彼と彼女のやりたいこと
――奴隷商
奴隷を売り買いして利益を得る商売のことだ。奴隷商を商いとしているのが奴隷商人で、人狩りをしている盗賊などから買い付けしたり、捨て子を拾ったりして、売却し儲けを出している。
この国アンドロギウス王国は奴隷制があり、人口の二~三割は奴隷だ。貴族であれば奴隷を持っているのは当たり前で、市民で持つ人も珍しくない。買われた奴隷は、仕事の手伝い、家事、農業、兵士などの仕事が充てられる。中には、ウォーレンたちが出会ったような性を目的とした奴隷もいる。
才能があり成功した奴隷もいるが多くない。
正直、燕尾服の紳士――セベロの仕事が奴隷商だとウォーレンは考えていなかった。奴隷商はどちらかというと……裏の仕事だ。忌避感がないといえば嘘になるが、仕事が見つからないとはいえ、手伝っていいのか考えてしまう。
「あなたが戸惑うのは想定していました。進んでする仕事ではないですからね」
「……」
セベロはこの反応を予期していたような口ぶりだ。
「下の階の子どもたちは奴隷で、彼らを売ることが私の仕事の一つです」
さっきの子どもたちは客に好かれ買ってもらえるようあんなに媚った態度をしていた。
「ただ、私は彼らに文字の読み書き、計算、礼儀作法、教養などの教育を与えています」
「……なんでそんなことをするんだ? 高く売りつけるためか?」
「高く売るというのもありますが、他にも理由があります。教育されていれば仕事ができ主人から無下に扱われることが少なくなるでしょう。私の思いは一つです。できるだけ彼らに良い人生を歩んでほしいのです」
その言葉を聞いて、セベロは奴隷商という方法で奴隷たちの待遇を良くしようとしているのが伝わった。偽善だと言われればそれまでだが、やっていることは間違いではない。セベロは信念を持っている。
「元は私も奴隷でした、しかし拾ってくれた主人はとてもいい人で私に教育を与えてくれて、仕事をこなした分だけ賃金も与えてくれました。その主人は亡くなってしまいましたが、私に市民権を与えるよう遺言に書いてくれまして、こうして商売ができるのも主人のおかげです」
一般的には、解放奴隷にすることはあっても、市民権を与えられるのは稀であろう。セベロはとても恵まれた環境にいたことがわかる。
……この国で奴隷という身分から逃れる方法は二つある。
一つは、解放奴隷にしてもらうことだ。解放奴隷となるには主人の許可が必要だし、解放奴隷は税を納める必要がある。ただ、税を三年以上納めていればその子どもには市民権が与えられる。
もう一つは、市民権を買うことだが。もちろん安くはなく一般市民の平均月収三ヶ月分だ。主人が奴隷に賃金を与えることはないので、その方法を取ることは基本的に不可能だ。
「この国の奴隷制度を少しでも良くできるのは貴族だけです。主人に忠誠心を持って働き、少しでも彼らを懇意にしてくれる貴族が増えれば変わるかもしれない。そんな淡い願いもあります」
奴隷制度を良くするためには、法律を変えるか、奴隷たちがデモを起こすしかない。しかし、奴隷制度を廃止することは今の社会では無理だろう。市民や貴族から強く反対されるだろうし、自由になっても働き手が足りなければ社会が回らなくなる。仕事を求めた元奴隷は、元いる場所でしか働けず以前と変わらない扱いを受けることだろう。
「セベロさんがどういう思いで奴隷商をしているのかわかった。ここに来ないと子どもたちを見せれないから呼んだんだろ? ……でもなんで俺に手伝ってほしいんだ?」
「もちろんそれはあなたが『元』貴族だからですよ。教養があって子どもたちの教師になれますし、貴族のお客さん相手に対応ができます。あなたの伝手にも期待しています」
「うう……結局俺には元貴族というステータスしか価値がないのか……」
「あなたのことは社交界で見かけて、顔を覚えていました。ファンベール家の方々は有名ですからね」
どういう意味で有名なのかは聞かないでおくとしよう。
「……なるほどな」
ウォーレンは両手を頭に乗せ、天井を見上げては考えに浸る。取れる選択肢としては、この奴隷商を手伝うか、この街から出て外で働くことだ。チラリとエラを見ると、話し合いに興味ないのか部屋のあちこちをきょろきょろ見ていた。コーヒーは最初以降飲んでいない。奴隷商はある種エラのような子の存在を助長させる仕事だ。エラにとっても快くないだろう。
「ちょっと考えさせてくれ……」
一階に降りて子どもたちがいる部屋を見回った。屋敷内には、熱心に勉強している子、本を呼んでいる子、遊んでいる子、外には訓練をしている子もいた。ただ、みんながみんな屋敷に入ったときのような子たちではなく。ウォーレンを見ると怯え出す子や敵意を向ける子もいた。そういう子もいて当然だろう。
屋敷を後にして宿へと向かう。空の色は変わっていて夕日が出ていた。
「なあ、エラ。さっきの話聞いてたか?」
「なんとなくね。あのおじさん奴隷商人なんでしょ?」
右から左へと流していたわけではなく、少しは聞いていたらしい。
「あの人を手伝うってことは俺が奴隷商人になるってことだ。おまえは良く思わないだろ?」
「んー、そうね……」
エラは歩みを止め、顎に手を当て考え出す。心のままに動いて喋る自由な少女エラちゃんには似合わないが、彼女にとっても真剣に考えるべきと思ったのだろう。
「ウォーレン。あんたがやりたいことって何?」
彼女から出たのは質問だった。『やりたいこと』をウォーレンは考えるが頭には何も浮かばない。
「そうだなー。俺は貴族というレールに乗っかって、教育を受けて、学院にも通って、そのまま順調に出世したいなーって思ってた……やりたいことなんてなかったな」
「私とあんたって真逆の人生ね。私はレールから外れようと、もがいて、逃げ回って、自由を求めてた。ただ、あんたと同じでやりたいことなんてなかったわ。自由になった今こそよくわかる」
エラはなぜこんなことを言いだしたのだろうか。ウォーレンが奴隷商人になってもいいと思っているのなら肯定するためだろうか。
「奴隷商人になるってことは、そうだな……人が酷い目に遭うことを手助けするようなもんだ。おまえみたいな経験をする人を増やすのは……あまりしたくないな」
もちろんウォーレンは進んで奴隷商人になろうとは思っていない。しかし、エラの考えは違うようだ。
「……逆に言えば奴隷商人になったら、苦しんでいて、本当に救いを求めている人に出会えるんでしょ? もしそうなら…………私のときみたいにあんたが助けるってのはできる?」
エラは奴隷商人という道の『可能性』を示唆した。
「……一応、奴隷商も商売だ。全員が全員助けられるとは約束できないが、それができるなら俺だってしたいし……どちらかといえば助ける力を持っているのはおまえだろ? 魔術という最強の武器があるじゃないか」
なんとなく、なんとなくだが、
苦しんでいる人を救済する。
それがエラのやりたいことのように思えた。
そして、ウォーレンも、なんとなく、なんとなくだが。
エラのやりたいことを手伝いたいと思っていた。
「……そうね。私は、私が魔人であることが嫌だけれど、この国だったら救う力になるのね……」
魔人と祖国が嫌いなエラは、魔人として生まれたことも嫌っていた。皮肉ではあるが、それゆえに彼女は魔術という力を持っている。
エラは夕日に向かって手を伸ばした。
人間には届かないことでも、魔人のエラには届くかもしれない。
エラはステップを踏みながらウォーレンの前に出る。そして、髪をなびかせながら振り返り、決心したように笑顔で言い放つ。
「なら、私はかまわないわ」
次の日、ウォーレンたちは再び屋敷を訪れ、奴隷商人紳士ことセベロと話すことにした。昨日と同様にベルを鳴らすとセベロが扉を開ける。
「おやおや、ウォーレンさんですか。もう来ないのかと少し不安でしたが、来たということは……」
「ああ、セベロさん。条件はあるが、奴隷商売を手伝うことにした」




