メィリ・ブランドの絶望
『器用値』一周年記念っ!
「――♪ ――――♪ ―♪」
「――――」
口笛だ。
彼の口から小刻みに刻まれるのはその音符はどこまでも軽薄で、とてもじゃないが今から他者の命を奪う者とは到底考えられなかった。
彼は口笛を吹きながらも、チラリと背後の人物を一瞥する。
「にっしても主殿って結構酷でっスね。 あんな仲睦まじい家庭を容赦情けなくお前の手で引き裂けと。 もしかして主殿ってば性根腐りきってますっスよねー」
「アッハッハ、違いない」
「んー? 開き直りっスか?」
「そうだよ。 それにしても存外君は根掘りはぼり聞いてくるね。 僕が激昂して君を喰い尽くす可能性もあったんじゃないのかな?」
「いーやぁ? 全然っス」
「それはどうしてかな? もしかして、己の利用価値でも考慮したのかい?」
「勘っス」
「アッハッハ、本当に君には驚かされるよ」
「それは嬉しいっスね。 主殿に一矢報いればもう死んでも悔いはないっス!」
「そうかいそうかい」
軽薄な男の態度に、黒衣の男は憤ることもなく、逆ににこやかな笑みさえ浮かべ、受け流していた。
「さて。 メシア家当主は少々厄介だからね。 退場してもらったよ」
「流ッ石っス。 もうこの世界の裏まで?」
「いやいや。 流石にこの短時間でそこまでするのは不可能だよ。 まぁでも――それを成し遂げるために必要な人材は見つけたがね」
「ふーんっス。 自分としては主殿が自分を見限って海にでも捨てられないのかと、夜も眠れませんけど」
「君海底に沈められても容易に生活できるでしょ」
「そういう主殿もでしょ? というか襲撃はまだなんですか? 自分として面倒な任務さっさと終わらせてダラダラ怠惰にこの余生を謳歌したい所存なんスが」
その青年の提案に、黒衣の男はやれやれとばかりに「はぁ」と溜息を吐き、嘆息した。
「彼は神獣の器。 それもあの猫ちゃんだよ」
「あー。 つまること、空間の亀裂とかつくって結界でも張ってるんっスかねぇ」
「そういうこと。 僕の役割はその解除だよ。 だからもう少し待ってね」
「了解っス。 できるなら十年以内に終わりたいっスね」
「この程度の結界、容易に喰い尽くせるさ。 流石は『強欲』。 オリジナルの『暴食』には劣るが、それでもこの性能だよ」
「さいですか。 ……あの騒がしい連中がいなくなったのはちょこっとだけ寂しいっスね」
「全くもってその通りだ。 システムが展開されてたった二百年であんな連中が現れるとは……よもやよもやだよ」
「アッハッハ」
散らばっていった『円卓』の面々に思いを馳せながら、青年は欠伸を噛み締めきれずに盛大に間抜けな音が暗闇に包まれた夜に響き渡る。
そして、そのまま一時間ぐらいは雑談でもして暇を潰そうという青年の算段は、黒衣の男の一言で杞憂となった。
「――! 終わったよ」
「人生が?」
「君、そろそろ口を改めなよ。 これでも、君を生み出した――いうならば父親的存在なのだからね」
「うっげ。 そう考えると吐きけが差すっスね」
「正直に本音をぶちまけるのもいいが、そろそろ言葉遣いを気を付けようか」
「考えとくっスよ」
「これで最後の警告となることを切に祈るよ」
「――――」
黒衣の男の皮肉だが、それを茶化す声は無い。
横目に青年を一瞥すると、彼は目を細め静かに西を――メィリ・ブランドが在住する屋敷を見据える。
そして――、
「――射抜け」
刹那、遥か彼方から雷光と見紛うような勢いで不可視の『何か』が繰り出されていった。
――そういえば血なんて最近一滴たりとも見たこと無かったなと、メィリは場違いにも眼前の光景にそうコメントした。
彼女――つい先程まで親愛の眼差しでニコニコと微笑みながらメィリを眺めていた小太りなメイドの脳天に、風穴が開く。
直後、ブシュっと何かが溢れ出す音と共にぽっかりと空いた空洞からおぞましい程の血飛沫が噴水のように噴き出している。
その光景の意味をようやく漠然と理解したのは、メイドの鮮血がメィリの頬を深紅に染め上げてからようやく。
脳がその結論を拒んだ。
魂がその光景を拒んだ
私がその現実を拒んだ。
だが――聡明なメィリの脳内に、唐突にその現実が浸透していく。
「あっげぃっ」
あんまりな現実に喉元からつい先程喉を通した豚肉を吐き出しそうになり、そのショックに苦し気に呻く。
死には、暴力には、理不尽には慣れているはずだった。
だというのに魂は理不尽なそれを拒絶する。
「――にげ……てっ」
「メイド……っ」
不意に、中年特有の澄んでも濁ってのいない中途半端な声色が必死に理不尽な光景から目を背けようとするメィリの鼓膜を震わす。
――逃げて
それが、死の瀬戸際、否もう死体同然だというのにも関わらず、メイドが死力を振り絞って響かせた魂の声。
きっと、その声に従わなければ自分は一生後悔してしまうとメィリは漠然と悟り――頬に流れた涙を振り払って、必死に食卓から離れていく。
悔しい。
メイドの死因は明らかに他殺。
しかしメィリではメイドを葬った者へ敵討ちをするどころか、憎むべき相手の影さえも視認できぬというのか。
――本当に、ふざけている。
「クソっ!」
だが無情な世界はどれだけ少女が憎み、怨嗟に叫ぼうが何ら反応もすることなく、ただただ無慈悲な光景を突き付けてくる。
「――やぁ、お嬢さん」
「――――」
声がした。
男か女か、若者か老人か、済んでいるのか濁っているのか、弱弱しいのか力強いのか、彼を判断するモノの一切合切があやふやな、そんな不思議な青年だ。
曖昧な存在な青年は、その黒瞳で突如として現れた侵入者に立ちすくむメィリを射抜き、親し気に笑みを浮かべる。
その笑みは、無邪気なまでに悪意に満たされていて。
「初めまして。 もしかしたらこれが最後になるのかもしれないね。 ――メィリ・ブランド君。 君を迎えにきたよ」
「――――」
「あぁ、警戒してる? そういえば名前もまだ名乗ってなかったね。 それはちょっと失礼かい」
険しい眼光を眼前の黒衣の男へ向けるメィリへ、彼は包み込むように告げる。
「僕の名はルイン。 ――『厄龍』だよ」
そして『厄龍』は、やけにう堂に入った仕草で小さな魔法使いへ頭を下げたのだった。
どうでもいいけど、昨日『器用値』の結末が改めて決まりました。 個人的に感慨深いです。




