『傲慢』
――その猛獣の名は、ギルディルス。
かつて、一国を闇に閉ざした師子王の名だ。
「ギルディルス――穢せ」
「――――ッッ‼」
ギルディルスはまるで月彦の言葉に呼応するかのように咆哮を上げる。
その光景を戦慄の眼差しで見据える男――レイス。
その王たる威厳。
その圧倒的な威容。
その絶対的な暗闇。
その全てがレイスを射抜く。
――あぁ、同じだ
この師子王の「眼」。
レイスのように、最初は煌くヒーロに憧れた少年がやがて年老き、枯れ葉のように腐っていったその「眼」。
それを見た瞬間溢れだしたのは圧倒的な歓喜だった。
ありとあらゆることに絶望し、全てを投げ出した者特有の「眼」。
――嬉しい!
自分は一人じゃないんだ。
もう、孤独じゃないんだ。
なら、今この戦いはその証明だ。
自分の分身とも言える師子王を殺し、己に何が宿るのか。
そんな突拍子もない好奇心がレイスを支配する。
「あっはっはっはっはっはっはっは」
路地裏にまるで壊れた人形のような嗤い声が木霊する。
レイスは超速で魔法陣を構築する。
その速度は迫りくる師子王が展開した暗闇より尚速く、それでいて鳥肌が立つほど正確無比な術式であった。
そして、僅か0、12秒で上級魔法が完成してしまう。
「――〈風神の御手〉」
レイスが腕を薙ぎ払うと同時に、余波だけでも立つことすら困難になるような激風が迫りくる師子王へと放たれた。
――ドンッッッ‼
激風により路地裏を構成していた壁や建築物がまるで豆腐でも斬るかのようになんの抵抗もなく千切れていった。
流石は上級魔族と言ったところか。
上級魔族はそこらの魔族とは違い、様々な特権が存在する。
まずその一つが魔法の扱いの絶対的な才覚である。
幼子が上級魔法を扱う、なんていう現象は上級魔族たちの世界にとってはあまりに日常茶判事である。
そしてその天才たちの筆頭がレイスなのである。
彼が司る属性は二つ。
死霊と、激風だ。
死霊魔法使いだとうだけでも珍しいのみも関わらず、激風魔法まで極めてしまったレイスの才能は「異常」だった。
だが、だからこそ父親は、己の力に過信し、そして無様に敗れた。
その光景をまじかで見た時、レイスが浮かんだ感情は「納得」だ。
――このような、このような「ヒーロ」であっても、あくまで「個」でしかないのか
あくまで、どれだけ強かろうと父親もレイスも「個」。
たった一人で大群を蹂躙できるはずがない。
「ヒーロ」なんて、初めからなれっこなかったんだ。
今でも、時々『傲慢』を見ていると思う。
あぁ、自分もこんな風になれたのかと。
それは羨望に近い感情であった。
圧倒的な力に憧れ、そして諦めた者しか抱けない感情。
自分でも、それが『傲慢』だと分かる。
『傲慢』が一体どれだけの修練と死線を乗り越え、そしてあの高みにたどり着いたのか、自分が知らない筈がなかった。
「無能」と罵られていた彼はいつの間にかヒーロになっていて。
「神童」と尊敬されていた己は何も成せないモブに成り果てていて。
この世界は、やっぱり理不尽だ。
「――――ッッ‼」
直後、ギルディルスの咆哮により空気が歪み、そして激風も減速される。
やがて激風はそよ風程度へ規模を縮小され、やがて消え去った。
「……やっぱり、一筋縄じゃいかないか」
「そりゃあそうですよ。 レイド級のボス、手に入れるのは本当に大変だったんですからね。 というか、自分でも驚きましたよ」
「そうか。 なら、俺がその獅子を殺せばそれも水の泡だな」
「ええ、そうですね。 まぁ、貴方のようなポンクラに倒せるかどうかは知りませんけど。 一度生まれ変わって挑み直したらどうです?」
「安い挑発だな」
「アッハッハ、あんたのような相手に挑発なんて必要ないですよ。 先輩風に言うと――余裕で無双できる」
その言葉は決して虚言や妄言の類ではないのだろう。
ギルディルスは余りに規格外かつ、凶悪だと初対面であるレイスにも分かる。
勝率は――圧倒的に少ない。
というか、もう無いと言っても過言ではないのだろう。
だが――、
「俺相手に、余裕? ――余り調子に乗るなよ、小童。 撤回しろ」
この風は、文字通り子の身を削って手に入れた力だ。
それを愚弄されると――どうしても我慢ならないのだ。
憎い。
ここまで清々しく他人を憎めるのは何時振りだろう。
正直、人間はそこまで憎くない。
ただ、大多数の意見に従っているだけ。
そんな理由で、誰かの命を奪うことにレイスは躊躇いはなかった。
何故なら、そうしないと自分は居場所を失う。
どれだけ努力しようと、誰も見向きもしない。
今まで、その恐怖に、勝る感情なんて存在しなかった。
しかし、今。
まるで獄炎のように渦まくこの感情――「憤怒」はその恐怖を超越していた。
「――僕も今、同じ気分ですよ」
「ハッ。 果たしてどうかな」
そして、師子王の咆哮を合図に、戦いが再開された。




