蠢く影
七百話達成ッ!
悄然と覚束ない足取りで屋敷の門を潜り抜ける。
本来ならば監督者でもあり同時に父親でもあるヴィルストに今回の件について話さなくてはならないのだが、とてもそんな気分にはなれなかった。
責められるのが怖かったからではない。
落胆し、失望されるのが何よりも恐ろしいのだ。
「――ん? 随分と早いねぇ、騎士様」
「――――」
門をくぐろうとする寸前、背後で野太い声が俺を引き留める。
この気分で他者と会話などそれなりに神経を擦り減らす行為であるが、それでも気丈に振る舞い、振り返る。
「おっ。 門番さんまだ居たの」
「そりゃあ門番だからな。 門番の提示は深夜零時を軽々と越えていやがる。 まぁ今のご時世しょうがないんだけどな」
「そいつはご愁傷さまで」
「ハッ。 それはそうと、あんたはどうしてこんな時間帯に? いつもなら夜中だろ? 今は夕方じゃねぇか。 喧嘩でもしたのか」
「――。 さぁな」
無神経な門番の物言いに沸々と怒りが湧いてくるが、その憤慨は結局のところ彼への八つ当たりでしかないな。
そう嘆息し、俺は肯定するわけでもまして否定もせずに曖昧に答えた。
その回答をどう捉えたのか、門番を目を細くする。
「ほう。 あんちゃんとお嬢ちゃんが喧嘩か。 随分と珍しいこった」
「……分かるのか?」
「そりゃあな。 俺だって女房に殴られたことだった何度もあるよ。 だからなぁ、ある程度は分かるんだよ」
「そうかい。 じゃああんたはどうすればいいっていうんだ?」
というか今更だけどこの人奥さんいたんだ、と場違いな感想を抱きつつ、俺は悟られないように門番を観察する。
慰めか?
否、数か月程度の付き合いでははあるが、それでもこの中年がそのような気遣いができるとは思えない。
年長者からのアドバイス、と言ったところか。
正直な話余計なお節介であるが、傍目から見れば容易に無視していると悟られてしまわれないように適当に相槌でも打つとしよう。
だがその思惑はアッサリと外れることとなる。
「は? なんで俺がそんなこと教えないといけないの?」
「――――」
門番は心底不思議そうにこちらを無遠慮に見ながら首を傾げる。
「勘違いしているようだったら悪いんだが、俺はそういうことに関しては疎いんだぜ。 だから俺に聞かれてもお門違いってこったぁ」
「……じゃあなんで声をかけたんだ? 見過ごせば良かったじゃないか」
「あー。 なんとなく」
「――――」
適当過ぎる。
理屈も理論も何一つ揃っておらず、それはあまりに稚拙で幼稚な返答であった。
「そもそもなぁ、仲直りする明確な方法なんてねぇよ。 俺はその詳細を知らないんだし、下手に口出して後から文句言われたらたまったもんじゃない」
「――――」
「喧嘩してそのまま二度と会いませんでしたって場合もあるし、逆に朝起きたら自然と仲直りしている時もある。 そういうのは深く考えずに、適当に流れるままにすればいいと、年長者は思うん所存である」
「――――」
きっと、これが彼なりの助言なのだろう。
あえてそれを明言することを避ける姿勢を意気地なしやヘタレと詰ることもできるが、それはあまりに無粋である。
それが気配りが苦手な彼なりの最大限の配慮なのだろう。
ならば俺は、その誠実な姿に答える必要性があるのかもしれない。
「――ありがとう。 参考になるかどうかは不明だが、頭の片隅にでも焼き付けておくよ」
「ハッ。 差し入れよろしくな」
助言の報酬を要求しながら、門番はぶっきらぼうに踵を返していった。
今や黄昏時を演出していた微かな緋色の煌めきさえも遠く彼方へと沈んでいく時間帯。
世界を暗闇が満たし、途方もない夜が光という当然の概念を否定し尽くす。
不意に、彷徨うように街を歩く俺の背後に、微かな足音が。
(尾行……否、彼らか)
そもそもの話、その手のプロならば俺のように多少の武術が扱える程度の者が認知できるほどの気配を晒すわけがない。
暗殺などの場において、対象に己の気配を察知させるのは最大の禁忌。
余程未熟なのか――逆に己の存在を示威しているのか。
そして俺は酔っ払いのように足取りで路地裏へ入り――不意に、立ち止まる。
気配の主が少々驚いた様子が感じられるのを察知しながら、ちらりと背後を一瞥する。
「――そろそろ、出てきたら?」
「――――」
「あぁ安心して。 別に罰する所存はないけど」
「――――」
不意に、隠蔽されていながらもそれなりに腕に覚えがある者なら察することができる気配を発する男――黒ローブが暗闇より出でる。
俺はそれを横目で確認しながら、問う。
「何の用? 御免けど、今機嫌が悪くて――」
「発言の許可を。 一刻を争います」
「……言って」
一泊間を空けて、黒ローブは掠れてくぐもった声で告げる。
「――魔人族に、新たな動きが」
「――。 今か」
そういえば、このタイミングだたっなと思い返す。
「奴らの動向はやはり主様の予想通りだったようです。 如何いたしましょう」
「――――」
問いかけるような眼差しが向けられる。
俺は目を細る。
もちろん、未来を見てきた俺にこの事態を予測できなかったわけがなく、もちろんそれの対策も済ませている。
「君たちは、これまで通り彼らの動向を注意深く探って欲しい。 一つでも見落としていたら、それが大惨事になりかねない」
「委細承知」
「それと、俺は俺で動く。 後始末は任せてもいいね?」
「至極当然」
「そうかい。 礼を言うよ」
こうして、決別の感傷に浸る余裕も無く、今魔人族と人族の未来を左右する戦乱が水面下で勃発しようとしていたのだった。
やる夫ベジータ王が凄まじすぎます。




