地獄の、その先
レギウルスやメイルさんってなんだか常識人に見えそうですけど、結局その根底に差異はありませんね。
なんだか、これだけ見たらあの人たちがスゴイ外道に見える……
――それは、緩やかに時は経った。
あの日、差し伸べられた手を訳も分からず握ってしまったその刹那から、シルファーの変わり映えのしない日常は大いに激動の時を迎えていた。
だが、それはまた別の話。
今現在、訳も分からずに背負わせれるシルファーにそんな幸せな未来が予想できる筈もなく。
「ったく、重ぇなあ」
「…………」
自らのことをアキラと、そう名乗った少年は愚痴を吐きながら、片手間でシルファーの華奢な体を背負いながら、淡々と進みゆく。
未だ轟音やら剣劇を思わせる強かな音が木霊するこの牢獄の中で余裕綽々なアキラの態度に、何故か途方もない安堵を抱いてしまったのは気のせいか。
と、硬質な足音が耳朶を打ったのを認識した瞬間、前触れもなく雪崩のように兵士たちがアキラへと急迫していく。
その腕には玩具の類ではない、容易く他者の命を切り裂いてしまえる鋭利な刃が握られており、思わず直後広がるその惨状に目を瞑る。
が――、
「ぶっつけ本番だな。 ――蒼海乱式・〈蒼穿〉」
「――ぁ」
加圧。
瞬時に限度まで圧縮された水滴は、もはや一種の弾丸と化し、故に容易く人肉を抉り、穿ってしまえる。
宙を舞う血飛沫に唖然とする中――不意に、灼炎が吹き荒れる。
「――。 ったく、加減して欲しいなあ」
「――――」
そう消え入りそうな声音でアキラは呟きながら、頭上に流星群を彷彿とさせる勢いで降り注ぐ業火を回避し、そのままシルファーを抱いた状態のまま死闘にその身を投げ出した。
互いの刀身が重なり合うたびに火花が咲き誇り――そして、唐突に物騒な舞踏会は終幕を遂げていった。
「そろそろ終いにするぞ。 ――『天衣無縫』」
「――っ」
刹那、不可思議な効力が作用し、仮面の大鎌の刃先が消えてなくなる。
「――潮時だ。 今はお暇しろ」
「――――」
そう、アキラが囁くと同時に強烈な脅威が飛び退き、そのまま疾風迅雷の勢いで抜け落ちた天上へと跳躍する。
それにアキラは「はあ……存外、罪悪感あるわー」と意味深な声音を吐き出しながら、シルファーを連れ、その牢獄から離脱していったのだった。
「――――」
やがて、いつのまにか生まれてこのかた訪れないであろう極度の疲労に疲れ切った体が悲鳴を上げ、微睡んでしまっていた。
目を覚ませばそれはカタカタと微動しながら進みいく馬車であり、シルファーの対面にはじっとこちらを見据える少年――アキラが居た。
「……ここは?
「おっ。 起きたか」
シルファーの目覚めにアキラは心底安堵したかのように頬を綻ばせる。
その笑顔にどうしても目が奪われてしまうこの不可思議な感覚に首を傾げながら、シルファーは対面の少年と雑談を交わし――そして、ようやく本題に入った。
「さて――本題に戻そう。 姫さん、あんたは自分の身に何が起こったのか、理解しているか?」
「――――」
下らない与太話で疲弊し擦り切れそうな心がようやくある程度は修復して、ある程度は会話も成立するようになった。
次第に目覚め直後故に満足に結論を弾き出す機能さえも欠如していた脳が今更になって正常化し――そして、バズルピースをはめるように、あの情景が脳裏に浮かんでいく。
「は、はい。 ある日、私たちは魔人族に襲撃され――死んだッ! 皆、私のせいで殺されたッ! 私のせいでッッ!」
思い出すのは、壮絶な使用人たちの亡骸だ。
――シ、シルファー様……せめて、あなただけでもお逃げになって
――がぁっ。 どうして、どうして……
――……………………
蹂躙される、無邪気に切り刻まれる。
哄笑と共に無作為に虚空に軌跡を描いたその深紅の刀身は容易くそれなりに鍛えられた使用人たちを細切れにしていく。
文字通り血反吐を吐き、それでもなお己の主から承ったその厳命を、身命を賭けても、確実に遂行するべく、悪足掻きを続けていく。
無論、相手は超常の存在。
しかも、使用人たちは護身用程度しか鍛えられていなかったのだ。
故に、結果は必然。
「存外! 脆ぇな! おいおい、あのルシファルス家の側近だから『紅血刀』まで持参してやったのに、なんだよなんだよ! 雑魚、いや、雑魚以下だけじゃねえか!」
「こら、レギ。 慢心は禁物なのだ」
「お? そうか」
「そうなのだ。 たとえどれほど表面上は蒙昧であろうが、その実まだ見ぬ魔術を隠し持っている可能性も十二分に考えられるのだ。 ――だから、灰も残さぬほどに切り刻んで」
「了解了解! 結局あんまり変わんねえな、オイ!」
「はあ……もうちょっと真面目に任務に取り組んだ方が賢明だと思うのだが……まあ、これはこれで……」
「お、おい、どうしたんだよ。 俺の顔に何かついてるか?」
「あ、……ああ! なんでもない、なんでもないのだ!」
「……まあ、そういうことにしてやるよ」
「何故に上から目線」
大男と少女を交わす会話は場違い以外の何物でもなく、鮮血が海のように溢れかえるこの屋敷にはまったそぐわなかった。
でも、それもある意味必然といえよう。
なにせ、『傲慢の英雄』と、その幼馴染にとってこの程度の暴虐文字通り日常茶判事であり、何の躊躇も感慨もない。
その、踏み躙る命をなんとも思ってない様に、忸怩たる思いが溢れ、涙が零れ落ちてしまうが、それがこの逆境を打破することは決してない。
「おいおい……餓鬼だってことは知ってたが、こいつまだ十四程度だぞ?」
「ふむ……存外若いのだな」
「……まあ、だからといって見逃すワケにはいかないがな」
「同感なのだ」
不意に、両者が生まれだての小鹿のように震えることしかできない哀れな少女へ振り向き――、
「にしても、哀れだよな。 ――こんな餓鬼のために死んでいったあの使用人たちも」
そして、何気なく言い放ったその声音が確かにシルファーの繊細な心を抉った。
自分のせい?
違う、これは使用人たちが勝手に……そう考えた直後、死の間際の彼らのただシルファーの身を案じる、曇りなき瞳を思い出し――そして、かつてない程の己を忌み嫌った。
どれほど、自分は腐りきってしまったのだろうか。
そうだ、仮にシルファーただ一人が狙いだったら、これまで慕っていた使用人たちが死ぬ必要なんて、なかったのだ。
逃げればよかった。
見捨ててしまえばよかった。
そうすれば、素直に彼らを恨むことができたのに。
だが、使用人たちはシルファーを置き去りにするどころか果敢に立ち向かい――そして、無惨に散っていった。
それを、彼らの勝手?
――心底、反吐がでる。
「――殺して」
「ん?」
その、退屈に過ぎ去った秒針の分だけ度し難い程に腐りきってしまった己自身へ嫌気がさし、自然そんな声音を発してしまう。
そう、これが自分のために散っていった使用人たちを意味不明なエイリアンのように捉えてしまった、自分自身への厳罰。
――否、これは救いだ。
眼球を抉りだしてしまいたくなるような、醜悪な現実に、自分自身から未来永劫目を背ける、最高の口実なのだ。
無論、それをこの残虐な魔人族たちが断る筈が――、
「――残念だな。 お前には、まだやってもらわなくちゃいけないことがある」
「――ぇ」
直後、『傲慢』が乱雑にシルファーの長髪を掴み上る。
耐え難い苦痛に呻く中、傍らの少女は痛まし気に眉を顰めながらも、決してその凶行を咎めることもなく、否、いっそ愉快そうに頬を歪めている。
その時になって、ようやくシルファーは己がどれほど幸せな温情に縋ろうとしたのか、否応なしに理解した。
それと共に『死』さえも霞む地獄が手招いていることも。
――そして、少女は絶え間もない自己嫌悪に苛まれ、地獄の奥深くへと、堕ちていく。




