術の丸薬の弱点
シーフ野郎カイに財布を盗まれウォーレンは必死に追いかけていた。元貴族で書類業務を主にこなしていた彼だが、奴隷商人見習いとして働いたこの一ヶ月で体力を取り戻していたようだ。
「待ちやがれえええええええええええええええ!!!」
二人の様子はまるで逃げる怪盗と追いかける刑事だ。こういう場合は大抵泥棒の方が逃げ切る気がするが……
(追い詰めた!)
運が良かったのか辺りが暗かったためか、高い木のフェンスがそびえたつ袋小路へとカイを追い詰めた。
ウォーレンは横の壁に立てかけられたピッチフォークに気付く。ピッチフォークは麦や干し草を運ぶための農具で、持ち手は長く先端に細い針が四本ついている。まさに大きくしたフォークといえよう。
(これは使える)
ウォーレンはピッチフォークを手に取って構える。
「俺は『イザベラ流武術』の師範の兄だ! おまえは取り逃がさん!」
『イザベラ流武術』とは、ウォーレンの妹イザベラの武術スタイルで身近にある長いものを使って戦う戦闘スタイルのことだが……ウォーレンは使えない。
『俺、ならば、回避』
「やれるもんならやってみろ!」
ブンブンとピッチフォークを振り回して、カイを狙うウォーレンであったが避けられてしまう。戦闘に関しては初心者のウォーレンだ。プロの盗賊には歯が立たない。
(くそぉ、まったく当たらねえ。どうすれば……)
攻撃しているのはいいものの、そろそろ反撃をしてくる頃合いだ。ウォーレンはだんだん焦り出す。
カイは一旦間合いを取って、ウォーレンへ告げる。
『御前、ならば、余裕』
(こいつの喋り方ってなんか変だよな)
カイの喋り方は独特で、『ならば』を必ず付ける。そんな彼の喋り方をウォーレンは真似る。
「余裕、ならば、休日」
『!?』
まさかの発言にカイは驚く。だが、彼も負けたくはないようで、連想ゲームのように彼らは言葉遊びを始める。
『休日、ならば、鍛錬』
「鍛錬、ならば、苦手」
『苦手、ならば、会話』
「会話、ならば、楽勝」
『楽勝、ならば、おまっ』
そこで、カイの発言が止まった。この単語を言えば無限ループだ。
「おうおう、御前だったらさっき言ったろ? 御前の負けだ。あほんだら」
「っ!!!」
大の大人たちがこんなところで何やっているのかと思ってしまうが、焦ったカイに隙ができた。そこをウォーレンは逃さない。
「うおりゃああああああああああああああ!!」
ピッチフォークをカイ目がけて突き刺す。
しかし。
カイはその場でしゃがみ込み、ウォーレンの攻撃を器用に躱した。大きく空いたウォーレンの腹部に勢いよくタックルする。
「ぐはっ!!」
攻撃が直撃したウォーレンは後ろ方向へ飛ばされる。エラパンチで慣れているとはいえ、痛いものは痛く、腹部を押さえてもがいていると、
(ん?)
ウォーレンの横に倒れたピッチフォークの先端に目が行く。
……財布袋が刺さっていた。
さっきの攻撃で財布が運よく刺さったのだろう。元々カイを追いかけたのは、財布を取り返すためだ。
目的を達成できたのならあとは……
「じゃあな~~~」
ウォーレンは痛みなど忘れて瞬時に立ち上がり、ピッチフォークを持ちながら全力で逃げ出す。
『!?…………俺、ならば、確保!』
手元に袋がないことに気付いたカイもその後に続き、ウォーレンを追いかけた。
一方、魔人少女エラと巨漢男ナータンが対峙していた。ナータンの大きな拳が獣人の少年ヴォルフィンに突き出されたとき、
……大きな音がなかった
ナータンのパンチは地面を砕くほどで、毎回大きな打撃音が響き渡っていた。
「ボ?」
ナータンはこの状況を不思議に思った。たしかに少年を思い切り殴ったはずだ。しかし、少年は飛ばされることはなく、むしろ、まだその場にいるような気がしてならない。
……拳の先に何かの感触がある
ナータンは自分の拳の先を見つめる。そこには、黒と白のグラデーションが目立つケモノの姿をした少年がいた。
……ヴォルフィンは獣術を使っていた。
ヴォルフィンはナータンに狙われた途端、獣術を使っていた。獣術は『術者自身の内面』に作用する術だ。自身の筋力を強化することでナータンの攻撃を受け止めていた。
(こいつ!)
所詮ヴォルフィンは子どもだ。防御するのに精一杯で攻撃などもっての外だ。ならば、追撃すればいいだけだ。
ナータンはもう片方の手で拳を作り、大きく振り上げる。
そのとき。
巨漢男の横腹に大きな衝撃があった。彼は大きく飛ばされ、バギバギバギッ!! と民家に突っ込んだ。
「ヴォルフィン、大丈夫?」
この窮地からヴォルフィンを助けたのはエラだった。彼女は再びナータンに飛び蹴りを入れていた。
「ああ」
「あなた、獣術使えるのね」
「……今まで怖くて本気で使えなかったんだ。でも、危なかったから……」
獣術の身体強化というものは『肉体変化』だ。獣術によって、肉体を変化させることで身体を強化する。使い方によっては後遺症が残るため、本来父親や他の大人に教わり安全な使い方を学ぶ。しかし、ヴォルフィンは父親を亡くし、村人から避けられていた。そんな彼は、一人で練習していたものの本気で獣術を使うことは初めてだった。
「よく耐えてくれたわ。おかげで大きな隙ができて倒せた」
エラがヴォルフィンを褒めていると、
「……まだ、やられてないボ」
砕かれた民家の中から声が聞こえた。そこには巨漢の男が床に座っていた。
ナータンはまだ倒されていなかった。
しかし、皮膚のいたるところに傷ができ、頭から血を流している。民家へ打ち付けられたときに負傷したのであろう。
「ヴォルフィン、先にビーマのところに行ってなさい。獣人のあんたの方が早く追いつけるでしょ」
「あいつを倒せるのか?」
「ええ、もちろん。私の手品はすごいんだから」
「……わかった」
ヴォルフィンは四足で勢いよく走り出した。
獣人は鼻が利き、外部の人間が入ってきたかどうかを判別できる。獣人を襲うのなら、匂い対策をして、人気のない時間と場所を調査した上で決行しなければならない。
ヴォルフィンは、三人組とビーマの匂いを知っている。鼻を使って辿ることで追跡できる。
「そろそろ止めを差してあげるわ」
エラはナータンを目に据え、手をポキポキ鳴らす。彼女は蹴り技しか入れていないが、この行動は気分の問題だろう。
「小娘が。オラに勝てると思うなボ」
ナータンがずっしりとした巨体を動かして立ち上がる。肩と頭にかかった木の破片がパラパラと落ちる。
「そっちこそ私に勝てると思わないでね。私は知ってるわよ。『術の丸薬』の弱点を」
「ボっ!?」
ナータンは焦り出す。まるでエラの言うことが当たっているかのように。
「あんたみたいな術の丸薬を飲んだ人間と戦ったことがあるのよ。そいつが負けた理由は単純、術の源切れよ。ヴォルフィンが攻撃を受け止められたのも、さっきよりも私の攻撃が効いたのも術の源が切れてきたからでしょう?」
エラはマーシャルという魔術の丸薬を飲んだ人間と戦ったことがある。彼はあと一歩のところでエラを殺せたが、ウォーレンの横やりが入りエラの止めの攻撃が加わったことで、術の源が切れて負けてしまった。
「これで最後の一発よ。折角だからグーで締めてあげる」
ダッ!!
一瞬でエラは民家の中にいるナータンに向かって飛び、小さな拳を前に向かって大きく振り抜けた。
「ボごぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおお」
ナータンの顔面にエラちゃんパンチが炸裂し、回転しながら吹っ飛び、民家の壁を突き破る。地面で引きずられた後撃沈し、頭にぴよぴよとひよこを回した。
「プロの人間が術を使ってもこんなものなの? 私が知っている人間は術を使えないけれどもっと強いわ」
一方だ。
シーフ野郎のカイがくるくる茶髪のウォーレンを追いかけている。カイの手には小型ナイフが握りしめられていた。
(ヤバいヤバいヤバいヤバい)
ウォーレンは必死になって逃げ回っていた。彼は財布を取り返し、その手にはピッチフォークを握っていた。さっきの様子とはまるで変わって、追いかけるハンターと逃げるウサギのようだ。
「おまえ、追っかけてくんなよ!」
「盗賊、ならば、窃盗」
「そのお遊びはもういいから! さっさとどっか行け!」
お財布を取り戻したのならカイに用はないのだが、さっきの連想ゲームで負けたことに腹が立ったのか、カイはウォーレンを執拗に追いまわしていた。
逃げ回ったウォーレンは、馬小屋へと入り込んでしまう。その奥へ進むと、
(行き止まり!?)
馬小屋の奥は木の壁で塞がれていた。




