お馬さんの仕返し
「いい子、いい子~。あなたたちよく頑張ったわ~」
ウォーレンが商売している間、魔人少女のエラは馬車を引いてくれた二匹の馬と戯れていた。両頭とも膝をついて地面に座っていて、エラは片方の馬の背中を撫でている。凶暴な魔人少女エラでも動物を愛でるのは好きなのだろう。表情はリラックスして落ち着いている。
「美味しくなってね~~」
そう一言だけ馬たちに希望を述べて、アニマルセラピーを受けたエラは立ち上がる。今いる場所は街の十字路で奴隷商人の店が一角にあり、その店の前に馬車が停められている。エラは、はす向かいにある店に近づく。その店は酒屋なのか男たちが酒樽を担ぎ込んでいた。
すると、正面から女が一人、男が二人の三人組が近づいてきた。女のスタイルは良く、蝶眼鏡をかけていて、ポニーテールが腰の下まで伸びている。まるでSM嬢のような雰囲気を醸し出しているが、手に鞭はなく、服装はゆったりとしていて袖口は大きい。SM嬢はエラに教えるように言葉を投げかける。
「あらぁ、あなた一人なのねぇ……こんなところにカワイ子ちゃんがいちゃダメよぉ」
「何よ、あんたたち?」
エラは胡散臭いと三人組を軽く威嚇した。ここはあくまで奴隷商人が店を構える区域だ。治安はそこまで良くないだろう。
「そうねぇ、悪い大人かしらぁ。例えばそう……カワイ子ちゃんを誘拐して売っちゃうようなぁ」
SM嬢はなだらかな声でエラに呼びかけながら、片手を上げて振り下ろす。すると、袖口からロープが勢いよく飛び出した。ロープはエラに向かって一直線に進み、鞭のように襲い掛かる、が。空中ではじかれたようにロープの軌道がそれてしまう。
「なんで!?」
しかし、これに驚いたのはSM嬢でなくエラの方だった。エラは本来ロープを大きく弾くつもりだったが、なぜか軌道をそらす程度しかできなかった。そのまま勢いを抑えられないロープは休んでいた馬を激しくムチ打ちした。
ヒヒィーン!!!
馬が嘶きとともに暴れ出す。
エラとてウォーレンの言いつけを守ろうとはしていて、危害を加えないようにしていた。しかし、馬の嘶き声がエラの自制心をプツンと取り払っていた。
飛び出たロープがシュルシュルと袖に戻り、SM嬢は不可解そうに焦りながら言う。
「何こいつぅ!? ナータン!! あんたが取り押さえなさぁい」
「わかったボ」
ナータンと呼ばれた語尾が特徴的な男は、ぽっちゃりとした巨体で、目が白く点のようであった。巨体をゆっくり動かしながらナータンはエラに近づき、大きな手で彼女を取り押さえようとする、が。
「わわっ」
エラは近づくナータンの懐に一瞬で潜り込み、逆を向いていた。彼の大きな腕をエラは両手で抱え、そのまま背負い投げをするかのように巨体を軽々と前方へ投げ飛ばす。
バキバキッ!!! ドンッッッ!!!!
二〇〇キログラムもありそうな巨体が、逆さになった状態で馬車の木製の車輪を砕き、支えを失った荷台が地面へと落ちた。馬車に沈んだ巨体の頭には、ピヨピヨとひよこがまわっている。
「「ナータン!!」」
SM嬢と男性の、仲間を安否する大きな叫び声が響き渡った。
「……カイぃ! 頼むわぁ」
「俺、ならば、捕縛」
カイと呼ばれた男性は口元と頭をバンダナで隠し、両目の部分だけ隙間を開けていた。風貌はまるで暗殺者と泥棒を掛け合わせたRPGゲームに登場するシーフのようだ。仲間の敵討ちを取ろうとシーフ野郎は小型ナイフを握りしめ、エラへと走り寄る。
『返してくれえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ』
視界内にある馬車の奥から奇妙な声を聞いてしまい、カイは自然と注意をそちらに向けてしまった。
その一瞬。
手に持ったナイフは急に弾かれ、カイの視界からエラが消えた。何が起こったのかと、カイは立ち止まる。
……頭にずっしりとした重みを感じていた。
エラはカイの頭の上で器用に片手逆立ちしていた。そして、倒れる勢いを利用しながら、身体全体を捻りながら、空中で大きな回し蹴りをカイの側頭部へと当てる。
ゴッ!!!!!
小さな少女が蹴り飛ばしているのに関わらず、カイもナータンのように大きく飛ばされ、酒樽へ打ち付けられる。
バギバギッッ!! っと酒樽が壊れ、中からビールのような液体が辺りに吹き出す。
『ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!』
どこかから哀れな青年の雄たけびが聞こえた。
「ナータン!! カイ!! 逃げるわよぉ!!!」
ポニーテールSM嬢は勝てないと思ったのか、騒ぎが大きくなると思ったのか、颯爽と逃げ出す。それに続くように、コテンパンにされた二人の男がふらふらしながら続いた。
「どこをどうしたらこんな状況になるんだよ!!!!!」
涙を流しながらエラの保護者ことウォーレンはエラに問い詰めた。この涙は感動に浸ったものではなく、悲痛の涙だ。
「私だって我慢しようとしたわよ! でも……お馬さんが……」
エラとて自制しようとしたが、お馬さんが痛めつけられたのに耐えられなかっただけだ。
「お馬さんが何なんだよ!! 意味わかんねぇよおおぉお!! だいたいおまえはいつもいつ……ぐふぅ」
エラの魔術パンチがみぞおちに炸裂して、ウォーレンはゆっくりとうなだれ再び涙を流す。この涙は、痛みで悶える涙だ。
「ふんっ、だ!」
話にならないとエラの方が見切りをつけ、プイっとしながらその場を離れる。再びお馬さんたちの方へと向かっていった。
「あーあーあー、なんじゃあ、こりゃあ……」
建物から青シャツの奴隷商人おじさんが出てきた。騒ぎを聞きつけ様子を見に来たようだ。
「おじさん……馬車の修理先を紹介してください……あと酒屋の店主との交渉も付き添ってください……」
ウォーレンにできるのは後始末することだけであった。
酒樽の弁償代と馬車の修理代を払い終えて、ウォーレンたちは青シャツおじさんの店にいる。ウォーレンとエラと奴隷商人おじさんは、テーブルを囲って、コーヒーを飲みながら休憩していた。エラの飲み物はジュースだ。馬車の修理には二~三日かかるらしく、絶賛暇を弄び中だ。
後始末が落ち着いてエラと話したら、三人組の大人がお馬さんをイジメたからやり返した、ということでウォーレンは理解した。厳密には違うが大きく間違ってはいないから良しとしよう。ちなみに、弁償代と修理代は合計銀貨二五枚かかり、今回の奴隷売買で得られた手数料は約銀貨一〇枚……つまり銀貨一五枚のマイナスだ。
「あー。金がないからこの仕事受けたのに……マイナスになったってセベロさんに言ったら売られるんじゃなかろうか」
「売られそうになったら私が助けるから大丈夫よ!」
とても頼りがいのあるエラの言葉だが、それは何の解決にもなっていないことには気付いていない。助けようとしてくれる気持ちだけ受け取っておく。
「おじさんー。何か仕事ないかー?」
「んー、そうだなー。ちょっとしたのならあるが……銀貨十数枚というとなぁ」
コーヒーカップを持ちながらウォーレンに仕事を提案するが、少しの足しにしかならない。奴隷商人が大きく稼ぐなら、ただで人を手に入れて売るしか方法はない。ウォーレンは上司のセベロに言われたあることを思い出す。
「この街ってテーラ王国に近いから獣人がいるんだろ? どこかで売ってないか?」
テーラ王国は獣人が集まって建国された国だ。このバルサドールの街から南西に位置する隣国だ。
「売り買いしている店は知っているが……獣人は領主がすぐに買っちゃうから残ってないと思うぞ」
「領主が買うのか?」
「そうだ、しかも高値だ。だから獣人を得てもこの街では領主にしか売らない。どうやら領主は獣人が憎くてしょうがないらしい。どうせ、拷問でもして楽しむんだろう」
バルサドールは中領地でその領主というと伯爵家相当だろう。奴隷をポンポンと買う余裕はありそうだ。
「なるほどなぁ。でもそんな領主に売るのもな……」
たとえ獣人を手に入れても拷問されるなら領主には売りたくない。安くなってもセベロに渡したほうがまだよさそうだ。
「ちなみに獣人ってどこで手に入るんだ?」
「南から西の方のテーラ王国に近い村だな。亡命した獣人とか、戦争後も村に残った獣人とかがいるって話だ」
「一番近いのは?」
「たぶん南のポロの村だろう。歩いたら一日くらいで着くと聞いている。ただ……」
おじさんが続きを言おうとするが、ウォーレンはすでに動き出していた。
「エラ! 時は金なりだ! 早速行くぞ! 獣人を見つけに行こう!」
「ええ、私も気になってたわ。モフモフしに行きましょう!」
金に飢えたウォーレンと、モフモフに飢えたエラは、ドタドタドタっと一瞬で立ち去ってしまった。
「あいつら……あの村は商人を受け入れないっていうのに……」
青シャツおじさんは残ったコーヒーを飲み干し、生き急ぐ彼らのことを忘れることにした。




