少年たちの喧嘩
バルサドールの街を飛び出して、翌日の昼になっていた。奴隷商人見習いのウォーレンと隠れ魔人少女エラは、街の南方にある村へ徒歩で向かっている。
エラはふわふわとウォーレンの近くで空中に浮かんでいる。
「なあ、なんで俺も飛ばせてくれないのか?」
エラの魔術を使えばウォーレンも飛ぶことができて楽なのにエラは許してくれない。
「だから、そういうのには向いてないの!」
「違いがよくわからん」
前日から聞いているがウォーレンを飛ばすことは拒否されていた。
「他の人を飛ばすのは、糸がグニャグニャってなるし、消費がハンパないの!!」
「なんでだ? 俺のことを持ち上げただろ?」
よくわからない擬音は無視して、過去の体験について聞いてみた。彼と彼女が初めて出会ったときは、エラが敵意むき出しでウォーレンを首吊り状態で持ち上げた。
「あのときはとっさだったし、持ち上げた時間も少しでしょ?」
「時間が少しならいいのか?」
「そうよ。ただ長い時間は術の源の消費が激しいの」
術の源は、魔人が魔術を使うときに消費する体内のエネルギーだ。いわゆる魔力やらマナやらMPやらにあたる。
「それって人間だからか?」
「というか、生きてるから。『生命体』は魔術との相性が悪いのよ。たしか効率が半分になるって教わったわ」
「マーシャルと戦ったときは直接戦ってただろ?」
「あのときはしょうがないわよ。近くに使えそうな『物体』がなかったもの」
話しているとなんとなく理解できた。
魔術は『術者以外』の『万物の外面』に作用する術で、物体とは相性が良く術の源の消費が少ない、一方、生命体とは相性が悪く術の源の消費が多い。
効率が半分というと、同じ重さの人間と岩があったとして、同じ高さまで持ち上げるのに消費する術の源は岩が一とすると、人間がニになる。
「それじゃあ、おまえが飛んでいるのは何なんだ? 術者には使えないんだろ?」
「そうだけど、工夫すればいいだけよ。私はこの服が自分自身でないと認識を切り分けているの、そうすれば魔術が効くようになるのよ」
「……なんかそれってズルじゃねえか?」
「ズルなんかじゃないわよ。落ち着いて意識すれば上着を着てるってことは触感と視覚でわかるわよね? ただ、動いたりすれば他の方に意識が向いて上着のことなんて忘れて自分の身体の一部になっちゃうわ」
術者自身に魔術は作用しないといっても、身にまとっているものが自分自身でないと認識できれば作用する。物理的にどこから自分でどこからが外かはハッキリするが、あくまで脳の中での認識でいいようだ。
「ただ、消費する術の源は少し多いけれどね。ちなみに、こうして飛び回れるのも私が天才だからよ。これでも軍学校で実力は上だったわ」
クルクルとエラは人魚のように空中を泳いで、腰に手を当て自慢気にする。
「ふーん。でもおまえができるなら他の魔人もできるんだよな?」
「そうだけど……」
ちょっとだけエラはしょんぼりした。エラが天才かどうかはわからないが、子どもの魔人でこの技法を習得しているのはすごいのかもしれない。
「あと、そうだ。魔術を使うときは何かニョロニョロしたものを使ってるよな? 俺は見たこともあったし、触ったこともある」
幽霊騒動のときにウォーレンはニョロニョロとやらを見たことがあるし、エラに首を絞められたときに触れている。
「そうね。屋敷にいたときはニョロニョロで、今はカチカチだけどね。それをグニーと伸ばしていろいろするの!」
「……それって名前とか付いてるのか?」
「んーと。『術の糸』って言ったかしら。飛ぶときは私の手から出して、服を持ち上げてるの」
「なんかそれって変な感じするな」
魔術の作用というのは物理的な作用反作用のイメージではなく、位置を直接操作するイメージだ。神様が別の世界から見えない手で持ち上げているような、ゲームのキャラクターがプレイヤーによって操作されるような、つまるところ物理現象の外にある。
「別に変じゃないわ。あと…術の糸は妖人も使うって聞いてるわ」
「妖人って名前だけ聞いたことあるけれど本当にいるんだな」
「いるみたいね。戦い方は一応教わったわ」
この世界には、人間、魔人、獣人の他に妖人、そしてもう一つの知能を持つ人が住んでいる。
「せっかくだから俺も飛ばしてくれよ。今は街にいなければ、近くに人もいないしな」
「……少しだけよ?」
そういうと、エラはウォーレンの方へ手を向ける。ウォーレンの身体が急に浮かび上がる。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお。すごいなこれ!?」
「もう少し高くするわ」
エラはさらに上へと飛び立ち、後を追うようにウォーレンも手足をバタバタ動かしながら上へ移動する。一〇〇メートルくらいまで一気に上がると、そこで止まった。
「おお、ここいらを一望できるな!」
「村が見えるわ! もう少しね」
彼らの視線の先に薄っすらとした木造の小さな建物群が見えた。
「あそこにも何かあるわね」
「ん?」
エラがそこまで遠くない木を指差すと、その周りにキャンプ跡があった。焚き火の跡と古い布が見える。その布の上で寝たのだろう。
「商人か何かがここで泊まったんじゃないか?」
「ふーん」
そして、ウォーレンとエラは再び地上に降り立った。ウォーレンを飛ばすのが楽しかったのか着地する前に、ウォーレンの足が着きそうになれば上にあげ、また足が着きそうに慣れば上にあげて、と遊ばれてしまった。
エラは調子乗って術の源を沢山消費したようで一緒に歩き出した。
「いい加減にしろよ!!」
ドガッ!! と黒と白のグラデーションの髪を持つ少年が蹴られ、地面に倒れる。その少年の髪はボサボサで長く、頭の上には三角の耳が二つ付いていて、ズボンの後ろからしっぽが飛び出ている。
――獣人だ。
獣人の少年を蹴ったのは、一〇歳と思わしき人間の少年で手には木の棒が握られている。その人間の少年の後ろにももうひとり似たような背丈の少年が立っていた。獣人を痛めつけている少年は木の棒を大きく横に振りながら、怒りを込めて言い放つ。
「ヴォルフィン! 何度飯を盗めば気が済むんだ! いい加減にこの村から出ていけ!!」
どうやら獣人の少年――ヴォルフィンが食べ物を盗み、それについて怒っているようだ。
「……俺は出ていかない! 俺は……俺は母さんを殺したやつが許せない!!」
対して、獣人の少年は、棒を持つ少年を睨みつけながら憎悪を込めて言った。
「おまえの母ちゃんは自殺したんだろ!」
「違う!! 母さんは自殺なんてしない!!!」
「何度言ったらわかるんだ!! 大人はみんなそう言ってる!!!」
「あいつらの言うことなんて信用できない!! あいつらが……母さんを殺したんだ!!!」
少年たちは自分の意見通そうと躍起になっているが、それは水掛け論だ。状況は永遠に変わらない。
「もう、やめて!!」
少年たちの喧嘩に悲痛な少女の叫び声が割り込んだ。悲しげな表情で少女は二人の喧嘩をなだめようとしている。
しかし、棒を持った少年は止めるつもりはないらしい。
「ビーマ! 俺はこいつのことを許せねぇ」
ビーマと呼ばれた少女は小さな花の髪飾りを付けていて、身長は少年たちと同じくらいだ。少年たちに比べると身なりはよく、花の刺繍が入ったワンピースを着ていた。
「ヴォルフィンだって苦しんでるの! みんなで助け合わないと……」
「一番協力しないのはヴォルフィンだ! みんな迷惑してる! ビーマだってこいつの母ちゃんが自殺したって思ってるよな」
「私は……」
ビーマは悲しそうに俯く。ヴォルフィンか、大人か、どちらを信じて良いのかわからない様子だ。
棒を持った少年はそんなビーマの様子を同意したと解釈したようだ。
「ほら。村長の娘も自殺したって思っている!」
「違う!……母さんは……」
少しだけ、少しだけヴォルフィンの心が揺らいでしまった。
その隙を狙って少年は木の棒を大きく振りかぶる。
「いい加減に認めろ!!」
と。
ヴォルフィンに向かって棒が振り下ろされる直前、間に人が入り込んだ。
ビーマが目をつむりながら両手を大きく広げ、ヴォルフィンをかばっていた。
そして、
木の棒が振り下ろされた。




