こ、この甘酸っぱい気配は……!
作者、百合はすきですよ
――死ぬ。
背筋が冷え切るような、そんな絶大な怖気が全身を駆け巡り、幾多もの修羅場により培った正確無比な警鐘がけたましく鳴り響く。
飾る言葉など不要。
頭上より超高速で飛来する吐息を垣間見た瞬間、瞬時に数百ものバットエンドを思い浮かべてしまった。
命を懸けても、躱さねばならない。
そう魂が如実に告げている。
だが、この距離、この速力だ。
「――っ」
飛翔するブレスの速力は、それこそ視界にとらえることさえも至難の業であり、更に液状という側面が回避の邪魔をするだろう。
速力は絶大。
更に、廃墟を覆い尽くすが如きこの超広範囲。
(成程な……)
今の今まで散々俺たちをおっちょこちょくってきたのはこのためか。
浪費が多大な大技を使うことはなく、されど十二分に俺たちがこの術式が完成するまでの足止めが、あの鉤爪か。
そしてその現状は、明らかにそれまで俺が危惧していた懸念の裏付けでもある。
(案の定、人間と同等……いや、それ以上の知能を有していやがる)
無意味にも歳月を浪費している分、無闇矢鱈と博識である可能性も十二分にあるなと、そう嘆息する。
相手はそれ相応の知能を持ち合わせている。
それ故に馬鹿正直に肉弾戦を挑もうとするのではなく、このような手法で一網打尽にする算段をたてたようである。
あるいは、先刻の俺の策略への意趣返しか。
いずれにしろ、性悪なことこの上ない。
なにせ、迫りくる脅威は計り知れず、更にそれに対処する際にも追撃を考慮しなければならないという縛りつき。
これほど他者を縛める戦術も中々である。
絶対絶滅。
現状を一言で整理するのならばこのたった一言で事足りてしまうだろうし、生半可な手段ではこれを覆すことは不可能である。
無論――、
「――『乱反射』」
無論、俺が生半可な方策を用意するワケがないが。
俺は懐から『滅炎』を納刀しつつ晒したその刀身は鮮烈な藍色に染まり切っており、その刀剣からは壮絶な威圧感がひしひしと伝わってくる。
それは某大貴族の改良故か、それともあの怨霊の仕業。
まあ、どっちでもいいがな。
「――ッッ」
レギウルスへの被害を考慮し、刀身が接する地点はなるべく上空付近に。
脚力を瞬時に強化しつつ、なるべく被害を減衰させようと俺は軽やかに跳躍、直後ブレスとの距離が目と鼻の先になる。
予想以上に到達が迅速な気がするが、まあ妥協するか。
そう心中で呟きつつ、俺は大気中に透明な足場を形成し、体制を傾けながら、鮮やかに、一閃。
直後にはそれまで肉薄していた『龍の吐息』も、その核となる部分に刀身が触れたことにより、軌道を強引に変更。
そしてその腐食の根源ともいえるブレスは、術師本人へと牙を剥く。
「――――」
爆音は、響かない。
どうも、先刻腐食龍が放ったブレスはその姿形にそぐい、対象をなんらかの手段で分解するといった品物なようで、必然衝撃音などは皆無だ。
だが、それ故に明瞭にブレスの脅威を目視できると言えよう。
「……やっば」
唐突に軌道を変速されたブレスは、次いで術師である腐食龍へと歯向かい、奴へと進路にそびえたつ廃墟の一切合切を腐敗させながら進みゆく。
その速度も尋常ではないのだが、問題なのはその効力。
ブレスが廃墟の一角へと触れ合った瞬間、まるで豆腐を押し潰すかのように、いとも容易く鉄筋を分解してしまったのだ。
廃墟とはいえ、ここはもと国家。
しかも、俺の記憶だと先刻瓦解したあの塔は王室に限りなく近い、『四血族』と似て非なる大貴族の別荘だ。
それ故に、相当防壁も強靭であるだろうし、襲撃への対策も行っているのだろう。
しかしながら、ブレスはそれらの一切合切を完全に無視し、通過と同時に完膚無きままに分解してしまったのだ。
(……俺じゃあ即死だな)
レギウルスとて即死の劇毒でも喰らえば流石に治癒は不可能なのではないだろう。
いや、あのゴリラのことだ。
あるいは素知らぬ顔で復帰している光景が瞼を閉じてもありありと浮かべられ、思わず場違いにも苦笑してしまう。
と、次の瞬間。
「チッ! 一石二鳥かよっ」
「うぉっ!?」
練り込まれた魔力から、おおよその進路を読み取った俺は、依然魔術師初心者なレギウルスを蹴り飛ばしつつ、即座に離脱。
本当に突拍子もない(レギウルスにとっては)にレギウルスは猛然と吠えようとした直後に――凍り付く。
奴もこの期に及んでようやく理解したか。
「――ッッ‼」
――直後、つい先刻まで俺が着地したその地点目掛けて、再度腐食のブレスが飛翔する。
おそらく、第一目標は反転したブレスの相殺か。
推し量るに、あの腐食に関して、腐食龍自体は真面に直撃したとしてもなんら問題はなかっただろう。
しかしながら、魔力反応から推察するに奴の間近には水晶龍や、総大将でもある『老龍』が待機している。
本人ならばいざ知らず、奴らがあの猛威に抗いきれる可能性は微弱であろう。
まあ、どうせついでに俺をぶっ殺せばいいなって思案して、この射線を設定したんだと思うがなと苦笑する。
「――っ」
無論、『月下』を併用しても良かった。
戒杖刀ならばいざ知らず、王国が誇る最高峰の錬金術師であるヴィルストさんが直々に改良したアーティファクトならば、容易にその役目を全うにするだろう。
が、ならばこのやり取りが無限に続くだけ。
否、それだけならばむしろ好都合。
俺が危惧するのは、腐敗ブレスの対処に追われ、『老龍』や水晶龍へ目を光らせることができないという点だ。
俺の秘策は有限である。
しかも、今回不測の事態で一機失ってしまっている。
無意味な駆け引きをして、それで下手打ってまだ残機が減少してしまえば、それこそ目も当てられない。
だからこその、この対応である。
「ということだ、レギウルス。別にお前を蹴り飛ばしたのには、それ相応の由縁があるんだよ。だから甘んじて受け入れてくれ」
「その心は?」
もちろんと、俺はサムアップしながら、満面の笑みを浮かべ、
「龍艇船の時に半殺しに近い重傷を負った件に関しての意趣返し。本心では『ゴリラざまああああ――!』って狂喜乱舞してるわ」
「そうかそうか。なら、今度は完膚無きままにぶっ殺してやんよ。ア”ァ?」
「ん?」
両者共に口元に笑みを浮かべているのだが、目は一切弧を描いてい。
なんだろう、この関係。
犬猿の関係だってことはまず間違いのだが、それにしてはどこか甘いような……
「――余所見か?」
足音さえもない。
直後、されどすり足差し足ではなく、正真正銘の全力の跳躍を披露し、淡色の頭髪の青年は何の前触れもなく、俺の寝首を掻いたのだた。




