――決別
「――ぇ?」
信じられないように、そうではないと己へ信じ聞かせるような、そんな悲哀に満ち満ちた吐息が掠れる。
目を見開き、瞳をわなわなと震わせるシルファーに気が付かず、俺は無神経に語り始める。
「まだ、想いは成熟していないんだけどさ。 いつかこの恋が叶ったらなって、そう思ってるよ。 で、それがどうかした?」
「――――」
「ん? どうした?」
いつもは快活で破天荒なお嬢様も今は鳴りを潜めている。
どうしたものかと顔を覗いてみると――ようやく俺は、シルファーのネコ科を彷彿とさせる瞳から大粒の涙が零れているのに気が付いていた。
その豹変に瞠目し、俺はその理由を探ろうとする。
「お、おいいきなりどうしたんだよ、 目にデカい石でも入ったのか?」
「――すか」
「ん? 何か言って――」
「好きなんですか、その人のことっ!」
「――――」
激昂、では少々語弊がある、複雑な感情が入り混じった形容し難いモノに突き動かされるように、シルファーはそう吠える。
らしくもない、そんな言葉は喉に呑み込んだ。
今ここで茶化して誤魔化してはいけない。
そんな直感がして、俺は取り繕うこともなく淡々と語った。
「あぁ、好きだよ。 顔はもちろん、誰かを思いやれる優しい心の持ち主でな。 ――昔、沙織の優しさに救われた」
「――――」
「自分でいうのもなんだけどさぁ、男って意外と単純だよな。 嬉しいことの一つでも有ったらすぐにその子に夢中になってしまうし」
「――――」
「にしても、それがどうした? まぁ、色恋沙汰に興味深々なお年頃なら食いついてもそこまで不思議じゃ――」
「――もしもの、もしもの話ですよ」
「――――」
思いの丈を言葉を選んで紡いでいると、不意に嗚咽混じりの、それでいて悲痛に満ちた声でシルファーが問いかけていった。
なんとなく、その先を言わせてはいけないと、そう思った。
きっと、それを告げてしまえばこの心地よくも淡く脆い関係は瞬く間にこじれてしまうと、そう魂が告げていた。
だが、その反面それに答えなければならないと、そう漠然と理解していた。
そして――少女は『愛』を問う。
「もし、仮にですよ。 私とその沙織さん。 この二人が命の窮地に陥っていて、どちらかしかを助けない状況だったら――アキラさんは誰を救いますか?」
「――――」
理性に反してその口を塞ぐことは叶わず、そして俺は俺らしくなくやけに感情的な何かに突き動かされ、告げる。
これに嘘偽りを混じることは容易だ。
だが――果たしてそれであの安らぎの空間を守ったと、そう誇りをもって宣言することが可能なのだろうか。
ならば――、
「――もちろん、沙織さ」
そうして、俺たちを結ぶ運命と言う名の儚く脆い糸はこの瞬間を以て修復できないくらいに無惨にも千切れていったのだった。
「――って」
「ん?」
嗚咽混じりの掠れた声に首を傾げる俺へ、現実は容赦情けなく見せつけてくる。
――この、取り返しのない光景を
「――出て行ってくださいっ!」
「――なっ」
頬から幾筋ものの涙で頬を濡らし、顔を真っ赤に染めながらも瞳に激情を映し、そうシルファーは叫んだ。
冗談――ではない。
人の機敏に疎い俺でも分かる。
思えば、シルファーと過ごした日常を指折り数えてみると前回の部分もカウントすると中々の数値となる。
故にシルファーの心情は真っ当な心を理解する俺にもある程度は理解できるようになっていたのだ。
だからこそ、否応なしに溢れ出されたその激情が孕んだ真意に気が付いてしまう。
――これは、本気だ。
「おいおい、いきなりどうした――」
「――どうして、沙織さんが好きなのに私に微笑んだんですか!? どうして笑い合ってくれたんですか!? どうして……どうして」
「――――」
「どうして、私にこんな感情を抱かせたんですか?」
それは問うような、嘆くような、愛しむような、そんな悲痛に満ち満ちた表情をしていた。
そして俺は、ようやく自分がどれだけ彼女を傷つけたのか、気が付くことができた。
どうして俺の言の刃が彼女の深いところに突き刺さり、そして今こうして彼女の頬を盛大に濡らす要因となったモノがどのようなモノか、まだ理解できていない。
だがそれでも――それでも、俺はまた取り返しのつくないことをしてしまったのだと、気が付いたのだった。
「俺は――」
「アキラさん、あなたはただただ最愛の人――沙織さんを見つめていれば良かったんですよ」
「――――」
「そうだったら――私がこんなに悲しくならないで済んだのに」
「――――」
その微笑みは女神が見せるように尊く、それでいて自嘲のような響きが混じっているような、そんな泣きたくなるようなモノだった。
――どうして、彼女がこんな顔をするのだ
分からない、分からなくちゃいけない。
シルファーの悲哀な表情に頬を引き攣らせる俺に、嫌な予感と共に頬を濡らす冷や汗を拭う暇はなかった。
そして、必死に先延ばしにしていた決別の瞬間は、余りにも呆気なくやってくる。
「――アキラさん、貴方はきっと沙織さん以外を愛することができない。 ――私を愛してくれない」
「違っ――」
「違いません。 自分でも、身勝手な理由だと思いますよ。 ――でも、もう貴方といつものように笑い合うことは、もうできませんからね」
「――――」
最後に彼女は明らかに無理した様子で、それでいてそれを必死に隠そうと隠せなくて涙が零れる頬ではにかんで――告げる。
「――きっと私たちの運命は、交わるべきじゃなかったんじゃないかと、今更思ったりします」
そう、シルファー・ルシファルスは俺へ気丈に微笑み、そう別れを告げた。
補足すると、アキラさんは鈍感とかそんな風にたった一言で言い合わらせるほど簡単な拗らせ方をしていないんですよ。
――ただただ、自分が『愛』されることが信じ切れないだけです




