幽霊騒動(3)
(ん?)
視界がぼやけた状態から段々と明確になっている。どうやら、くるくる茶髪貴族ことウォーレンは自室にいるようだ。
(なんでこんな姿勢で?)
目をこすりながら辺りを確認すると、布団の上に座っていて、壁に背を当てていた。なぜこんな姿勢で寝ていたのか不思議に思っていると……部屋の床から、壁から、机から、棚から、天井から触手が複数現れた。昨夜の触手とは異なり真っ白だ。
そして、全ての触手がウォーレンに向かってゆっくりと伸びて来る。
(退治したんじゃなかったのか?)
とっさに護符を探すが枕元には何もない。
触手の先端から口のようなものが見え出す。赤く円形で中には細かい歯のようなものがびっしりと付いており、中からヨダレのような液体がポタポタと垂れている。液体が垂れた箇所からジュという音がして床や絨毯を溶かす。
(これはヤバい)
そう思った瞬間、全ての触手がこちらに飛びついてきた。
(!!!!!)
バンっという衝撃が頭を揺さぶった。
「もー。何寝ているんですか先輩」
ウォーレンの後ろから呆れた声が聞こえてきた。意識が明確になっていくと、机の上に突っ伏して寝ていたのだと理解できた。部屋の中は暖かく寝不足でウトウトして眠ってしまったようだ。頬からじんわりとした痛みがするので、触って確認すると何かの痕がある。頬の下にペンを押し付けていたようだ。書類には文字の末端からぐにゃぐにゃと落書きのような一本線が書かれていて、ついでにヨダレのシミができている。
後方を確認するとそこにはふくれっ面をしたそばかすメガネっ娘ことアリシアが書類を抱えて立っていた。書類に押し付けられた大きな胸が窮屈そうにしている。彼女は、ウォーレンの後頭部を持っていた書類で叩いたようだ。
「……寝ていたのか……俺」
あの夢が現実でなかったことに安堵する。やはり昨日の体験はトラウマとなり、悪夢として出てきてしまった。
「そうですよー。なので優しい私が起こしてあげました。なんか、先輩うなされていましたし……」
アリシアはウォーレンの右隣の席に移動する。そもそも仕事中に寝るなどあってはならないことだが、そこまで怒っていないのはウォーレンだからか、書類仕事が多いこの職場だからか、珍しいことではないのだろう。
「……た、助かったよ」
「やっぱり悪い夢でも見ていたんですか。昨日から様子が変ですが大丈夫ですか?」
幽霊に関しては追い払えたが退治できたのかは確証がない。まだあの屋敷にいるかもしれなく不安は残る。
「……たぶん、大丈夫だ。大丈夫だと信じたい」
「例の幽霊ですか? もし心配なら聖職者の妹に頼んでお祓いしてもらいましょうか? 少し変わっていますけれど評判は良いですよ」
「ああ、もしかしたら頼むかもしれない」
似たようなことを執事のモーリスに言われたのをウォーレンは思い出していると、
「それと……これは昨日のプレゼントのお返しです」
そう言うとアリシアが持っていた書類の束がウォーレンの机の上に置かれた。
「結構な量だな……」
「この寒い時期なのに例年に比べて行商人が多いようですよ。美術品を扱っているとか。おかげさまで全然仕事が減らないですよね」
「行商人のせいなのか……うちの屋敷も変な美術品が増えつつあるな」
ウォーレンは美術品への興味はなく、購入しているのは父親のダンブルギアだ。行商人が増えているのなら何かしらのブームでも来ているのだろうか。
「では、少し早いですが。私はお先に失礼します」
いつの間にかアリシアは帰り支度を整え、ファー付きのコートを羽織り可愛らしいピンクのポーチを肩から下げていた。
「……社交界か?」
「まぁ、そんなとこです」
アリシアは頬をかきながら明後日な方向へと視線をそらした。彼女は早めに帰ることがたまにあり、ウォーレンが理由を聞くと曖昧に返される。乙女の事情なので深くは詮索しないものの気になるところだ。
「っていうか、俺一人でこれやるのか!?」
「寝てたんですから元気になりましたよね? 今日くらい頑張ってください。最低でも半分くらいやってくれればいいので。それでは」
ウォーレンに手を振るとアリシアは帰ってしまった。
(あいつ……覚えてろよ)
はぁ、とため息をついた後、作業に取り掛かる。自発的には仕事しないが頼られれば断れない、そんなウォーレンであった。
ウォーレンが仕事場から出たときには辺りは暗かった。少し雪が降っている。仮眠を取ったためか集中力が続き全ての書類を片付けてしまった。
屋敷に着くと執事のモーリスが出迎えてくれた。
屋敷の扉には花環が掛けられていた。屋敷の中に飾っていた花を編んで作ったのだろう。花環は人の生と死、そして不死の象徴でお墓に飾られることが多い。外から見るとこの屋敷の住人に不幸事があったのかと勘違いしてしまいそうだ。たしかに不幸事はあったのだがそういう意味じゃない。
玄関ホールに入ると購入した花瓶がさっそく置かれていた。形はそこまで変わらないが装飾品が少し豪華になっている。冬は薄い色の花が多く、これまでは白い花と明るい色の花を混ぜて飾られていたが、今はピンクや赤などの派手な色の花でまとめられている。ピンクの薔薇には『友情』、カーネーションには『感謝』という意味があるのだが、幽霊と仲良くなりたいのだろうか。いずれにせよ屋敷の使用人はウォーレンの無理難題に答えようとしていた。
中央の階段を上り自室へと足を運ぶ。
(そういえば幽霊がよく悪さしているのは西側の一階だっけか……)
少し気になり目を向けると通路の奥に向かって青い髪の青年がトレイを持って進んでいた。トレイには白いパンとスープが載せられていた。朝食の残り物のようだ。
(……たしかマーシャルだっけ? 親父の専属執事の)
以前はモーリスがダンブルギアの専属執事であったが、二年前くらいからマーシャルへと変えられた。マーシャルはまだ二〇歳台で若いものの当主の専属となった。モーリスと同じく優秀で若さもあり採用されたのではないかとウォーレンは考えている。ただ、父親のダンブルギアと話すときくらいしか顔を合わす機会はなく、未だに謎に満ちている。
(マーシャルの部屋ってあっちなのか? というか使用人たちは東側に住んでいるはずなのに……)
各使用人の部屋まで細かく把握していないウォーレンはそういうものかと飲み込んだ。
くるくる茶髪が二階通路を歩いていると義弟の銀髪イケメンことフォルトナートとばったり出会う。
「おかえりなさい、ウォーレン。お元気ですか?」
「ああ」
「私も今日は帰るのが遅くなってしまいました。よかったら一緒に夕食を取りませんか? イザベラはもう済ませたようなので」
フォルトナートとイザベラの職場は同じだが、たまに帰る時間が異なる。フォルトナートも何か忙しいのだろうか。
「そうか。それもいいな。フォルティの部屋でいいか?」
「ええ」
「それじゃあ、モーリス。そういうことで頼む」
「かしこまりました」
長く四角いテーブルにウォーレンとフォルトナートが向かい合うように座っている。
夕食のメニューとしては、白身魚のポワレでカリッと皮の部分が焼けており、野菜が添えられ、皿全体に赤いソースがかかっている。この国の北には海が広がり魚が取れ、寒い時期であれば鮮度を保ったまま街に運び込まれる。冬の楽しみだ。
ウォーレンは白ワインを飲んでいて、フォルトナートは果物のジュースを飲んでいる。寄食家であるもののアルコールが好きというわけではなさそうだ。
フォルトナートと雑談していると昨日の出来事をウォーレンは思い出す。
「昨日の夜、俺の部屋に幽霊様が出たぞ」
「え、本当ですか?」
フォルトナートは食べる手を止めた。
「ただフォルティからもらった護符を押し付けたら帰っていった。あれがなかったらどうなっていたことやら……」
「!?」
フォルトナートは何やら引きつった顔をしている。まるであの護符が適当に見繕ったものとでもいうように。
「そ、それはよかったです……その幽霊について聞かせてもらっても?」
フォルトナートは給仕をしていた使用人に目配せした。この場合は人払いの意味だろう。
「何もそこまでしなくても……」
「念には念をです」
使用人たちが去ったことを確認し、フォルトナートは両手を前に組み、肘をテーブルにつけた。
「では話してくれますか?」
「そうだな……昨日の深夜に透明な棒みたいなものが窓から入ってきたんだ」
「棒ですか……透明なのになぜ形がわかったんですか?」
「月明かりで部屋に埃が舞っているのが見えて、『それ』がある空間は埃がなかったから形がぼんやりとわかったんだ」
「……なるほど」
フォルトナートは納得がいったようだ。ウォーレンは続けて説明する。
「そいつは部屋の中を漁っている感じだった。そんでこっちに近づいてきたから護符を押し付けたんだ。すると効果があったのか一瞬で帰っていったよ。護符は持っていかれたがな」
「持っていかれたんですか?」
フォルトナートは驚いた口調で確認した。
「ああ、押し付けたときビクっとして……そのまま護符は持っていかれた」
「それは怖い思いをしましたね……幽霊がいなくなった後、外は確認しましたか?」
「ん? そうだな……よく確認してないが何もいなかったと思う」
銀髪イケメンは少し考え込み、正体が予測ができたのか険しそうな顔をする。
「いいですか? このことは誰にも言わないで下さい」
「何かわかったのか?」
「まだ推測の段階ですがね……確証は持てないので伏せておきますが」
何かがわかったときフォルトナートは情報を開示しないことがある。内政局で働いているためかどんな情報も交渉事のカードとして使う仕事の癖だ。カードとして使えないときは教えることもあるが、今回の場合は使えそうなのだろう。
「教えてくれないのかー?」
ウォーレンは催促してみるが、
「気が向きましたらね……ちなみにですが幽霊はまだいるようですよ。今日の夕方も厨房で出たようです」
「えっ!?」




