寄り添た温もりが消えてなくなった時
まふまふさんの新曲、めちゃ楽しみです!
――こうして、この部屋に足を踏み入れるのは何度目だろうか。
少なくとも両手で数えきれる程度じゃねえなー、となんの益体もなく思案しながら、俺はすっと絶句するシルファーを見据える。
(……五分五分だとは思ってはいた)
ヴィルストさんならば俺の来訪をシルファーに伝達する可能性は無きにしも非ずであるが、どうやら今回は的外れであったらしい。
まあ、どちらでもいいかと考え直す。
どの場合でも、俺の成すことに差異はないのだから。
「うん? だんまりだけど、もしかして聞こえなかった?」
「ぁっ、ぇ」
「できることなら人間が理解できる言語を解して欲しいモノですなー」
「――――」
そんな軽口を叩く俺であったが、無論これもある程度は萎縮している精神も落ち着いてくれるかなーという希望的観測に頼ったがゆ故のモノだ。
そうでなくちゃこんな場面で戯言なんて幾ら俺でも吐かないと思う。多分。
まあ、そんな雑感はさておき。
「おーい、聞こえてるか、シルファー」
「――っ。どうしてっ」
「?」
ある程度由縁は察することができるのだが、唐突な俺の来訪に目を見開くことさえもできないシルファーへそう問いかける。
返答は、今にも掠れてしまいそうなか細い声音だ。
が、一転。
やがてそれは絶叫とも見て取れる品物へ豹変を遂げる。
「――どうして! 今更来たんですか!?」
「――――」
「あの時、私たちはお別れをしたんでしょ!? それでお終いなんでしょ!?」
「…………」
これまで一度たりとも見たことのない剣幕でそう吠えるシルファーの瞳に宿るのは憤慨、驚愕、拒絶。
そして――、
「どうして……どうして、忘れさせてくれないんですかっ」
「――――」
――色濃く刻まれたのは、隠しようもない悲哀であった。
いつしかシルファーの眦には幾つもの水滴が溢れ出しており、俺でさえ形容できない程に多種多様な感情が綯い交ぜとなっているのが見て取れる。
(ったく、後でヴィルストさんに殺されるな……)
もう既に生きて帰る大前提を瓦解させてしまった気がするのだが、しかしながらこの程度の苦難、甘んじて受け入れよう。
それに、最悪魔術使えばいいだけの話ですしね。
万が一にもないにせよ、ナチュラルに外道な発想をする俺である。
それはともかく、
「――俺がこの天幕に再訪するのが、そんなに疑問か?」
「――。当たり前じゃないですか」
「――――」
「だって、あなたにとって私なんて眼中にすらないんですよ!? だったら、そんな私に構ってないで、他の……沙織さんとやらの傍らに、寄り添えばいいじゃないですかっ」
「――――」
それは、あるいは絶叫だったのかもしれない。
あの馬車の一幕で、推測の域をでないのだが、こいつは憐憫を乞い、あんな醜態を晒してしまったワケだ。
だが、今は多分に異なる。
同情を誘おうなんていう私利私欲が一切含まれていないそれは、確かなるか弱い少女の腹の奥底から吐き出された本音。
それだけ動揺しているのか。
あるいは――、
(いや、これは俺の領分じゃねえな)
己の下衆な勘繰りを恥じつつも、俺は「はあ……」と心底呆れました! と言外に意思表示しながら、ちらりとシルファーを一瞥する。
「ホントに疑問なんだけど、どうしてそう思ったの?」
「そんなの、言うまでもありませんよっ。だって、あなたは沙織さんが胸が張り裂けてしまいそうなほどに好きなんでしょ?」
「否定はしない」
厳密には全身が弾け飛んでしまう程に意識していたのだが。
無論、空気の読める常識人はそのような無粋な事項をわざわざ述べることなんてしない。
端的な物言いに殊更瞳を潤ませるシルファーであったが、直後にその旨を焦がしたのは比類なき激情だ。
「なら! だったら、私なんて心底どうで――」
「ちょいちょい。色々と支離滅裂だぞ、シルファー」
「――――」
俺は肩をすくめながら、シルファーのその筋違いかつ強固に根を持った履き違えを一般常識を以て正すこととした。
「お前の主張を統一するとこうだ。俺は沙織のことがどうしようもなく好きで、だからお前なんか眼中にない。相違はないか?」
「――――」
「ハッ」
無言こそなによりも肯定。
そうでなくともその揺れ動く瞳を見てしまえば如何なる愚図であろうとも容易く理解してしまえるだろう。
まあ、俺の場合少々ケースが稀有なのだが、そこらの諸事情に関して詳細は省かせてもらおう。
さて――、
「そもそもさあ、この論理、ちょっと極端すぎると思わない?」
「――ぇ?」
「え? じゃなーくて。仮にお前が述べた理屈が真理ならさ、それはそれで気持ち悪くない? そもそも、だったら既婚者が浮気なんていう愚行をどうしてやらかすのかという疑念が残っちまうだろうが」
「そ、それは何かの間違いで……っ」
なおも言い繕おとうするシルファーへ、俺は薄笑いを浮かべ、囁く。
「――じゃあ俺もその間違いを侵してしまっていることになるな」
「えっ……」
唖然呆然。
そうとしか形容できない愕然とした表情をするシルファーに「末期だな……」と嘆息しながら頭を掻く。
(というか、あるいは求婚とさえ解釈できるような言動だったな)
と、先刻の語弊を招き入れるような発言に今更ながら羞恥心を感じながら、ちらりと絶句するシルファーを一瞥する。
「あー、一応訂正しておくけど、別に浮気宣言じゃないぞ」
「――っ」
どこか落胆するようなその沈痛な表情に「……嘘だと言ってくれよ」とはんば現実逃避しながらも、俺は補足する。
「ついでに補填しておくと、確かに俺は浮気なんてさらさらするつもりはないが――それでも、沙織だけを見詰めているだけじゃないってことだよ」
「――――」
「できていればまだ良かったんだな」と苦笑する俺をまじまじと凝視しながら目を見開くシルファーへ、俺は口元に弧を浮かべ、そして、語る。
「――俺はさあ、何も感じられないんだよ」
「――――」
これまで俺が抱えてきた、それを。
「沙織以外の人間……否、精緻にプログラムされた機会にさえ俺は心を許すこともなったよ。視線をうける度に、バケツに収まるほどの嘔吐感に苛まれたんだよ」
「――――」
「クソだって思った。人間なんて、沙織以外滅んでしまえって思った。それは三年前まで恥ずかしながらずっと一貫してたよ。でもなあ――」
「――――」
瞼を閉じれば、鮮明にあの情景が浮かんでいく。
片目だけ瞑目しながら、相反するように見開いたその瞳でシルファーを見据える。
「でも、三年前、沙織が消えた。いや、厳密には違う。でも、俺にとってはそれも同然だったんだよ」
「――っ」
「そうやって、ようやくいつも寄り添ってくれた少女がいなくなったとき、盲目な俺の瞳が、ようやく人間ってモンの本質を理解したんだよ。人間だって、がむしゃらに拒絶する程に醜悪な存在じゃあないって」
本当に、気が付くのが遅すぎるんだよな……と自嘲する。
「契機さえあったら、自然無闇に拒んでしまう悪癖が治ったよ。虚言混じりでこそあるが、それでもほんの少しだけおぞましい他人に、親しみを感じることができたんだよ。――だからさあ」
「――っ」
そして、俺ははにかむ。
あの日、気丈に満面の笑みを浮かべてくれた女の子をリスペクトしながら。
「――お前のことを眼中にねえとか、そんなことあるわけないだろ」
そう、言い切った。




