救われない少年
SM嬢は村から離れた合流地点で仲間が来るのを待っていた。彼女の隣には誘拐した村長の娘ビーマが座っている。
そこに。
獣人の少年――ヴォルフィンが駆け付けていた。彼は『獣術』を使い、白と黒の毛を持つ本物の狼の姿になっていた。
「獣人!? でもちっこいわねぇ。子どもかしらぁ」
SM嬢は一瞬驚くが、彼女は『魔術』を使える。村を襲撃したときに大人の獣人を無力化していたので余裕の表情を見せていた。
彼女が片腕を振るとゆったりとした袖口からロープが飛び出した。ロープは走っているヴォルフィン目がけて一直線に進む。
「ヴォルフィン!」
ビーマの叫びが再び響くが、ヴォルフィンは横に飛んで避けた。
(獣化していると厄介ねぇ)
そもそも、彼女が獣人の大人を拘束できたのは奇襲であったからだ。獣化――ケモノの状態になる前であれば獣人は人間と同じだ。サフィニア石入りのロープで巻きつけてしまえば、獣人は容易に無力化できる。
出したロープを戻している間にヴォルフィンは接近してくる。
SM嬢はもう片腕からロープを出し、ヴォルフィンを狙う。
パシッッッ!
ヴォルフィンの頭目がけてロープがムチ打った。しかし、彼は勢いよく走っていたためか、ロープで捕縛されることはなかった。
その勢いは止まらず狼はSM嬢目がけて走り続ける。
(!?)
SM嬢の額に汗が浮かぶ。いくら子どもと言えどあの速度の突進を受けるのは避けたい。
そして。
「キャっ!」
小さな叫びを上げたのはビーマだった。ヴォルフィンはビーマの方に突進、いや、彼女に巻かれたロープを咥え、勢いを保ちつつ走り去ろうとしていた。彼はウォーレンとの約束を守り、ビーマを救出することを優先した。
「逃がさないわよぉ!」
SM嬢は振り返りながら腕を振った。袖口からロープが飛び出してヴォルフィンを精確にムチ打つ。
「がっ!!」
ロープはヴォルフィンの頭に直撃し、咥えていたビーマが飛ばされる。
「きゃあ」
ビーマは小さな声を上げた。勢いよく倒れたものの衝撃でロープが緩んだ。
「残念ねぇ。あなたたちぃ、もう逃げられないわぁ」
すでにSM嬢はロープを袖に戻して、攻撃の準備を終えていた。ヴォルフィンがビーマを救えたのは、彼の狙いが不確定だったのと、走る勢いがあったからだ。今の状況で逃げるのは難しいだろう。
さらに。
ヴォルフィンの体中に生えた毛が体内に戻り、骨格もケモノから人間へと戻っていく。
……術の源が切れてしまった
「あらぁ、やっぱり子どもだわぁ。獣術が解けるのが早いねぇ」
ヴォルフィンとビーマに絶望を与えるようなゆっくりとした口ぶりでSM嬢は攻撃を開始する。
パシッッッッ!
再びムチ打つ音が辺りに響き渡った。
ロープはビーマを狙っていたが、ヴォルフィンが腕で庇っていた。
「ビーマ! 早く逃げろ!!」
「ヴォルフィンは!」
「俺のことはいい。あいつが……母さんを殺したんだ。おまえがここにいると邪魔だ。早く行け!」
「っ!!」
ビーマは緩んだロープの隙間から手を出して立ち上がった。
力のない彼女がここにいても何もできない。彼を助けられない。彼の邪魔になる。彼女がここに残れば、ヴォルフィンが助けに来たことが無駄になる。
自分に力がないことを呪いながら、苦しみながら、悲痛な思いを抱えながら、涙を流しながらビーマは走り去った。
「あの子を逃がすのはしょうがないけれどぉ、代わりにあなたを捕まえればいいだけよぉ。獣人なら高く売れるわぁ」
SM嬢は標的をビーマからヴォルフィンに変えたようだ。そんな彼女の言葉を無視して、ヴォルフィンは叫ぶ。
「おまえが母さんを殺したんだろ!!!」
「……何のことかしらぁ。でもぉ、この村で何人か殺したからぁ、そのうちの一人だとしてもおかしくないねぇ」
「くそっ!」
この村に嫌がらせをすることがSM嬢たちの仕事だ。その仕事の一環として、住民を何人か殺害していた。
「復讐かしらぁ、いいわぁ相手してあげるぅ。力の差を見せつけておかないとぉ、運んだ時に逃げようとするからねぇ」
そして。
何度も。
何度も。
何度も、だ。
ヴォルフィンはムチ打たれていた。体中に、蚯蚓腫れができ、血が流れ、服がボロボロになっていた。
SM嬢に近づこうとしてもロープで飛ばされていた。
為す術がなかった。
そもそもこれは彼にとっての復讐。逃げることなど頭にはなかった。
……ヴォルフィンは膝を着いた。
身体に限界が来ていた。
ほとんど残っていない気力で立っていたが、身体が言うことを聞かない。
必死でヴォルフィンはSM嬢を睨みつけるが、彼女は逆に笑みを浮かべる。
そして。
彼女の袖からロープが飛び出し、ヴォルフィンの身体に巻きつき締め上げる。
「うぐぁ!!」
そのまま、縛られたヴォルフィンはSM嬢の近くへと手繰り寄せられた。
「なかなかしぶとかったじゃなぁい。でも、残念ねぇ。力量をちゃんと考えないとダメよぉ。復讐で頭に血が上っているのならしょうがないかしらぁ」
ほとんど意識が朦朧としているヴォルフィンにSM嬢が語りかけると、
「ヴォルフィン!!」
女の子の声が聞こえた。その声は、SM嬢が先ほど聞いたものと同じであった。
「あらぁ、のこのこと戻ってきたのかしらぁ」
SM嬢は少女の声がする方へ視線を向けると、
ビーマが立っていた。
いや。
その後ろに、茶色いくるくる頭の青年と、赤いツインテールの少女も立っていた。
ウォーレンたちがキャンプ跡へ向かう途中にビーマに遭遇していた。ウォーレンはビーマに村へ戻るように提案したが、断固拒否されビーマも着いてきてしまった。
「げぇ! カワイ子ちゃんじゃなぁい。まさか……」
「ええ、あのデカブツはまたぶっ飛ばしてやったわ。ついでにもう一人もね」
「嘘! 嘘だわぁ! ナータンは獣術を使っていたはずよぉ」
「そんなの関係ないわ。獣術を使っても私には敵わないってこと」
先手必勝とSM嬢は片腕の袖口からロープを出してエラを狙う、が。
大きくロープは弾かれてしまう。バルサドールの街で対峙したときとは大違いの挙動だ。
「そのロープの仕組みも見当がついているわ。サフィニア石を埋め込んだ部分と何にもない部分をつなぎ合わせてるんでしょ? じゃないと魔術で操るのは無理よ」
もしこのロープの全てに術の源を吸収するサフィニア石が埋め込まれていたら、術者の魔術も効かなくなる。そのため、石が埋め込まれていない部分を操作することで、器用に操っていた。
「それさえわかったのなら。あとは簡単。『術の糸』の触覚を頼りに、効きやすい場所を探るだけよ」
「っ!!」
術の糸は、術者の触感と連携している。魔術が通りやすいかそうでないかは感触でわかるのだろう。
「くそぉぉぉ!!」
SM嬢は両腕の袖からロープを出してエラを狙う、が。
「えっ?」
SM嬢は唖然とした。空中でロープが静止していた。エラの魔術でロープを止めたようだ。そして、
「わああああああああああああ!!!」
彼女はロープで引っ張られる。そのまま、彼女の身体がエラに飛び込む。
「ぎょえええええええぇぇ」
エラちゃんパンチがSM嬢のみぞおちにクリーンヒットした。彼女は大きく飛ばされた。
「ふぅ、これでひと段落ね」
「おまえ、本当にチートだなぁ」
エラの本気を見物していたウォーレンはショーが終わったかのように感想を述べた。
「あとは、ヴォルフィンを解放するだけね」
ぴょんぴょんと楽し気にエラが近づいた。
「ん? エラ危ない!」
「えっ?」
エラが振り返った瞬間彼女の横から大きな影が飛び出し直撃する
「グヘ!!」
女の子らしくない声を上げ、不意打ちをくらったエラは大きく飛ばされ、ピヨピヨ状態になる。
「エラ!!!」
急なことに動揺しつつウォーレンは叫んだ。影が何なのか確認する。
その影は大きな拳であった。
そして、拳を振るったのは……巨漢男ナータンだった。その横にはシーフ野郎ことカイも立っている。彼らはボロボロであったが、どうにかここに合流できたようだ。
「あんたたちぃ!」
仲間の無事を確認したSM嬢は涙を流す。
「姐さん、急ぐボ。村の獣人も来ているボ」
「緊急、ならば、撤退」
彼らは命からがら抜け出し、ここまで駆け付けたようだ。
「わかったわぁ」
「こいつはどうするボ?」
巨漢男ナータンが指差したのは、ヴォルフィンだった。
「それはさせねぇ」とウォーレンが飛び出すが、ナータンの軽いパンチで撃沈してしまう。ビーマは震えているだけで何もできない。
「その子は獣人よぉ。高く売れるから持っていくわぁ。追いつかれそうだったら捨てていくだけよぉ」
ナータンは意識を失ったヴォルフィンを抱えそのまま走り出す。そして、カイとSM嬢も立ち去ってしまった。
……ヴォルフィンだけ連れ去られてしまった。
「おーい、おーい」
ウォーレンはエラのプニプニほっぺをペシペシ叩く。
「ん?」
エラ少女は目を覚ましたようだ。
「かぶり付くなよ!」
「……そんなことしないわよ」
エラは寝起きが悪いというわけではないが、屋敷での一幕を思い出しウォーレンは警戒してしまった。
「ねえ、あの後どうなったの!?」
エラはウォーレンの襟首を掴む。エラのロープはすでに解かれていた。辛そうにウォーレンは言葉を紡ぐ。
「……ヴォルフィンは……連れ去られた」
「っ!!」
エラは悔しそうに手を離すと近くにいたビーマへ視線を移す。彼女は膝を折り畳んで座り、両手で顔を覆っていた。
「うっく……ひぐっ……」
手から涙が零れ落ち、顔はぐしゃぐしゃだった。
「まだ間に合うわ! 今から追いかければ!」
「こんな暗闇だ。それは無謀だし、そろそろ術の源が切れるんじゃないか?」
「そうだけど……でも……」
村へ来るときに術の源を消費し、戦闘でも大量に消費したエラだ。いくら魔人といえど回復には時間がかかろう。今の状況でエラが突っ込んでも勝てるかわからないし、返り討ちに遭えば最悪だ。ウォーレンとてヴォルフィンを救いたいが、エラの方を優先したい。
そこに、三人の大人が来た。村長と獣人兄弟であった。
「ビーマ! 無事か!?」
娘の安否を確認できた村長は泣いているビーマに駆け寄り、抱きしめる。
「パパ! ヴォルフィンが連れ去られたの! 私の代わりに……獣人なら匂いで辿れるでしょ!」
泣きじゃくるのを我慢しながら、村長に、獣人兄弟に必死に問いかける。
が。
「そうなのか……彼に感謝しよう。ビーマも辛かったな。さあ、家に戻ろう」
「えっ……ヴォルフィンは! ねえ、ヴォルフィンは!!」
ビーマは必死にヴォルフィンを助けようと訴えかけるが、
「彼のことはもう忘れよう。この村では嫌われ者で、助けるほどの義理はない」
「なんでそんなこと言うの! ヴォルフィンは……ヴォルフィンは……うぐっ……ヒック」
ビーマとて村長の娘だ。彼がどういう状況にいて、連れ去られた場合大人がどういう行動をするのか理解している。
「ウォーレン……」
エラはウォーレンの袖を引っ張った。彼女も辛そうな、苦しそうな顔をしている。
「エラ、俺は言っただろう。『思い切り暴れて来い』って、そんでビーマを救った。よくやったよ」
「ヴォルフィンは? まだ救えてないじゃない……」
ヴォルフィンと大人の話を聞いた今、ヴォルフィンが理不尽な目に遭ってきて、さらに捕まって売られそうになっている。昔の自分自身を重ねているのかエラはヴォルフィンを救済したいと思っていた。
「おいおい、もう一つ言っただろ? 『後のことは俺が全部やる』って」
「えっ?」
ウォーレンはエラの頭をゴシゴシと撫でてると、両手を前に出し拳を作りもう片方の平手を殴る。
パンっ!!
元貴族の青年は堂々と前を見据えて言い放った。
「さあ、後始末開始だ!」




