『鬼喰』
異形の剛腕の威力は文字通りまさに桁違いだ。
全力で守りを固めた右腕ですらひしゃげる一歩前の状態となっている。
一応は全身に魔力を集中させ張り巡らせているが、防御できる範囲が増幅した分単純な強靭さはまだまだ心もとない。
(この状態で一発でも喰らえばアウト、か)
だがしかし根本的な手数の大差が存在する以上、完全にあの猛攻を回避するのは流石に無理があるだろう。
その気になれば【天衣無縫】により絶対防壁を生成することも可能といえば可能であるが、それを維持するのに必要な魔力を無視することはできない。
アキラの全身全霊の一撃でさえ相殺すらできなかったあの鉄拳を一体全体どうやって攻略するのか。
そして――、
「――あんまり、使いたくはなかったんだけどな。 まぁ、かつての雪辱の分存分に猛威を振るってくれることを期待しとく」
「それは――」
アキラが構える刀は、鮮やかな蒼色の刀身を持つ戒杖刀――ではなく、その全身を呪詛が刻まれた包帯が覆う太刀。
その太刀からは異形でさえ足が止まる程の濃密なエネルギーを纏っていた。
ニヤッと快活な笑みを浮かべ、アキラは呪詛が描かれた包を剥がしていく。
「『鬼喰』……『憤怒の鬼神』とかいうわけの分からん奴の順々な下僕からもぎ取った曰くつきの太刀だ」
「……ふざけているのか?」
「お前にはそう見える?」
包帯が剥がされ、露出するその刀身は幾多もの月日を感じさせる赤茶色の錆が全身に広がり切っていた。
切れ味は言うまでも無く絶望的。
鈍器としか使えないような、そんなガラクタだ。
自然、戦士としての矜持故に厳しい眼差しで異形は目を細める。
「言っとくけど、大マジだから。 こちとら命がかかってんだよ。 こんなところでふざけるほど腐っていると思うか?」
「性根は腐りきっているとみるが……」
「止めて!? 悲しくなるから!」
「す、済まぬ……」
「申し訳なさそうに俺を見ないでくれない!? その反応が一番傷つくなぁ!」
残念なモノを俯瞰するかのような、形容し難い眼差しでアキラを見詰める異形。
流石にとっくの昔に己が取り返しのつかないほど腐敗していることは理解しているが、それとこれは別である。
他人に言われると余計凹んでしまうのが人間という生物である。
「手加減は、せんぞ」
「結構結構。 ――さぁ、第二ラウンドと洒落込もうじゃないか」
「――来い」
悠然と笑みを浮かべる異形へ、錆だらけの太刀片手に猪突猛進に突撃していった。
――『神代武器』
文字通り、かつての神話の時代に存分に猛威を振るった武器たちの総称だ。
その実態は未だに謎に包まれており、その大半はレイドクエストの報酬として設けられ、入手するのは困難を極める。
そしてアキラが今握る『鬼喰』も神代武器の一種である。
実を言うと、武器に設けられた階級の最上位である神代武器にも更に詳しい序列が存在し、その中でも愛刀である戒杖刀は最上位に近い位置に居座っている。
ストック能力などを考慮すれば当然といえば当然か。
そしてこの鬼喰は、戒杖刀と同じく神代武器の中でも精鋭中の精鋭。
その能力は――『鬼神乱舞』。
「――行くぞ」
「――――」
疾風の如き速度で己へ肉薄するアキラを異形は鉄拳を以て迎撃する。
大地をつんざくその拳にとって、人間など文字通り虫に見えるだろう。
だが――、
「知ってるか? 虫って鬱陶しいことだけが唯一の取柄なんだぜ?」
「ほう……」
アキラの背丈は異形と比べるとまさに虫けら同然。
だが――だからこそ、俊敏な動作で動くアキラを捕まえ、息の根を止めることは困難を極めると踏んだアキラの推測はどうやら間違っていなかったらしい。
異形はアキラの凄まじい速力に翻弄されっぱなしで、強引に捕まえようとすうが容易く避けられてしまう。
この様子だと、アキラの勢いにまだ異形は対応できていないらしい。
だがあくまでもアキラが異形をリードできるのは、刹那にも満たない時間の間だけであろうことは本人が一番自覚している。
あくまでこの優勢は状況はまだ異形はアキラの俊敏さに対応できていないだけで、異形の眼力ならば数分経てば忽ち慣れてしまうだろう。
そうなればアキラの命は容易く潰されることは必須。
だが――それでいい。
十分すぎる。
「ハァァァッ!」
「――。 何の真似だ」
「さぁな。 その無駄にデカい脳味噌で考えてみろよ、巨人ッ!」
「――――」
古びた錆だらけの大太刀が虚空に軌跡を幾度も描き、その度に刀身に亀裂が走る。
当然ながら、異形には何の痛痒も感じない。
先刻の戒杖刀ならばともかく、このような朽ちた刀身で傷跡を刻み込えるほど異形は軟な鍛え方をしていない。
だが、アキラの顔には焦りはない。
それは虚勢か、それとも――、
「えぇいっ。 鬱陶しいっ!」
「お褒めにあずかり光栄だなぁっ!」
閃光が如き勢いで大地を踏み締め、存分に錆だらけの鈍らを振るう。
もちろん、ダメージはない。
だがしかし、異形の、数多の修羅場を乗り越え培ってきた勘が、何かがおかしいとそう叫んでいる。
だが肝心のその何かを探し出そうとする度に飛び回る羽虫がその思考を邪魔し、やがて掴みかけた感覚は霧となって消え去る。
――気がついた時には、何もかもが手遅れだった
「――っ!?」
「そんなに痛みを感じるのが意外か?」
「貴様、何をした……!」
痛覚。
生物として当然の、しかしながら巨人族の英雄たる彼にとって久しく感じる感覚に顔を歪めながら忌々し気にアキラを睥睨する異形。
押し寄せる莫大な殺気を何の痛痒に感じた素振りも見せずに、アキラが薄く凄惨に嗤う。
「――『鬼喰』の真骨頂。 特別に披露してやるよ」
「――。 戯言をっ」




