愉悦と
「――――」
温かな陽光が世界を吞みこんだ。
その瞬間それまで悶え苦しんでいた人々の一切合切が微動だにしなくなり、いっそのこと死んでしまったようである。
しかしながらそれまで彼らの体に刻まれていた火傷が綺麗さっぱりに掻き消えていることから、少なくとも即座に死ぬことはないだろう。
無論、生き足掻いたエクアドルも例外ではない。
――誰だ、彼は
分からない。
理解できるのは自然なたずまいから己を遥かに上回る隔絶した強者であることだけであり、そんな覚束ない自分自身に歯噛みする。
「もう大丈夫。 増援だよ」
「――――」
一瞬。
燦然と煌めく太陽と重なったその影は小さく、それこそ凝視していなければ判別できない程に微小な笑みを浮かべる。
不意に胸の内を満たしたのは不思議なことに安堵であった。
可笑しい。
龍なんていう規格外の存在を前にして、何故最底辺の騎士が安心しきっているのか、自分自身が信じられなくなる。
でも、それでも。
エクアドルは焼き爛れた声帯でたった一言に死力を尽くしながら、それでも確かに発する。
「――ありがとう。 後は、頼みましたよ」
「――。 もちろん、だとも」
不敵な笑みを浮かべるその青年の姿はどこまでも頼りがいがあって。
事実を知る者から見ると青年は酷く滑稽に思えるだろう。
なにせ今現在エクアドルが心の奥底から感謝してやまないこの青年こそが怨敵魔人族を統べる王、即ち『魔王』。
そんな存在に深く頭を下げるなんて。
それこそ、死刑されても可笑しくはないだろう。
でも、きっとエクアドルはその事実を知っても魔王への態度を改めることはないだろう。
一人の騎士として、否、人間として。
それがたとえどのような非道であろうと、それで多くの人々が救われるのならば、エクアドルは喜んで悪魔に魂を売り渡すだろう。
「は」
それに、何が可笑しいというのだ。
恩を受けたのならば腰を折り頭を下げる。
それこそが社会人として至極当然の礼儀であり、そしてそれを無下にするのは一介の騎士であるエクアドルには不可能だ。
――期待してますよ、恩人
もはや、エクアドルが意識を保ち続ける理由はどこにもない。
なにせ満身創痍かつ臨死体験をしてしまった弊害だからか頭が思うように動かない現状では真面に戦線に復帰するなど不可能だろう。
ならば、それは既にエクアドルの仕事はやり遂げたという証明。
それが成された今。
「――――」
そうして、エクアドルは静かに、されどどこまでも安らかで晴々とした表情で瞼を閉じ、意識を暗転させていったのだった。
「ふ」
思わず、笑みが浮かんでしまう。
魔王アンセル・レグルスとてそこらの傭兵よりはまだマシだが多少なりとも人間に対する偏見があった。
それこそ、満身創痍の命を拾われても謝辞一つ述べない愚昧かつ一切の礼節を弁えてない存在だと。
「――――」
実際相対したスズシロ・アキラはそういう類であったし、類は異なれど人族の『英雄』も魔王が思い描くモノとは大きく異なった。
故に己の認識は間違ってなどいなかったと、そう言外に明言されたと捉え、それを疑うことは決してなかった。
――今日この日に至るまでは、の話だが。
『――ありがとう。 後は頼みましたよ』
不意に、長寿の魔王からすると赤子のようにも思える人物により発せられた声音がフラッシュバックする。
なんてことはない、それはありふれた言葉だ。
貰いうけた恩に足して礼を述べる。
そう、月並みにありふれた文化。
しかしながら、礼儀を誰よりも重んじる魔王が見てきた中で、それを満足に成し遂げた者はどれだけいよう。
それが人族ならば完全に論外である。
敵対者に礼節を重んじる戦士などどこに居ようか。
だが、あの青年はそうして固められた固定概念を、たった一言でぶち壊してしまったのだ。
「は」
可笑しい。
本当に可笑しい。
退屈で、ただただ書類と格闘するだけの日々をのうのうと生きていた魔王は、自分自身に失笑していた。
――嬉しい、だなんて
どれだけそれを抑圧しようおとも、溢れかえって仕方がないのだ。
そんな、怨敵であり怨嗟の象徴である人族にはあまりにもそぐわない感情に戸惑いつつ、きっと心のどこかではそれを歓喜しているのだろう。
その思いは、魔族を束ねる魔王にとってある種のダブー。
民たちが忘れようとも、友人が死体となって焼き尽くされていくあの情景を二度と忘れてたまるものか。
故に、人族に対しての怨嗟は健在である。
だが、今はそれ以上に自称騎士の思い描く未来が『楽しそう』で。
王とは、民を統治する立場の者だ。
その権力故に断じて私利私欲でその権威は振りかざしていいモノではなく、アキラと『誓約』を結んだのもやむを得ない事情があってのこと。
でも、きっとあの瞬間魔王は面白うそうなことが起こりそうだと、そう心の片隅で思ってしまったのかもしれない。
それが真実なのかは魔王自身も定かではない。
だが、今はそれを考える必要性はない。
「――任されたよ、『青年』」
魔人族にとっての常套句であるニンゲンではなく、固有名詞であるその名を呼んだ魔王は、不敵な笑みを浮かべながら眼下の龍を見据える。
「さて、龍。 楽しませてくれよ?」
「――ッッ‼」
轟く咆哮。
魔王はそれを意に介した様子もなく、凄惨な笑みを浮かべながら懐から大剣を取り出し、虚空に足場を生成していく。
一閃。
「――――」
「がぁっ」
目にも留まらぬ膂力で振るわれた大剣は容易に龍の強靭な鱗を喰い裂き、更にその先へ食い込んでいく。
失笑。
想定以上に呆気ないその脆弱さに魔王は心底失望したような顔色をし――刹那、吹き荒れる爆炎に再度笑みを深める。
「――『爆流』」
「成程、それでも力を抑えていた方かい。 身勝手に見限って悪かったね。 詫びに全身切り刻んであげるよ」
「――――」
不敵な笑みを浮かべ、即座に魔王は莫大な魔力で脚力を強化。
幼児が垣間見た瞬間卒倒してしまいそうな恐ろしい眼光で龍を睥睨しつつ、形成した足場を踏み砕き、前へ、前へ。
無論、目標は悠々と爆炎を纏い宙を舞う爬虫類。
「――殺す」
「――ッッ」
それだけ。
まるで恋人が視線だけで通じ合うように、魔王は酷く端的に溢れ出る思いを表明し、そのまま虚空を切り裂いていった。
実をいうと魔王にこんな設定なかったんですよね、はい。
ですが私って筆が乗ってるとき変なことばっかり思いついてしまうので、このようなカンジになりました。
どうぞお許しください(土下座)




