絶望と復讐の淵で・下
ケモミミ巫女尊し
「――――」
やがて視界は輪郭さえも満足に映すことなく、ただただ霞んだ気味の悪い景色だけが広がっていた。
体を走る激痛は脳が限界を迎え、既に消え去ってしまっていた。
呼吸や拍動すらも覚束ない中、何故か鼓膜だけは正常に働いてしまっている。
「――僕はねぇ、貴方が好きだったんですよ」
「――――」
「聞いていますか? 聞いていなくてもどうでもいいんですけど。 所詮、僕の自己満足ですからね」
「――ぁ」
「ああ、生きていましたか」
微かな吐息が認知され、されどそんなこと彼にとって些末なことでしかない。
ただただ、そこにメイルという魂が有れば、それでいいのだ。
ヨセルは目を細め、二人の戦いに巻き込まれ倒壊していった建築物に横たわる、メイルを見下ろす。
「僕は、貴女が好きだったんですよ」
「――――」
「でも、貴女の視線にはいつもレギウルスが居る。 僕の気持ちが、貴女には分かりますか? 分かりませんよね?」
「――――」
「レギウルスは、本当に完璧ですよ。 生ける伝説とばかりの圧倒的な力量はもちろん、一人の男として本当に魅力的ですよね。 僕なんかよりも」
「――はっ」
「?」
不意に、倒れ伏すメイルが滔々と自分の言葉に酔うヨセルを我に返す。
瀕死の重傷を負ったメイルは、命乞いするわけでも、不条理な世界を嘆き、絶望するわけでもなく誰かさんとそっくりな不敵な笑みを浮かべる。
その高潔な態度――まさに、『龍』。
故に、結果は必然。
「お前は……本当にとんでもない見当違いなのだ」
「――。 どういう意味で?」
「お前が神聖視するレギはそんな完璧な奴じゃないのだ。 不器用で無遠慮で、でもそれでもやたらと初々しくて」
「――――」
「お前が憧れる、レギはただの空虚な妄想なのだ」
「憧、れる……?」
そして、メイルのその嘲笑はヨセルという青年の一番弱い琴線に触れてしまい、刹那激情が溢れ出す。
憧れる?
見当違いも、甚だしい!
「訂正しろッ!」
「――っ!」
激情のままに羽根を即席の短刀を構築、そしてそれを力強く握り――メイルへと振り下ろしていった。
流れ巡る『龍』の血によって自然に回復していた傷跡が再度、鮮血と共に噴水のように噴き出される。
「僕が、レギウルスに憧れる? ――笑わせるなッッ!」
「――――」
「レギウルスがどれだけ僕を傷つけたと!? どれだけ無自覚に無慈悲な現実を突きつけてきたと!?」
「――――」
「僕はレギウルスに復讐するために全てを捨てた! 魔人族としての人権も、寿命さえも捨てた! 体だって『亡霊鬼』に改造された! だからこうして貴女を圧倒できている! 貴方は、そうに至るまでの全てを否定するか!」
「――――」
「――誰が! そんなヤツに憧れるかァッッ‼」
体を突き動かす情熱と憤慨に愛していたはずの少女の脳天をその鋭利なナイフで突き刺そうと――、
「――そんなんだから、お前は敗北者なのだ」
「――――」
そして――竜巻のような烈火が、吹き荒れる。
「――――」
喉から溢れ出した炎熱は容易にヨセルという脆弱な肉体を滅ぼし、焼き尽くそうと存分に猛威を振るう。
ヨセルはメイルの脳髄を刺し貫き、不都合な意見を押し潰そうとするのに必死で、羽根の展開は遅れてしまった。
眼球を満たしてい水分の全てが一瞬で蒸発、沸騰し体中から液体という液体が大気へと無作為にぶちまかれる。
灰と化した物質は即座に灰塵さえも消え去っていく。
「――お前は、どこまでも敗北者なのだ」
呟くように、弔うようにそう呟く。
その瞳を彩るのは、殺意や憎悪などではなく、かつての友人を殺めたことに対する悲痛なのである。
「お前が負けたのは誰かに、じゃない。 ――自分に負けたのだ」
ヨセルという青年を突き動かした根源は『英雄』レギウルス。
人は自分の愚かさや醜悪さを誤魔化すために他者をやたらと持ち上げるクセがあるのかもしれない。
ヨセルという青年はその典型例である。
レギウルスだからできて当然。
自分のような無力で非才な奴だから不可能。
それは一種の思考放棄に近く、そうやって無意識にレギウルスという存在を神聖視し、身勝手に恨むその姿は――、
「ああ――お前、『傲慢』なのだなヨセル」
「――――」
投げかけた言葉に答える愚者は、もうこの世に存在しなかった。
「――おっ。 無事ー?」
「いや、無事じゃないだろスズシロ」
「……随分と仲が良くなったようだな、なのだ」
感傷に浸る悄然としたメイルの鼓膜を、やけに空虚で高い声色が震わす。
振り返ってみると肩に厳重に身動きがとれないように拘束されていた黒ローブを抱えたアキラと同僚であるジューズが隣り合っている。
心なしか二人には「友人」のような妙な気配が醸し出されており、怪訝に思いながらも揶揄してみる。
「ご想像にお任せしますとコメントしておく」
「誤解させるな、スズシロ」
「はいはい、照れ隠ししないの。 それで、殺したの?」
「……もうちょっと濁すような気づかいは、ないのだ?」
「もちろん!(満悦の笑顔)」
「……はあ。 レギの未来が本当に心配なのだ」
デリカシーの欠片もないスズシロ・アキラのコメントに頬を引き攣らせつつ、どこかレギウルスに似ているなと漠然と思う。
多分、雰囲気や唯我独尊という共通点故なのだろう。
「ニンゲン、こいつは何者なのだ? 流石にあの殺意じゃお前の仲間というわけじゃないのだろう?」
「そんな物騒な同僚即座に絶縁さ。 あー、絶対『亡霊鬼』――『老龍』の封印を解こうとしてる連中だ」
「――――」
「このコメントで満足か?」
「最悪の気分なのだ」
「ちょっと!? 人が折角答えてあげたのに!」
「ハッ」
アキラの戯言を鼻で嗤いながら、この襲撃について考察を組み立てる。
前述のとおり、これがアキラの策謀という可能性は、」傭兵として培ってきた観察が否定している。
襲撃者の言動から察するに――、
「おい、ニンゲン」
「ん?」
「癪だが、お前の言い分信じてやるのだ。 確かに、『亡霊鬼』――魔人族とニンゲンの共通の敵は、存在するのだ」
「――。 分かってもらえてなによりだ」
その言葉に耳を傾けると、アキラは満悦そうに笑みを浮かべた。




