんであった。
と、そんな魔王の耳朶を切迫した声音が打つ。
「――魔王様っ!」
「ああ……君か」
一瞬刺客と構えたアンセルであったが、その容貌が明瞭になると即座に戦意は消え失せることとなる。
魔王は傍らにかけよる青年――秘書に、落ち着けと言外にどこまでも冷徹な態度で示しながら、端的に問いかけた。
「損害は?」
「無論、魔王様の御力の前に死者が生じることはありません。……ですが、初発の一撃を喰らって軽傷を負ったモノが幾名」
「ふむ……治癒術師を一人向かわせてくれ。今はそれだけで事足りる」
「――――」
報告によると、あくまでも軽傷だ。
ならば、それをアンセルを含めて真面に扱うことのできぬ治癒魔術を巧みに操る術師を派遣するのは本当に少数で十分。
それに――、
「――和やかに談笑か?」
「――ッッ」
木霊するのは、無論轟音において他ならない。
その拍子にこちらへと吹き飛んだ岩盤を『天呑』で処理しながら、魔王は剣呑な眼差しで眼下の黒ローブ姿の襲撃者を睥睨する。
「……誰かな、君」
「それを教えるとでも? 仮にそう魂の奥底から信じ込んで疑わないんじゃ、神聖の馬鹿だってことだよねえ」
「だよね。同感だ」
「ハッ」
そう口元に微笑を浮かべるアンセルの首筋に、一筋の冷や汗が通過する。
(こいつ――なんて、圧倒的な……っ)
その立ち姿を一瞥しただけでも一瞬で看破できる。
黒ローブ姿の襲撃者を起点として立ち上る魔力は異質の一言であり、何よりも壮絶なのは、その総量だ。
(アキラ君……いや、あの時見た中年の人よりも、尚凄まじい!)
スズシロ・アキラの魔力総量も魔王に匹敵するレベルなのだが、それを隔絶するのが龍艇船で遭遇したあの中年だ。
あの、一切合切の摂理から遺脱した異常な練度。
それこそ、魔王さえも遠く及ばない程である。
そして、目下のこの襲撃者は――それすらも、超越する。
『――ガバルド君。今すぐ戦士たちを逃げせ』
『あ、あぁ……?』
唐突な『念話』に意味が分からず小首を傾げるガバルドの姿を捉えるとどうしても苛立ちが先行してしまうが、今はそんなことは些事だ。
『由縁なんてどうでもいい。さっさとやって。――じゃないと、壊滅するよ』
『――。了解した』
本来、『念話』に声色の緩急などという概念は存在しない。
だが、魔王の瞳に宿る途轍もない焦燥感は看破したから。
「――『起動』」
「ほう?」
ならば――とるべき行動は、唯一無二。
ガバルドは即座に万が一のためにとルシファルス家から支給されていたアーティファクトを、神速の勢いで発動する。
支給されたアーティファクトは、たった一つのネックレス。
それに付与されたのは――『集団転移』。
直後、ガバルドの詠唱に呼応し、それまで圧倒的な襲撃者の気配に腰を抜かしていた戦士や騎士たちの輪郭が掻き消える。
その事実に微かに襲撃者は目を剥くが、それ以上の動揺はない。
「君たちは、足止めかい?」
「いいやあ――違うよ」
そこらの有象無象の避難が完了したと、そう判断し――数瞬後、魔王は口元にどこぞの脳筋とそっくりな不敵な笑みを浮かべた。
「――滅ぼしてあげるよ。君を」
「じゃあ、滅ぼしてみたら?」
そう、嘲弄するような口ぶりの襲撃者へ、魔王なその指をタクトのようにしなやかに振るい――、
「――『天呑・禍星』」
そして――星が、堕ちる。
――『天呑』により生成されるのは、一種の異次元空間だ。
下界に干渉されることもなく、ただただ無機質なそれは、絶対的な城塞となり――時に、最高峰の矛にもなりうる。
アキラにより教わった『花鳥風月』により、多少なりとも己自身に刻まれた魔術を自分好みに弄繰り回す。
外界への干渉……可。
質量調節……今出せる最高峰のモノを。
速力……疾風迅雷の勢いで。
それらの、アキラでさえ数分は要するであろう迂遠な調節を天才的な采配によりほとんど一瞬で済ませ――、
「――『天呑・禍星』」
「――――」
己自身が繰り出せる最高峰の練度の星々を、刹那にも満たない超短時間で編み出した魔王は、その人差し指を銃口のように突き立てながら、『天呑』により莫大という形容さえも生温い質量の塊を吐き出していった。
「はあ……」
それを一瞥し、露骨に気だるげに溜息を吐く襲撃者。
(まあ……直撃したら死ぬな)
さしも襲撃者であろうとも、あの猛烈な純粋な質量という概念の具現化に相対してしまえば、容易く消し飛んでしまうだろう。
が――それは、襲撃者の身に魔術が刻まれていなかった場合の話である。
「つまんな」
「――――」
そして、襲撃者は、あろうことかその指先で、常人ならば余波で骨の髄まで消し飛ばすであろう『禍星』で触れ合う。
刹那――なんら抵抗もなく、『禍星』が欠片も残らず、霧散していったのだ。
「は?」
「ふわぁ……」
あまりにも意味不明な光景に、アンセルは絶句以外のリアクションを忘却してしまう。
『禍星』はアンセルが繰り出せる魔術において最高峰の威力を誇る虎の子であったのだ。
しかも、目標へ触れた途端意図的に『獣宿し』を生じさせるという過激すぎるおまけまでついている。
その威力は、それこそ『老龍』にさえも致命傷を負わせることが可能であることは、アキラからもお墨付きである。
それを、触れるだけで霧散させたのか?
――有り得ない。
「――遅い」
「――っ」
耳朶を打つのは、どこまでも辛辣な声音。
直後にアンセルの華奢な細身は冗談のように絶大な衝撃により吹き飛び、廃墟を貫通し続けながら、永久の彼方へと消え去っていく。
常人ならば、今何が生じたのは、理解の範疇を超えていただろう。
だが、常軌を逸した瞳をもつガバルドには、それを看破することができた。
(……蹴った)
それだけ。
本当に、それだけだ。
不毛な小細工を一切扱うこともなく、純粋な脚力で認識さえもできぬ程の、あの速力を繰り出せるのならば――、
「遅いなああッッ‼」
「ぐっ、ぁ」
刹那――ガバルドの輪郭が掻き消えた。
……今日、オリンピックだったんですね。
てっきりもうとっくの昔に中止されたかと。
……あれ、私って絶望的に国際情勢に疎いのでは!? と焦燥する今日この頃です。強く生きます。




