蒼に染まる
――そこは、先が見えない程の草木が生い茂った森林の奥深く。
「――――」
男が、覚束ない足取りで森を歩行する。
ゆらゆらの幽鬼のように淀んだ男の瞳は明らかに濁っており、それが前天的な要因ではないことは明らか。
疑念が、憤慨が、戸惑いが湧いて出た。
だがそのどれもが輪郭を整うことはない。
そもそもの話、これは異常事態だ。
あの事件から目を覚ますと世界をあの時垣間見えた『神威』とやらの魔力によって覆われているのが判別できた。
そして、世界を超常現象が支配していることも。
「――ッッ!」
「――――」
不意に、鬱屈とした茂みが、小刻みに揺れ――形容し難く、禍々しい気配を放つ異形が男の視界に移りこんでいた。
野生の動物、なわけがない。
こんなモノが野生で存在するものか。
ならば、今こうして像を結ぶ異形は幻想の類か。
「――――」
「――ッッ!?」
加圧、発射を一瞬で済ます。
狙い定めたのは醜悪なる魔獣の脳天。
銃でも打つかのような仕草で放たれた水滴は、その外見にそぐわない速度で猛然と異形の頭部を撃ち抜く。
悲鳴すら許さない修練の果てに辿り着いた殺戮技巧を前に異形が抗えるはずがなく、力なく崩れ落ちる。
だがしかし、眼前の脅威を排除したというのに男の顔色は優れない。
これ単体は、左程問題ではない。
真に憂慮するべきなのは、この異形と同じような獣と男が少なくとも二十回以上は遭遇し、その度に襲撃されたことだ。
その遭遇確率は常軌を逸しており、明らかに、この森を縄張りとしているとしか考えられなかった。
更なる懸念はその実力。
男の力は強大だ。
『主』直々に生成された男の実力は凄まじく、並大抵の者ならばまず彼と対峙した瞬間に消し飛ぶであろう。
男にとって人間など比べるのも馬鹿らしい程の雑魚以下の存在であり、とるに足らないモノなのである。
男ならば容易に対応できるが、これと人間が遭遇したのならば。
まず確実に、死ぬ。
それは不味い、絶対に避けなければならない。
男にとって人間など最も唾棄すべき存在の代表例なのである。
だがしかし、現状『主』からの命令が健在故にその人間を切り捨てるわけにはいかないというのが現実。
人間を保護しろ。
それが『主』からの勅命。
男にその厳命を拒否する権利などなく、そもそもの話男が『主』の命令を聞き入れないはずがなかった。
だが、それでも無思慮に行動を移してしまえばそれは愚策でしかない。
故に男は一度街にでも出て、状況を完全に把握してから慎重に動こうと――、
「――ッッ!?」
不意に、強大な気配と魔力が周囲を張り詰め、こころなしか空気が一段重くなったような気がした。
この魔力量、明らかに男とその同胞たちに匹敵するモノだ。
有り得ない――否。
(もしや、これも『主』の采配?)
確かに男とその同僚を作り上げた『主』ならばあるいは可能なのだろうと推測しながらも、警戒を解かない。
それが分かったから、どうした。
そんな理由で警戒を緩める程男は生易しくないし、そもそもの話それはあくまで仮定なのだから、『奴』のような存在という可能性もある。
「――――」
張り詰めた空気が突き刺さり、しかしながら不用意に動くことも叶わず、男はジッとその気配の主を待ち構える。
そして――、
「――ん? 迷子……?」
そして男――ガイアスは、その少女と出会った。
その少女の容姿は可憐の一言で、まさか神が作り上げた至高の最高傑作と言われても納得してしまいそうである。
少女の肌と髪は色が抜け落ちたようにどこまでも純白で、しかしながら爛爛と蒼く輝くその瞳には形容し難い圧力が醸し出されていた。
「お前は――」
「……誰ですか? こんなところに一体どうやって……」
心配するような少女の視線に戸惑いながらも、男は丁度いいと驚嘆から立ち直り、そのまま行動を開始した。
「少女。 色々と聞きたいことがあるのだが、構わないだろうか?」
「え、えぇ。 ボクって基本的に退屈ですから、問題はないですけど……」
ガイアスの申し出に戸惑いながらもちゃんと了承してくれるあたり、お人よしなのではないだろうか。
だが人間の性格などガイアスにとっては些末なことだ。
どうせ情報収集が終われば直ぐに街に出るのだ。
というかそもそも愚昧な人間など蟻よりも興味ないガイアスが他者の性格などを考慮するわけがないのだが。
「それで、聞きたいことって?」
「今この世界はどうなってる? 何故さmぽ当然のように異形の化け物が跋扈するのだ。 さっさよ答えろ、ニンゲン」
「随分と見下してますね、ボクのこと。 これでも怒ったら怖いってよく言われてるんですよ、ボク」
「それがどうした。 余計な手間を取らせるな、ニンゲン」
ガイアスの態度はどこまでも無愛想で、同時に少女に当然の拒否権すらも与えることは決してなかった。
その横暴な態度を少女はむっと咎める。
だが、そんなの知ったことか。
不意に、少女が目を細め、問う。
「――もしや、貴族のクソ野郎で?」
「――――」
一瞬、森林をおぞましい程の殺意と膨大な魔力が満たし、ガイアスであっても容易に身じろぎ一つできない程の威圧が放たれる。
貴族?
推し量るに、この少女は貴族とやらに何らかのトラウマでも怨恨があるのか。
少女から溢れ出す魔力が尋常ではなく、明らかにガイアスを匹敵――否、『神獣』を上回っていた。
有り得ない。
ただの人間が、それもガバルドの肩程の背丈もない少女がこれ程の魔力を醸し出しているなど、それでは果たしてこの少女が人間なのかすらも怪しくなる。
適当に誤魔化すのは不可能。
だが――、
「……貴族? 何のことだ? 貴様らニンゲンの文化を俺に当てはまめるな」
「――――」
睨まれてばかりでは性に合わないのがガイアスという人間性である。
ガイアスも少女に負けず劣らずの莫大な魔力を無作為に放出し、最大限の殺意を込めて、睥睨する。
「ふむ……確かに貴方レベルの術師が貴族なんかではないのは明白……。 言動から、貴方人外の類ですか?」
「……それがどうした」
何故、人外なんていう選択肢がそうも容易に発せられるのか。
その疑問は少女の年不相応の眼光によって黙らされる。
「……ん。 理解しました。 名前は?」
「は?」
「だ、か、ら、名前ですよ名前! もしかしてこんな言葉も分からないんですか?」
「……余りに、馬鹿にするなよ?」
忌々し気に少女を睥睨しながら、苦々しい表情でガイアスが答える。
「――ガイアス。 これでいいか?」
「えぇ」
直後肌を刺すような殺伐とした雰囲気は消え去る、
少女は花が咲いたような笑みを浮かべ、ガイアスへその名を告げる。
「――僕は、ケファレン。 以後お見知りおきをば」
「――――」
それが『色欲』と『蒼』の出会いだった。
ケファレンさん……そう、奴です。 奴なのです。 クセだらけの『円卓』唯一の常識人、ケファレンさんです。




