天使にほっこり
最近、沙織さんって実はむつっりだっていう設定を思案していたのですが、流石に天使を穢すのはちょっと……と断念しました。
……もしかしたら、忘れたころに実現してしまいかもしれませんね。
「――――」
跳躍。
次いで、右足を軸に独楽の如く回転。
そうして小規模な斬撃の乱風を作り出した沙織は、己を囲うように襲い掛かる蜥蜴たちの一切合切を切り伏せる。
依然手ごたえはなく、言うならば豆腐でも両断したかのような感触だ。
故に、浮き彫りになるこの違和感。
「成程……確かに、これは変」
「そりゃあそうなのだ」
嘆息しながら、メイルも龍爪へと転変された両腕をしなやかに振るい、深々と眷属たちに斬撃を刻み込む。
燃費が悪いという理由により肉弾戦に挑んだ沙織であったのだが、存外な程に手ごたえがなく、呆気なさよりも違和感の方が上回っているというのが現状だ。
「……メイルは、どう考えてる?」
「私たちを油断させて一網打尽……もしくは、戦力の温存?」
「ああ……」
成程。
メイルが述べた由縁はどれも的を射てそうであり、自分の不甲斐ない脳内では到底浮かび上がらないであろう回答に感心してしまう。
そんな沙織に呆れながらも、直後に瞳を険しくするメイル。
「……魔王様が討ち果たしたあの龍の力量は、素で相当のモノだったのだ。物量の起伏は知らないのだが、アレクラスの龍へどれだけの戦士が太刀打ちできるか……」
「メイルはどう?」
「……三分は、持てるのだ。でも、それ以上は、無理」
「――――」
メイルの力量は、『傲慢の英雄』にこそ劣るもの、中々の練度である。
そんな彼女ですら諦観する程の強敵。
(万が一の時は――)
否。
今は、それを考えてはいけない。
その選択肢を視野にいれるのは、メイルの見解が真実であると、そう証明されたその瞬間からである。
だから、今現在は、まだ、大丈夫。
――まだ、■なない。
「――ッッ」
後悔、悔恨、葛藤、嘔吐感。
生に縋ろうとした己自身へ嫌気がさしつつ、沙織は己自身の懸念を払拭しようと得物である大鎌を自由自在に振るい――、
「――沙織ッッ!」
「――っ」
直後、張り詰めた声音が強かに耳朶を打つ。
いっそのこと脊髄反射で跳躍し――直後に、肌を刺すかのような絶大ないい威圧感を伴う存在が、その吐息を吐き出す。
直後に数瞬前に沙織が滞在していた地点へ、氷結の雨あられが降り注ぐ。
「――結界術師っ!」
「承知ぃ!」
それを認識に、鋭利な氷槍のスコールに冷や汗を流しながら、メイルは参謀として的確な指示を部下へと下す。
氷結の五月雨がこれで終幕という証拠はどこにもありやしない。
ならば、少なくとも五体満足な今現在ならば、まだ猶予はあると、そう判断し結界術師たちへ声を張り上げる。
無論、強固な結界を張ることを生き甲斐とした結界術師匠だ。
それ故にメイルへの指示を待つこともなく、疾風迅雷の勢いで上級魔法に匹敵する程の硬度の結界を四方八方へ展開していった。
それを確認しながら、ようやくメイルは沙織へと視線を向ける。
「沙織、怪我は?」
「……一応、無事。せいぜい掠り傷程度」
「一応治癒するのだ。毒でも塗って合ったら面倒なのだ」
「まあ、そうだね」
ふと一瞥すると、確かに自己申告の通りに沙織の華奢な肩を抉るような微かな傷跡が刻まれているではないか。
どこぞのキ〇ガイが見たら怒り狂いそうな光景である。
(ニンゲン、こんな羽目になるなら沙織を物騒な戦場に配置するなよ)
そうあの憎たらしい少年に心中で悪態を吐くが、無論現状ではそれをわざわざ口にだすほどの余裕もないのだが。
なにせ――、
「――ッ! 沙織っ」
「分かってる!」
――なにせ、次の瞬間頭上から鋭利な氷結槍の雨あられが強靭な結界をいとも容易く瓦解させ、降り注いでいったのだから。
――死ぬ。
自分たちを死守するであろう結界はもはや紙屑同然であり、鎧程度では降り注ぐ凶器から身を守るのは到底不可能だと、そう察し、中には来るべき激痛に備え、その眼を閉じるものだってそこらかしこに居る。
が、結局のところその懸念は杞憂だ。
何故ならば――、
「――『炎狼』」
――木霊するのは鈴を転がしたような、澄み渡った声音。
聴くもの全ての荒んだ魂を癒すようなその声音は、やがて言霊と化し、そしてそれは魔力因子を媒介に現世へ顕現する。
そして、ありとあらゆる物質を灰塵に帰す爆炎が頭上を吹き荒れる。
落下する槍は、見るからにその原材料は氷。
それ故に、莫大な熱量には致命的で、その烈火に触れてしまった瞬間に蒸気へと成り果て、掻き消える。
その事実に誰もが安堵の溜息を吐く。
「――まだなのだ!」
「――ッッ!」
メイルは、そんな腑抜けた戦士たちの性根を張り飛ばす。
安然を得られるのは、四方八方のありとあらゆる害敵を皆殺しにしてしまってからである。
故に、その安堵はあまりにも致命的。
必然、その目に余る所業をメイルは声を張り上げてただしながらも、ちらりと傍らの沙織を一瞥する。
「沙織、スコールは終わったのだ?」
「……一応、ね」
「なら、魔力が無駄なのだ。烈火を解いてくれ」
「で、でも――」
仮に、張っていた炎熱の結界が解除されるのを見計らって襲撃でもされれば、容易く一網打尽にされてしまうだろう。
それ故に、メイルのその指示に怪訝な眼差しを向けるが、しかしながら親友の眼差しは真剣そのもの。
「――埒が、明かないのだ」
「――――」
「仮に襲撃者が沙織の魔力切れを狙っているのならば、必然待ち伏せするのだ。どうせ会敵するのなら、万全の状態からの方が望ましい」
「――。そっ」
成程、道理である。
沙織が展開した爆炎は結界でもあり、牢獄でもある。
沙織が生じさせる炎熱には微かに『赫狼』の魔術が付与されており、それ故に本家ほどでもないが、それでも無差別に一切合切を焼却してしまえる。
だが、その際に無意識的に魔力因子までも足蹴にしてしまい、内部から魔法・魔術を放つことができないのだ。
つまること、現状はジリ貧。
沙織の魔力とて有限だ。
この戦局が未来永劫持続する筈がなく、それならばいっそのこと自分自身からベールを剥がしてしまおうという算段か。
それがメイルが下したモノならば、沙織に異論はない。
沙織とて一般教養程度は身に着けているのだが、しかしながら日本生まれな故に戦術には非常に疎い。
当然のようにメイル以上の策謀を企てる某キ〇ガイとは異なり、沙織は至って常識的な価値観なのだ!
(……なるべく穢したくないなあ、この天使)
そんな常識人にほっこりとするメイルは、
「は?」
直後、胸元へとナイフが突き刺され、口元から大量の血反吐がこぼれていった。




