約束
結局ウォーレンはここから出すとは言えなかった。
この状況下で魔人のエラを外に出してしまえば、父親のダンブルギアによって口封じのためにウォーレン自身が危険な目に遭うかもしれない。さらに、エラが逃げ出しても追手が放たれ再び捕まってしまうだろう。
……二人にとってリスクが高い。
エラと会った後、ウォーレンは監禁部屋の外へと出るが、二階から途中で落ちたことを思い出す。魔術とやらでどうにかならないかとエラに相談したら、魔術で自室へと運んでくれた。操作が難しかったのか途中ガンッ、ガンッと壁に頭が打ち付けられたがエラの部屋は遠く文句も言えない。
その日からエラとの交流が始まった。
屋敷での幽霊騒動はすっかりなくなり屋敷の住人に平穏が訪れる。
ウォーレンの部屋の窓縁に食べ物や書庫から持ってきた本を置いておくと朝にはなくなっていた。本を読み終えたときは、投げ入れたのか部屋の床に本が転がっていたので、注意しておいた。
たまにロープを伝って一階に降りエラの部屋へと忍び込んで話もした。会話の内容はこの国や文化のことが中心で知らない世界に興味があるようだ。魔人やクナディア帝国について聞き出そうとするとなぜか不機嫌になるので話すのは控えるようにした。魔人と祖国、そして大人のことは大嫌いなようだ。
魔術に関して聞いてみると、ビヨーンやらガシッやらの擬音まみれの身ぶり手ぶりで説明するので理解に苦しんだが、わかったこととして魔術は遠隔で『万物の外面』へと影響を及ぼす術だということだ。物や人を持ち上げたり、物に外装を張って武器にしたりできるが、術者自身へ影響は与えられない。
魔人の体内には『術の源』と呼ばれる魔術の力の元があり、体外へ出すことで魔術を行使できる。濃度や量のコントロールができ、その技量が重要だそうだ。
エラの好き嫌いもわかってきた。
食べざかりであるためか食べ物は肉系統が好きらしく、いつもの食事だけじゃ足りないと文句を言っていた。夕食のステーキを窓縁に置いたこともある。後で話すと『冷めてた!』と最初は不満を垂れたが『おいしかったからまた頂戴!』とご機嫌な様子だった。
渡した本について話すこともあった。
お姫様と王子様が恋に落ちるロマンチックな話よりも勇者や探検家が戦い強力なモンスターを倒して宝を得たり、悪人を懲らしめて民を救う勧善懲悪なお話が好きなようだ。自分だったらこうするとか、ああするとか話し最終的には『私のほうがもっとうまくできるのに』で締める。
ちなみに本を探すためウォーレンは書庫へとよく訪れるようになったのだが……
(ん? 床下に板がある?)
書庫の奥の床に薄っすらと四角い輪郭が見える。どうやら隠し棚でもあるのかと、開けてみると中に本が積まれていた。一番上にあった本を手に取り文章を読むと、
『ああ、いけません……こんなところで。侯爵様……』
『ここには誰も来ない。今夜は君のことをたっぷりとかわいがってやる……』
……そして甘く官能的な言葉とともに二人の愛が書き綴られている。結構大人向けというかハードよりのロマンス小説である。
(イザベラ、こんな趣味があったのか……)
別に引いたりはしないが心の中に閉まっておいた。イザベラを慕う人たちも引いたりしないだろうが、こういう甘い夢物語を好んでいるのを知られるのは恥ずかしいだろう。
一ヶ月ほど過ぎた頃、夕食を済ませたウォーレンはエラの監禁部屋へ来ていた。
「ねぇ。なんでこの子たちは先生が殺されそうなのに隠れて見ているわけ?」
エラは物語に不満があるようで本を開きながら文句を垂れていた。
「そりゃ。相手が武器を持った危ない大人だからだろ。怖くて隠れるのが精一杯だよ」
「私だったら墓石を投げつけたり、相手のナイフを取り上げたりするわ」
「それができるのはおまえが魔人だからだろ。人間じゃ無理だ」
クナディア帝国の魔人がアンドロギウス王国の街へ来ないのは、種族の力の差が大きすぎるためであろうか。人の街に魔人たちが押し寄せてしまうとあっという間に地獄と化してしまう。それでは民が逃げ、生産業も止まってしまい植民地化している意味がなくなる。
大人のウォーレンがエラみたいな子どもにすら手も足も出ないことから、大人の魔人とやらはどれだけ強いのだろう。対峙など絶対にしてはならない。
「クナディア帝国の子どもはみんな魔術を使うのか?」
「使えるけれど力は私ほどじゃないわ。私は……学校にいたから」
「学校?」
どうりで文字の読み書きができるわけだとウォーレンが関心していると、パタンと本を閉じる音がした。
「……軍学校よ。戦うための魔人を教育するところ。親に入らされたわ」
エラは少し悲しいような苦々しいような感情で呟いた。
「そんで学校が嫌になって逃げ出したわけ。私は家のお店で働きたかったから……」
軍学校にいると兵士になる道しかないとわかりエラは軍学校から逃げ出した。
魔人の子どもがどういう経緯で軍学校に入学するのはわからないが、魔術の適性が無理やり入学させられたのだろう。エラを入学させるにあたり彼女の親には金が渡されたという。子どもを奴隷として売り払うのとなんら変わらない。
「両親のところに戻ったら『なんで帰ってきたんだ!』って怒鳴られて捕まりそうになって、遠くの村まで逃げたわ。そこの村の人にご飯を分けてもらえたんだけど、いつの間にか眠っちゃってて……この国に連れてこられたわ」
睡眠薬でも飲まされてエラは捕まり売られたのだろう。どうりで魔人や祖国のことが嫌いなのだとウォーレンは思った。何度も酷い目に合わされれば誰だって嫌いになる。そのうち人間も嫌いになるかもしれない。
そう話していると、コツ、コツ、コツと扉の外から足音がした。
……おそらくマーシャルだ。
今日のエラへの配膳は終わっていて来ることはないはずだった。
(や、ヤバい!?)
カチャと鍵が開く音がして部屋の扉が開かれる。
「黒入り、採血する」
そう言うと青髪執事マーシャルは警戒しながら部屋へと入る。その手には小さな箱が抱えられていた。
部屋には、エラしかいなかった。
「……抵抗してこないのか? やっと従順になったか」
するとマーシャルはエラが持っていた本に気が付く。
「何だその本は? どこから手に入れた?」
「別にいいでしょ。この屋敷にあったんだから!」
エラは強気に言い放ちマーシャルを睨みつけながら腕の中の本を強く抱きしめる。
「こういうことは止めろと言ったよな」
マーシャルが腕を振ったと思えばゴッという音とともに、エラが顔を殴られたような動きをする。
……魔術を使ったのだろう。
マーシャルはエラから本を取り上げた。
「これはファンベール家のものでおまえのものではない」
マーシャルは冷徹な目でエラを見つめ、腰を下げ箱を床に置いた。箱を開けると注射器が三本、ガーゼ、テープ、消毒用の薬品が入っていた。
「採血中は暴れるな。傷ができる」
そう言うと注射器の先端をエラの腕に差し込んだ。
採血が終わったようでマーシャルは箱を手に取り立ち上がる。エラの注射の痕にはガーゼが当てられテープで押さえてある。感染症で弱ってしまうのは困るためか最低限の手当てはしているようだ。
すると、マーシャルの肩へと雫がポタッと落ちた。
天井にウォーレンが貼り付けられていた。
エラは咄嗟に魔術でウォーレンを天井に貼り付けたのであった。エラが殴られたときや注射器が刺されたときに押し付ける力がフッと弱まって落下しそうになったが、どうにか耐えてくれた。緊張していたのかウォーレンの汗が垂れてしまった。
「ん?」
マーシャルが上を見上げようとする、と。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ。そ、そいうえば、今日のスープ美味しかったわね。明日もあれにしなさいよ」
「……急に叫ぶな。屋敷の住人にバレたらおまえを処分すると言ったはずだ。とうとう気でも狂ったのか?」
マーシャルはエラを睨んだあと上を見上げ天井を確認する。
……そこには何もなかった。
エラが叫びだしたのはマーシャルの注意をそらすためだ。そして上を見られても大丈夫なようなように、マーシャルの後方へとウォーレンは天井伝いに引きづられ移動されていた。エラの叫び声もあってかウォーレンが引きづられる音は誤魔化せたようだ。
「おまえに飯を選ぶ権利などない。余り物を出しているだけだ。それに……」
マーシャルは苛立っていたのか彼女に絶望を与える。
「ここにいられるのもそう長くはない。おまえのような者を監禁するための設備ができると聞いた。完成したらそちらに移す。ここより生活は悪くなるだろう……今の環境に感謝しろ」
マーシャルが部屋を出てからしばらくたち天井からウォーレンが落とされた。
エラはうずくまっていて言葉を発しない。強気なエラでも悲惨な目が連なり続け心が折れかけている。そんな風に見えた。軍学校から逃げ出したという自業自得とはいえ、家族から突き放され、村の人に騙され、他国へと売られた揚げ句に監禁され、さらに環境の悪い監獄へと移される。
……なぜこんな少女がここまで酷い目に合わなければならないのか。
この世界ではこんな不条理なことも珍しくないだろう。しかし、ウォーレンはエラと出会ってしまった。こっそり会ってはくだらない話をし、機嫌が悪いと魔術を使ってボコられたが、そんな関係も悪くないと思い始めていた。
彼女のことを知ってしまった。
彼女は、気に入らないことがあると文句を言い不機嫌になれば魔術を使って暴力に訴える我儘な少女だ。
彼女は、パンや果物より冷めていてもご機嫌になってくれるほどお肉が大好きな少女だ。
彼女は、ロマンチックな恋愛話よりも悪人やモンスターを倒す勧善懲悪な話が好きな少女だ。
彼女は、どんな状況でも諦めず抗い続ける図太い精神を持った少女だ。
彼女は、彼女をこんな理不尽な目に遭わせる大人が大嫌いだ。
彼女は……
まだまだ彼女の知らないことはたくさんあるだろう。これからもっと知っていけたかもしれない。
こんな理不尽な状況下の彼女を目の前にして何もしないことは、彼女を苦しめてきた大人たちとなんら変わらない。
ウォーレンにとって動く理由としては十分であった。
「なぁ、エラ」
「……」
「おまえ、言ったよな。ここから出してくれないかって」
「……そ、そうね」
ウォーレンは今まで逃げていた言葉を口にする。
「俺がここから出してやる」
「……えっ?」