軽薄な
「――ふんっ」
「――――」
一閃。
鮮やかな軌跡は、容易く強靭な龍鱗を切り裂き、あまつさえその勢いを一切殺すことなく背後より奇襲する蜥蜴の寝首を掻く。
縫い目のないその洗練された動作はまさに天衣無縫。
青年は――ライカは、その華奢な細身にそぐわない膂力で的確に迫りくる脅威の一切合切を蹴散らしていく。
否、ライカからしてみればこの程度の雑魚、脅威ではない。
そのような観点から見れば、あるいはこれはただの蹂躙だ。
彼我の王が、愚昧なる害獣への、滅びの施し。
(……正に鬼神だな)
敬神する王の、その卓越した手腕に思わず帝国要人――グレンは唸る。
ただただ圧倒的。
かつて帝国において最高峰ともてはやされたグレンであるが、それもこの王が即位してしまうまでの話。
帝王の実力はお墨付き。
それこそ、かつて単独で龍さえも駆逐してしまう程であり、王国の『英雄』さえも霞んでしまう隔絶した実力者なのである。
かつて、直接対峙したからこそ、それが否応なしに理解できる。
グレンは踊り舞うライカに対し、ひそかに敬礼する。
帝国は実力至上主義だ。
強者を尊び、弱者を排斥する社会。
それこそが帝国であり、それは良い意味合いでも十二分に作用しているし、稀にそれによる弊害も生じてしまう。
それ故に、グレンがライカの大して敬意を抱くのは必然と言えよう。
無論、依然彼を上回ることを諦観する心算などない。
だが、今現在グレンと帝王との間に決して埋めることのできない彼我の距離があるのならば、必然彼も帝国人としての礼節を尽くす。
それこそが、グレン・ウェルカという男の生きざまである。
「――ッッ」
「ぐげっ」
踏み込み一閃。
グレンは体勢を傾けつつ、得物である鎖鎌を自由自在に蛇のようにうねらせ、周囲一帯の雑兵たちを一蹴した。
グレンとて首位ではないものの帝国序列二位。
それ故にその手腕は生半可なモノではなく、この程度の雑魚にどうこうされる筈もない。
「ふんっ」
断末魔の悲鳴さえも残しやしない、致命的かつ狙撃手かのような正確無比な斬撃は容易くそこらの眷属たちの首筋を狙い違わず切り裂いた。
「――ッッ!」
「ふむ」
その蹂躙劇が終幕し、グレンが新たなる害敵を駆逐しようと意識を傾けた刹那、それまで必死に気配を隠匿していた虎型の眷属が猛然と駆け出す。
(……どうやら、形相に関して、厳密なくくりがあるわけではないようだな)
そうでなければ、龍の身で誰がこのような形容になれようか。
そう推察しつつも、グレンは飛びかかる大虎の首筋を泣き別れにしてしまおうと鎖鎌を振るう――、
「――っ」
直前、蹂躙劇の最中、地中に微かな振動が。
「チッ」
この包囲陣の中では、回避もままならない。
しかしながら、どちらにせよグレン程の鍛え抜かれた強靭な肉体の持ち主ならば、虎程度、何の痛痒にもならない。
ならば、甘んじて負傷覚悟でまずは大虎を――、
「――甘いですよ、グレンさ~ん」
「――。チッ」
寸前、突如としてグレンさえも知覚できぬ超高速で何者から肉薄し、直後にその青年は鍛え抜かれた胴体へ触れる。
凄まじい動体視力で何が自己へ急迫しているのかを認識し、グレンは盛大に舌打ちをこぼした。
なにせ、それはあの厄介な相手に借りを作ってしまうのと同義なのだから。
「――ッッ!」
「も~ぅ。早く慣れてくださいよ~ぉ」
次の瞬間、グレンの輪郭がブレていった。
「――ッッ!」
それこそ、誰も彼もがグレンの存在を認識できない速度で強制的に滑走されてしまう。
その直後につい先程までグレンが仁王立ちしていた地点に、鯨程の眷属がその大口を開きながら飛び出す姿を尻目に、重苦しい溜息を吐く。
つくづく面倒な魔術だなと、そう内心で悪態を吐きつつ、部下の魔術の解放を心待ちにしているが――、
「あっ、できることならこのまんま進んでってくださ~い。あんまり人口は居ないんですけど、なるべく殺さないように~」
「なっ」
抗議の声音は、もはや出せない。
唐突かつ突拍子もない要求に瞠目するが、しかしながら軽薄な彼はそんなグレンの驚愕を意に介した様子もない。
面倒な……ッ!と内心でグレンは歯噛みしつつ、こうなった以上は致し方ないと開き直り、鎖鎌を構えなおした。
無論、その大鎌が薙ぎ払う対象は悪辣なる『老龍』の眷属のみ。
その巨体に見合った膂力で相当な質量の鎖鎌を振るい、直後に鮮血が宙を舞い踊った。
それこそ光の速度に達する勢いで滑走されつつも、グレンはその技巧を遺憾なく発揮していき、切り裂く相手を選別しつつ眷属たちの寝首を掻いていく。
やがて、あらかた相掃討に終幕が見え始めた頃合いに。
「――は~い。お終いで~すぅ」
「――っ」
木霊するのはどこまでも軽薄な声音。
それが耳朶を打った瞬間、いっそのこと慣れしたんでしまった超速は鳴りを潜め、直後に忘却していた自然の摂理を思い出した。
そしてグレンは慣性に従い、そのまま顔面から廃墟の一角へ激突していくこととなった。
何とかその脚力を遺憾なく発揮したのか、慣性の法則に筋力のみで抗い、何とか踏みとどまろうとするが、貫通こそしないもの、それでも勢いの一切合切を押し殺すことは不可能だったようで、頭部が廃墟へ突き刺さってしまうこととなっってしまう。
なんだかギャグマンガみたいなその光景に誰もが声を出せない中で響き渡ったのは、清々しい程の忌々しく思える軽薄な声音だ。
「ねえねえ、今どんな気持ちですか~ぁ? 帝国序列二位の重鎮がこんな痴態を晒した今の心境を教えてくれませんかね? ねえねえ、ねえ――あがっ」
「――へし折るぞ」
無論、今回の一件において最もたる被害者であるグレンが黙っていられるわけがない。
額に青筋を浮かべながら、がばっと青年の頭蓋を掴み取る。
「ちょちょ!? 死んじゃう、死んじゃいますよ、ボク!」
「遺言はそれだけか?」
「冗句! さっきのはちょっとしたお茶目で――」
「ふんっ」
「…………」
なおも言い繕うとする青年に嫌気がさし、グレンは掌に魔力を凝縮し、果実でも握り潰すかのように、一握り。
おや、青年の体から活力が抜けきったような……
いとも容易く実行された殺人事件に誰もが唖然とする中、グレンはそんな衆愚に構うことなく、少年を乱雑に投げ捨てる。
宙を力なく舞う青年であったが、不意にどこか柔道にも通じる動作を見せ、
「華麗に着地~ぃ、ですっ」
「……貴様のその適当な語尾、どうにかできんか?」
「お断りで~すぅね。貢いでくれるのなら検討してあげてもいいんですけどね?」
「俺、一応上司だぞ」
チラッ、チラッとグレンをあざとい仕草で誘惑しようとする青年へ注がれるのは、南極が如き冷たい眼差しだ。
「……ラッセル。おふざけは大概にしろと、そう進言したはずだが?」
「記憶にございませ~ん」
「あっそ」
轟音と共に青年――ラッセルの顔面が吹き飛ぶが、それもいとも容易く修復され、数瞬後には元通り。
つくづく面倒な輩であるなと舌打ちしながら、忌々し気にグレンはラッセルを睥睨する。
「ラッセル、貴様はいい加減その肩書に見合った相応の振る舞いをしろ。――俺と並ぶ、帝国四強としてな」
「はいは~い」
依然軽薄な態度を隠そうともしないラッセルはおざなりに返答する。
――帝国序列四位 ラッセル・グロンサン
それこそが、この男の肩書――、
「……で、お前は何をしに? 担当地区は異なる筈だが」
「いえね~ぇ。――ちょっと、報告が」
「――――」
そしてラッセルは、普段は見せないその瞳に鋭利な雰囲気を醸し出しながら、来訪の旨と、発覚した事実をグレンへ耳打ちしたのだった。
その実、七章では、多分あんまり帝国ズは掘り下げません。
彼らの本格的な出番はもっと先ですよー




