忘れたくて喉を占めた過去に残した傷跡
あの歌から引用しました。
運営に駆逐されないといいなあ……
そうして紆余曲折あり、会議はようやく数時間後に終幕していった。
俺の立場は今回の一件の首謀者として、最後まで監修せぬばならない。
が――最後に一つ、やりのこしたことが。
「――いい加減、俺も向き合わなくちゃな」
「お兄ちゃん」
「ん? どした、妹」
と、俺がちょっとヘタれて目的地からほどよく遠い地点に転移してもらったライムちゃんがぐいぐいと袖を引っ張る。
「また、浮気?」
「止めるんだライムちゃん。 今町征く人々が俺のことを犯罪者を見るかのような眼差しで見ているから。
「お兄ちゃんって……」「シッ! 見ちゃだめよ! 妊娠しちゃう!」的な定番のやり取りが交わされていた気がするが、無視である。
「……あの人の事、好きなのかしら」
「俺はこの世に存在する沙織以外の女の子はみんなうんこだと思ってる」
「私は?」
「無論、比較などできやしない妹だ!」
「当然、私特別なので」
妹がチョロインで何よりである。
「……で、実際のところ、どうなの? 割と親しんでいるように見えたんですけど」
「うーん、なんて表現すればいいんだろうなあ」
「――――」
当初はルシファルス家に流入するための都合の良い手駒としか思っていなかったとしか言いようのない。
しかしながら交流を重ねていくうちにやがてその認識も、変化していき――、
「――まあ、悪くはないと思ってるわ」
「……ふーん。 ふーーーーーーんっ」
「……なんだよ、その疑いの眼差し」
「いや、お兄ちゃんもちょっと変わったなあって」
「――――」
俺とライムちゃんの実質的な付き合いなんてほんの数か月であったのだが……どうやら、彼女を前に常識など無意味であったらしい。
それはともかく。
「――俺は、きっと変わってねえよ」
「――――」
「いつまでも、あの子の笑顔が忘れないだけど、人の身で人になり損ねた、人もどきだ。 それは、何にも変わっていない」
「――。 そう思うのなら、それでいいわ」
「……なんだか引っかかる物言いだな」
ありとあらゆる戦局において、この少女が俺を裏切る可能性は皆無であるので、このような胸の内に秘めた思いも自然と吐露できる。
当初は面倒な輩と思っていたこの子であったが、どうやら今になってそれなりの愛着が湧いてしまったらしい。
恋愛?
否、断じて否である。
あの日から俺が沙織以外の女の子に目を奪われることなんて絶対に無く、その来歴はこれからも持続するのだろう。
故に、異性として意識してはいない。
言うならば……そう、妹だ。
どこにでもいる、普遍的な(ちょっと思い込みの激しい)妹。
それ以上もそれ以下もなく、当初は心底億劫だったこの子との生活もそれなりに楽しめるようになってきたなと自己分析する。
「――多分、シルファーもそうなんだと思う」
「――――」
「沙織以外の恋なんて知らないから、間違ってるかもしれないけど、アレはそういう形容じゃ表現できないな」
「――。 そう」
まあ、向こうが俺のことをどう捉えているのかはこの際度外視されてもらう。
何故かやたらと俺のこと視線で追ってくるし、時折挙動不審な態度があったりもしたのだが……きっと、気のせいなのだろう。
と、現実から逃避する俺へ、不意にライムちゃんが制裁を。
「お兄ちゃんの、女たらしっ」
「俺をナイフで刺した理由でそれだけなのかい?」
公衆の前で突如として生じてしまった事件に周囲の人々が騒然となるなか、俺は低出力の『天衣無縫』で記憶を抹消しながら、ようやく見えてきその屋根を眺める。
「――んじゃ、行ってくるわ」
「ん」
そして、俺は屋敷――ルシファルス・シルファーが居座す部屋へと、向かっていったのだった。
「――おや、久しいね」
「どうもっす。 その節はどうも」
「どういたしまして」
会釈する俺を笑顔で出迎えたのは、精悍な顔立ちの三十代程度の男だ。
しかしながら浮かんだ笑顔に反してその瞳は一切微笑んでおらず、実験動物を吟味するかのような冷徹な色が宿っていた。
まあ、それもこれまでの履歴を考慮してしまべあ致し方ないか。
男――ヴィルストさんは、目を細めながら早速本題へ切りかかる。
「さて……此度の『老龍』の件、主導したのは君だね」
「――。 根拠は?」
「色々あるけど、君がこの国から消えてから巻き起こった事件の数々を吟味していけば、どのような愚者であろうと必然的に勘づくと思うよ」
「一応情報は統制したんだけどなあ……」
「侮らないように。 ――私は、腐っても大貴族の一角なんだから」
「――――」
財力にものを言わせ、他国の情報まで仕入れてきたか……正直こうも把握しているとは、少々予想外である。
「それはともかく、悪巧みの準備は順調かな?」
「ええ、この上なく、ね。 本当に色々と面倒なことがありましたが、試行錯誤して乗り越えてきましたよ」
「ほう……流石、彼が見込んだだけあるか」
「――――」
彼、ね。
その不明慮な言動に目を細めるが、唐突にヴィルストから発生する違和感は霧散していき、影も形もなくなった。
代わりに訪れるのは――審問だ。
「――それで、君はどうして今更になってこの地に? 制作したアーティファクトならばとっくの昔に送ったと思うが」
「ああ、『羅刹』は本当に名作でしたね。 原型を多分に残しながらも、あれ程までに難点が改善されているとは。 正直嫉妬しちゃいましたよ」
「それは僥倖。 まあ、アレはちょっと恥ずかしい思い出だったんだけど……まあ、それはまた別の話だ。 そろそろ、来訪の由縁を語ってもいい頃合ではないのかな?」
「――。 はあ」
「――――」
適度に逃げ惑う心算であったが……どうやら、この人相手ではそれすらも叶わないらしい。
その事実に嘆息しながらも、俺は言葉を紡ぐ。
「――俺は、いつまで経っても変わりませんよ」
「――――」
「喜怒哀楽の感情も、人が感じて当然の筈の苦悩は、誰もが抱える葛藤も、あの時も、今この瞬間も、俺には到底理解できません」
「――――」
きっと、それは決して折り曲げることのできない、残酷な事実。
俺が幾ら人間であろうと足掻いたところで本質的に俺の魂が変動するのかと言われれば、必然首を横に振るうだろう。
救えない。
本当に、救えない魂だ。
だが――、
「――もう、拒絶するだけなのは、嫌なんですよ」
「――っ」
「俺はこの魂に生まれ、今回のようなケースを幾度となく経験しました。 その度に、俺は抵抗さえもせずにそれを手放す。 きっと今謝ったとしても、俺が本質的に変わらない限り、悲劇は巡り続けるんですから」
「……だが、今は異なると」
「そういうことですよ」
そうだ。
俺はいつだって他者と言葉を交わすのが億劫で、なによりも嫌われてしまうのでないかと、そんな恐怖に絶え間もなく苛まれていた。
だが――それは、今日で終わりにした。
そして――、
「――俺はシルファーに頭を下げ、そして一度やり直す所存です。 本当に、身勝手で済みませんでした」
そう、自己のコンプレックスとの決別を告げたのだった。




