――『魔王』
ウチの猫がたまらなく可愛いです
あっ、そういえな今更ですけど私猫飼ってます。 多分五歳くらいです。
「――――」
それは、この世の、ありとあらゆる人々を見惚れさせ、神でさえも羨む人外の美貌の持ち主であった。
それは、如何なる歴戦の猛者であろうとも必然的に膝を屈してしまうような、圧倒的な威信を存在のみで確かに示していた。
それは、たとえ『神』であろうとも辿り着けぬ魔術の極地、それすらも霞む秘境にすらも足を踏み入れた人物であった。
――人は、それを『魔王』と畏敬する。
「――やあ、みんな久しぶりだね」
その微笑みは、場違いな程にどこまでも穏やかで、この殺伐とした雰囲気からは最も疎遠な微笑でもあった。
メイルは土下座に近い姿勢で深々と頭を下げ、壮言な口調で述べる。
「――魔王様におかれましては、ますます壮健でなによりです。 ますますのご活躍を切にお祈り申し上げます」
「――――」
その挨拶に目を細め、魔王アンセル・レグルスは目を細める。
「さて、早速で悪いんだけど、本題に移ろうか」
「承知いたしました」
傍らのビルドは特に『魔王』の絶対的な威厳に畏まることもなく、やけに自然体で頭を下げながら口を開く。
「今回こうして謁見の場を設けたのは他でもありません。 レギウルス・メイカ率いる軍隊に関して、多大に不可解な点が見受けられます」
そう厳然と申すビルドを横目にアンセル。
「メイル君、何か反論は?」
「――。 有りません」
「そうかい。 詳細を」
「承知いたしました」
「ゴホンッ」とわざとらしく咳払いをし、ビルドはこの王室の隅々にまで響き渡る音量で声を張り上げる。
「先日亜人国へ派遣したレギウルス率いる舞台でしたが、こうして帰還した今となっても変わらず貿易は行われている始末。 亜人国には結界らしき物質が覆っておりますが、しかしながらそれだけでございます」
「――――」
「これは目的を果たせなかったという解釈で宜しいのですようか、メイル殿」
「ええ。 異存ないのだ」
「それは行幸で」
魔王アンセル・レグルスは依然として平穏な雰囲気を醸し出しているが、その双眸の奥は肉食獣を彷彿とさせる輝きが宿っている。
そんな『魔王』に冷や汗を掻きつつ、己の罪状が読み上げられるのを生きた心地のしない心境で聞き届けるメイル。
「しかしながら乗客していた傭兵たちに話を伺うと、曰く『自分でも何が目的でリヴァイアサンに乗ったのか不明瞭』だと、要領を得ない発言ばかりです」
「――――」
「このような事態、未だかつて起こり得なかったモノであり、異常事態でもあります。 ――ですから」
「――――」
一瞬だ。
一瞬、メイルは何もかもを見透かすようなその双眸があの道化師と重なって見えてしまっていたのだ。
だがしかし、その驚愕も束の間。
そんなイレギュラーな事態が些細な世間話に思えてしまう程、自分たちと取り囲む人々の瞳には敵愾心が溢れている。
「――ご説明を、メイル殿」
「――。 承知、したのだ」
――かつてこれほど心の臓が高鳴ったことはあったのだろうか。
思い出せない。
既に爆音にまで成長するこの拍動こそがメイルが今しがたどれほど内心で冷や汗を流しているのかを何よりも表していた。
「――――」
魔人国は非情だ。
多を守るために小を切り捨てる。
それまでの『魔王』は極悪非道を体現したかのような人物は、はたまたその逆の心底心優しい愚者など多くのれぱがある。
だがその中でも今代の『魔王』は歴代の魔王の中でも最も冷酷で、それでいて不思議な包容力を醸し出す人物なのだ。
もし彼がメイルたちを『小』と判断すれば、確実に死ぬ。
魔王の言葉こそが真理であり、その他大勢は不毛。
それこそが魔王至上主義である魔人国に生まれ育った者の思考回路であり、そしてそれはメイルたちも共有している。
だがしかし。
こうしてその機械さながらのおぞましい光景と相まみえると――どうしても、気持ち悪いなんて思えてしまう。
「亜人国は、手段こそ不明なのだが我々の動向を見透かし、ある結界を展開したのだ。 その結界の名は――『大祓詞』」
「――っ」
微かに、周囲の気配が強張るのがありありと理解できた。
「それではなぜ、未だ貿易が行われているのです?」
「……ルシファルスの当主の仕業なのだ。 今代の当主は随分と出来がいい。 おそらく、内部からの干渉を許容するように改したのだろう」
「ふむ……」
考えを整理するように俯き沈黙するビルドを横目に、メイルは最低限のラインには到達したと喝采する。
今回の目的は時間稼ぎ。
現状謀反者の所在地を特定するアーティファクトが存在する以上、逃走は魔人国へ足を踏み入れた以上不毛。
ならばこうして不用意に警戒させることなく、注意を自分たちへ集中させる方が幾分かはマシである。
「――なら、傭兵たちの記憶に関してはどう説明するのかい?」
「――――」
「もちろん、説明できるよね?」
「――――」
穏やかに微笑む『魔王』からはおぞましい程の威厳と鬼気が溢れ出しており、ただそれだけで周囲の温度が数度程度下がった気がした。
回答を間違えれば死ぬ。
極度の緊張に頬が引き攣り、声が掠れて――、
「んなこと言われても、分からないことを説明しろってね? 無理難題って言葉知っていますかいな?」
「もちろん、既知の情報だよ」
「それは良かったですね」
しかしながら立ちすくむメイルの代わりに声を発したのは『傲慢の英雄』レギウルス・メイカである。
流石に魔王相手にため口で会話を交わすことはないが、それでもその横暴な態度はどこまでもこの厳粛な王室には場違いで。
必然、周囲から殺気が吹き上がる。
それこそ魔王の一言で今すぐ『英雄』に飛びかかる程の剣幕である。
しかしながら『傲慢の英雄』は己へ向けられる殺意をそよ風程度にしか感じられないように平常そのものである。
「レギ、もうちょっと礼儀正しく……」
「――魔王様」
不意に、どこまでも底冷えした声色が響き渡った。
「――いつでも、ご命令を」
「――――」
魔王を誰よりも敬愛するビルドは、能面のような無表情で眼前の愚者へその大罪への応報を願望する。
レギウルスの行動はどこまで愚かであり、何の有意義さも見いだせない。
だが――窮地に立つレギウルスが浮かべたのは悲痛や後悔などではなく、獰猛で凄惨な笑みであった。
「場は整えてやったぞ、アキラ。 ――さっさとフィナーレでも飾れ」
「――――」
――刹那、その言葉に呼応したように砂嵐と共に電子音が響き渡ったのだった。




