金欠なんだよ!
清くないけど清瀧事変です。
だいたい渋谷事変意識してしますね。
「――ッッ!?」
ここにきて、ようやくライカの容貌に動揺の色彩が浮かぶ。
その驚嘆すべき光景にグルンは瞠目し、そして『叡智の魔導書』とやらの概要を模索するが、生憎データ不足。
(『叡智の魔導書』……? 聞いたことないぞ)
グルンとて申し訳程度にアーティファクトの類に対する知識は多大で、有名なモノはある程度望来している。
帝王が動揺を露わにしたもだ。
おそらく、そのアーティファクトもそれ相応の品物であろう。
だが、どれだけ記憶を漁ろうがそれに該当するモノは出現しない。
一応、単純に忘れたという可能性もあるが――、
(隠語……か?)
それが事実であるのならば、発想は左程自分たちと差異はないだろう。
確かに、それならばほとんどのアーティファクトを既知とする賢者グルンの脳裏にそれがよぎらないワケがない。
だが、たとえそれが判明したところで戦局に齟齬はない。
(……振り出しに戻る、か)
例え隠語であることを見破ったとしても、それにより得られるモノなど、本当にたかが知れているだろう。
(……とりあえず、今後の会話に耳を澄ますとしよう)
そう結論づけるグルンを置き去りにし、大前提が抜け落ちた会話は続いていく。
「……何故、貴君が父上のことを?」
「国際機密だよ」
「それで果たして、頑固者の私がはいそうですと納得するとでも?」
「無論、思いもしない」
「――――」
意味不明な会話が持続し、周囲の面々は何を議題としているのか理解できていないようだが、問題はない。
何故ならば、当事者たちが否応なしにその大前提を心得ているのだから。
「……交渉、否、交換ということか」
「そういうことです、ライカちゃん」
「――。 訂正しろ、魔王。 確かに私の容貌が中性的なモノであることは首肯するが、れっきとした男だ」
「これは失敬を」
その揺さぶりに余計動揺しつつもライカをそれを巧みに隠匿する。
だが、突如としてもう居ないあの子のように呼称された事実に、大いに内心では慌て果てているのは言うまでもない。
(何故、この人が私が女だってことを……!? ガバルドくんは絶対にあり得ないし……ああ、本当にどういう意味なの……)
無論、嘆いたところで不利な状況は変動しない。
ライカは本来か弱い少女なのだが、王としての威信を示すという名目でこのように男装をしているのだ。
現状、それを看破されたのは彼女以外に存在しないだろう。
(とりあえず、今は落ち着け、私!)
このような局面において狼狽するのは愚の極み。
幾ら度し難い愚者である自覚があるライカであろうと、それを言い訳にする心算など、欠片もない。
この逆境こそ瀬戸際。
難解な局面を乗り越えてこそ、堂々と『帝王』と、そう名乗ることが初めて許されるだろう。
故に――精一杯、足掻かせてもらう。
「――一旦、貴君が私の個人情報の大幅を閲覧していることに関しては置き去りにする。 異論はないな」
「ええ。 焦点は手段などではなく、末路ですから」
そう素知らぬ顔で嘆息する魔王へ種族云々の事情など関係なく『シキちゃん』を呼び寄せたくなるが、自重する。
責任なんて負わされたらそれこそ顔向けができない。
「同意しよう。 では、本題だ。 ――私が仮にそれを望み、交換の場に応じるのならば、貴君は何を要求する?」
「――。 ふっ」
「――――」
その肯定的な意見に愉快下に頬を歪めながら、アンセルはさらりと返答する。
「――先刻私が提示したモノの達成ですよ。 できるね?」
「――――」
帝国も既に大国の一員。
しかも帝王の圧倒的なカリスマ性も相まって、同盟国の中でも上位層に君臨する、隔絶した存在なのだ。
その帝王が承認すれば、後は転がり落ちるようにことが進むであろう。
故に、何よりも真っ先に魔王はライカを堕と仕向けたのでらる。
(ホント……策士だね)
この一連の交渉の流れを俯瞰してみると、決して魔人族たちが野醜悪なる蛮族などではないことは火を見るより明らかである。
同盟相手としてその事実に嬉しく思いつつ、しかしながらその鋭さに素直に喜べない自分も存在する。
「――ならば、問おう」
「――――」
「貴君は、何故そうもその道を歩もうとする? そもそもの話、貴君ら魔人族と人族はつい最近までいがみ合っていた間柄なのだぞ」
「否定は、しない」
「――――」
既に同盟関係となり、友好とは言い難いもののしっかりとした基盤と共に停戦の戦局は問題なく成立している。
だが、それとこれは話が別だ。
人の想いは、存外計り知れない。
それをあの地獄の世界を瞼の裏側にまで焼き付く程に眺めていたライカだからこそ、否応なしに理解できるだろう。
個人の感情により世界の命運が左右することだって幾らでも有る。
この人間臭い世界においてどこまでも合理的に立ち回ることができる生物なんて、究極的に存在しないのだ。
故に、多大な怨念という感情は、手を取り合うのにあたって、大いなる障害となってしまうだろう。
それを理解できていない程の眼前の相手が愚昧ではあるまい。
だからこそ、疑問が浮かび上がる。
何故、この魔王は共存という選択肢が浮かんだ?
心底、理解できない。
比較的魔人族との因縁が薄いライカですらこれだ。
魔人族として多くの人族を屠り、そして多大な戦死者を出されたが故に、その首領にも私怨は存在するだろう。
否、それだけではない。
人族とは一切合切の諸悪。
それこそが、これまでのお互いの総意であった。
だが、一体全体どんなアクシデントがあったのか、今や傭兵は愚か、この魔王ですらそれに躊躇いがない。
これを異常事態を言わずして、何というのか。
「答えろ、魔王。 その返答により、この世界の命運が分かれると知れ」
「……随分とプレッシャーを加えてくるね」
「気にするな。 ただの下らん仕返しさ」
「十二分に気にするよ」
「そうか」
にべもないライカの返答に青筋を浮かべながらも、魔王は冷淡と、それでも一節ごとに多大な思いを込め、告げる。
「――金」
「は」
そのあんまりな諸事情に、思わず真顔こそがデフォルトと化したライカですら気が緩んで噴き出してしまった。
金だ、金。
眼下の魔王は、切実に金欠を訴えたのだ。
この渾身のジョークを披露されてしまえば、機械であろうが爆笑してしまうだろう。
「アッハッハ、あー、久しぶりに笑った」
「……ジョークの心算じゃないのだがね」
「私にとっては同義だよ。 ――だが、気に入った」
「――――」
帝国の傾向は、誰しも我を通しやすい性格であることだ。
ライカは帝国人の中でも珍しく民主主義を掲げるお人好しであるのだが、その本質はなんら変質などないだろう。
故に――、
「――いいだろう。 貴君の申し出、快諾しよう」
「――。 どうぞよしなに」
そうして、交わされた握手と共に、動乱の円卓が終幕する。
そして――始まるのだ。
――かつてこの『約定の大地』へと未曽有の厄災を齎した『清瀧事変』の、その延長戦が。




