実験
ようやく準備は整い、後はそれを履行するだけである。
「……さて、まずはどちらの要求を成し遂げるのかな?」
「お前でどうぞ。 俺はさっさと面倒な用事は済ませておきたい派なんだからね」
「承知した」
順番に関してもなんら揉めることもなく、ルインは少々脱線したもののしっかりと本題を切り出していく。
「単刀直入に聞くよ。 ――君の魔術は、一切合切を掻き消してしまう品物である。 これに相違はないかい?」
「補足はあるけど、概ね正解だよ」
「――――」
『誓約』を反故したことにより生じる天罰も不在。
己の見解は見当違いでなかったことを知り、安堵したように嘆息するルインを一瞥しながら、言及できなかった事項を補足する。
「ちなみに、消し飛ばせないモノは多分この世に存在しないと思うぞ。 少なくとも俺は見たことはない」
「ほう……なら、これは?」
「――?」
俺の補足を聞き入れたルインはふと薄い笑みを浮かべながら、懐――多分空間魔術でも使って収納しているのだろう――から禍々しい角を取り出す。
その角から溢れ出すのは莫大なエネルギーの奔流で、俺でさえも後ずさってしまうかのような品物である。
「……それは?」
「――『憤怒の禍角』」
「――――」
……聞いたことのないモノだな。
ある程度徹夜ともいえる勢いでこの国の歴史やらを学習し脳味噌に叩き入れた俺であるが、そのような品物聞いたことも見たこともない。
が、決して取るに足らないモノでもないな。
それは発せられる魔力が言外に証明されている。
(……闇に葬られたアーティファクトの類か?)
否、その認識はおそらく厳密には異なっているだろう。
アーティファクトの定義としてはなんらかの魔術が付与された品物であり、この角から仄かに感じる魔力は純粋な品物。
アーティファクトは複数の魔術が混在している印象だ。
しかしながら、明らかにこの角はそれに反している。
なら、アーティファクトでもないのなら一体全体これは……
「遺物さ。 彼のね」
「……遺物ってことは、もう既に死人と化しているってことでいいんだよな?」
「どうだろうね。 息の根は止まっていないけど、あるいはあの仕打ちは死なんてモノが生易しく思えるのかもしれない」
「――――」
その不可解な言動に眉根を寄せるが、今現在はルインが俺へ魔術の旨について問いかける機会である。
『誓約』が誤作動して面倒なことになったら目も当てられないからな。
『憤怒の禍角』の概要に関しては、また後程問うこととしよう。
「で? これをどうしろと?」
「消して欲しい。 君なら、できると思うよ」
「――――」
ルインは今この場で『天衣無縫』の実態を観察することこそがお望みだそうだが……それは不毛でしかないだろう。
なにせ、俺の魔術の場合掻き消したモノが存在したことさえも世界から忘却されていってしまうのだ。
そしてそれは『厄龍』とて例外ではないだろう。
(……さっさと終わらるか)
不毛としか思えない要求であったのだが、しかしながら『誓約』がある以上俺がそれを反故にするのは決して許されない。
面倒ではあるが、一応は実行するしかないだろう。
そう割り切ると、俺は即座に魔力を練り上げ、それと同時に『花鳥風月』により出力をある程度制限する。
相手は微少な角一本だ。
ならばこの程度でも事足りるだろう。
そして数秒後、ようやく準備が整い、俺は『憤怒の禍角』とやらへ照準を定め、その魔力を解放する。
「――『天衣無縫』」
『天衣無縫』はありとあらゆる存在を抹消してしまう。
その理屈はこれまでの経験から明らかであり、今日に至るまで俺はこの魔術の効力が絶対であると、そう信じて疑わなかった。
そして、その愚考への報いは容易く訪れる。
「なっ――」
「――――」
生成された暗黒の物体が確かに『憤怒の禍角』とやらに触れ――が、いつまでたってもその角が消え去ることはない。
眼下に広がる光景は幾度となく目をこすってみても健在であり、俺は当惑しながらそれまで温存していた魔力を解放した。
俺は生来魔力の自然治癒能力が高い。
故に、たとえ今この場で全力を発揮したとしても、朝起きた頃には魔力も全快しているであろう。」
「――――」
――本来、『天衣無縫』に出力なんて関係ない。
何故ならば『天衣無縫』により生成していった物体に何らかの存在が触れた瞬間、例外もなく掻き消えるから。
魔力を多用するのならばそれだけ範囲が広大であることくらいか。
しかし、今回は無駄を承知で暗黒物質の密度を圧縮させ、より確実に消去してしまえるように処置を施した。
が――結果は、角に亀裂が入った程度で、それ以上の進展が見受けられることはなかった。
「ハァハァ……おい、どういうことだ、ルイン」
「ほう……亀裂まで刻めるのか。 存外」
「――――」
その不可解な言動に首を傾げつつ、俺は荒んだ吐息を整える。
(クソッ……存外疲弊したな)
が、これだけの魔力出費であるのにも関わらず、及ぼした効力は亀裂を刻んだだけであり、心底報われない。
「――『憤怒の禍角』は、システムの中枢を担う者の遺品だ」
「――――」
「そもそも魔術はシステムにより構築されたのだから、そのシステムを支える存在に屈するのは自明の理だよ」
「……ああ? 意味が分からんな」
「ほう。 どこがかい?」
「んなの自明の理だろうよ」
あれ程までに、分かりにくく、なおかつ迂遠で前提条件の抜落ちた説明は未だかつて存在しないであろう。
「そもそも、魔術ってのはシステムから脱却しているからこそ魔術なんだぞ? じゃあなんでシステムが関連してるんだよ」
「……ああ、そういえば、まだ話していなかったね」
「――――」
どうやら、『厄龍』は幸いにもほとんど無意識的に俺の疑念をスルーしていたらしく、そういえばと嘆息する。
「――ヒ・ミ・ツ☆」
「死ねばいいのに」
何この龍、本当に害悪でしかないのだが。
「……俺の疑念はともかく、お前はお前で目標は果たせたか?」
「ああ――この上なくね」
「――――」
浮かんだその笑みは嘲笑とも、あるいは喝采しているのではないかと多彩な解釈ができてしまう複雑なモノで、俺にしてもその奥深くを推し量ることはできなかった。




