降臨
七章ではヤツは一切登場しないといったな?
アレは嘘だ。
そもそもプロローグの時点で登場していますしね!
人質を用いた脅迫は、基本的に一度相手の要求に従ってしまえばエスカレータ形式でどんどん悪化していくと相場が決まっている。
そうアキラが退屈そうに語っていたのを思い出しながら、疾駆する。
「――――」
「――!? 彼らがどうなっても――」
「――どうぞご自由に!」
「えっ」
確かに、自分なんかのせいで同僚が傷つくのは本当に申し訳ない。
カメンとしては土下座でもして謝罪したい所存である。
だがしかし、カメンが負う心の傷を度外視すれば特攻というこの愚鈍な選択肢は実のところ割と的確なのである。
本来ならば愚昧の極みと断じられても可笑しくない強行。
しかしながらそれは治癒魔法を習得していない場合に限る。
「――『回天』」
「――っ」
カメンの詠唱に呼応して仄暗い陽光がレギウルスとメイルを覆う。
『回天』は魔力が途切れない限り永遠とその者の生命を癒し続けるというチートとも形容できる魔法だ。
それをカメンは、展開する火炎の余剰分を残し不要となった魔力の一切合切を『回天』へ回していく。
故に。
「なっ」
「――――」
恫喝だけでは事足りないと判断し、横たわるメイルの首筋へ頸動脈は避けて――されど十分致命傷とばる傷跡を深々と刻み込む。
だが、それは一瞬だ。
刹那、彫られた傷跡は一瞬にして仄かな陽光により取り除かれ、健在そのものに。
魔法の威力は、基本的に魔力の出力によって大いに変動するが故にこのような現象も可能となるのだ。
しかしながらもちろんその代償も大きい。
「――ぁ」
固い廊下を強かに踏み込んだ直後、世界が揺れた錯覚襲われる。
分不相応にも多額の魔力を浪費し続けたが故の代償である。
多大な魔力を消費したことによってカメンの意識は朦朧とし、魔力不足から生じる倦怠感のせいで一歩一歩が酷く億劫だ。
眩暈が方向感覚を狂わさ、いつ転倒しても可笑しくはないだろう。
重症と言うべき傷跡を刹那で修復する魔法を行使すれば、無論その報いは大きい。
残る魔力を最大限の効率で体中に巡らせ、未だかつてない疲労困憊な状態に体中が悲鳴をけたましくあげている。
だが、今駆けなければ何の意味があろうか。
走れ。
ただそれだけでした己の価値を提示できないのならば。
「――『赫炎』ッッ」
「――――」
なけなしの魔力を振り搾り、大鎌に爆発的なエネルギーを宿らせ、太陽が如き熱量へと発火していく。
世界を鮮やかな深紅の炎が占め、爆炎の世界の中を駆け抜ける。
人質の攻撃は無意味だと悟ったのか、即座に不利を悟り『気化』することによってビルドは退避するが――、
「――逃れられるとでも?」
「――っ」
しかしながらカメンが死力を尽くし展開していった多大な熱量を誇る爆炎の海が、その道を遮った。
カメンの『赫炎』は世の一切合切を焼却してしまう。
それは決して触れることを許さぬ気体状となった今でも同様。
魂がこの先に進むのは危険、無謀だと警鐘を鳴らしたのかビルドは迂回しようとし――目が合った。
合って、しまった。
「燃えて。 ――『赫炎』」
「――――」
あるいはアキラの『天衣無縫』と負けず劣らずの能力を持つその大鎌がビルドの鍛え抜かれた筋肉を灰へと――、
「――はーい、お終い」
――そして、カメンは再度世界の悪意を体現したかのような醜悪極まりなき存在と対峙してしまった。
「――――」
――『それ』は、おぞましき人物だった。
彼が吐息を零す度に世界中から搔き集めたかのような悪意と怨嗟の慟哭が聞こえてしまい、耳を塞ごうともそれはこびりついて離れてくれない。
その青年から派生するモノの何もかもが直視できない程残酷で。
「――――」
――『それ』は、唾棄すべき人物だった。
彼という存在そのものが神が犯してしまった取り返しのつかない過ちだと刹那で想像ついてしまう。
彼こそがこの世界の悪意を集合体であり、同時に万物の害敵。
そう、魂が叫んでいた。
「――――」
――『それ』は、おそろしき人物だった。
彼という存在を視認した瞬間、魂が揺らいでいた。
嫌悪、侮蔑、軽蔑、敵愾、恐怖。
彼に対してそれらの感情を抱いた瞬間容赦情けなく自らの命が完膚無きままに吹き飛ばされる光景が幻視できる。
「――――」
――そして『それ』は、『厄龍』であった。
「――やあ、初めまして。 久しぶり。 お疲れ様」
「――――」
鮮やかな紫紺の瞳を揺らめかせ、射抜く。
ただそれだけで足が震えてしまい、吐き気さえも差してきて、気丈に振る舞わなければ泣いてしまいそうだ。
まさに、常外の存在である。
「――――」
彼が何の前触れもなく降臨した瞬間、世界から音という概念が跡形もなく消え去り、静粛に満たされる。
動くな。
呼吸さえも地雷になりかねない。
そんな恐怖がこの場に佇み、固まる全員を支配していた。
「おやおや、静かになってなによりだよ」
「――――」
その雰囲気はどこかアキラに通じるモノがある。
が。
しかし、相容れない。
確かにアキラは時に冷酷で、その性根は腐りきっているともいえるが、それでも誰かを愛し、その誰かを守り通すと誓った。
だから、違う。
「やあ、ビルド。 健在かい?」
「……申し訳ございません」
「いやいや、君はよくやってくれたさ。 君は本当に優秀だ。 おかげで僕がこうして直接顕現することも少なくなった」
「――――」
「――次は気を付けるように」
「――御意」
いっそ土下座する勢いで首を垂れるビルドは中々に不憫に思えるが、しかしながら今はそんなことは些末だ。
今は唯、生きることに尽力しなくては。
「さて――」
「――――」
ちらりと、『厄龍』――ルインは目を細めながらがら、愕然とする少女を一瞥していた。
「僕の用事は――君だよ、カメン君」
そう、立ち尽くす少女に飄々と語り掛けたのであった。




