小さな屋敷
元貴族ウォーレンと魔人少女エラの二人は宿に泊まっていた。部屋の中は狭すぎることもなく二人で過ごすには余裕がある。中にはベッドが一つ備え付けられていた。
そう、たったの一つだ。
「……」
エラが無言でベッドを見つめていた。何か様子がおかしいとウォーレンが気にかけると、
「私の部屋はどこかしら?」
もう一つ部屋を借りているかのような口ぶりで、部屋の外に出ようとするのをウォーレンは止める。
「何を言っているんだ? ここが『俺たち』の泊まる部屋だぞ」
「……」
ここにはベッドが一つあって、泊まる人数は二人。
つまり、そういうことだ!
「なんでこの部屋にしたの! ベッドが一つしかないじゃない!!」
声を荒げてプンプンしながらエラは不満をぶちまけた。一方、ウォーレンはなぜ不満を垂れるんだ、と理由を話す。
「ベッドが二つある部屋は高いんだよ! 一応これはダブルベッドだ。おまえは小柄だし、二人で寝るには十分だろ?」
「ふ、ふたりで寝る!? そんなの無理よ!」
エラの顔は再びピンク色に染まっていた。感情がわかりやすいのはいいが、もちろん魔人の特色とかではなく彼女自身の特徴だ。
「なんで無理なんだ? 文句があるなら床で寝るんだ。もう慣れてるだろ?」
さらっと酷いことを言っていってのけるが、実際にエラにとって床で寝るのは慣れっこだ。しかし、目の前にベッドがあるのならそこで寝たいと思うのは当然だ。
「ならあんたが床で寝なさい! ベッドは久しぶりなの! そこは譲ないわ!」
「俺だってベッドで寝たいわ! それこそ二人で寝ればいいd……」
言い終わる前にエラの魔術パンチがみぞおちに炸裂し、痛みに耐えきれずウォーレンは唸り声を上げる。
「ベッドで寝ようとするならもう一度お見舞いするわよ。おやすみ」
エラは布団に潜り込み満足そうに久しぶりのフカフカを堪能しだす。
「な、なんて横暴なんだ……」
暴力には逆らえず結局ウォーレンは床で寝ることとなった。
次の日の朝、ウォーレンは仕事を探し始めるが、エラが同伴していたのが災いし、どこの店も取り付く島がなく、それどころか追いかけ回され、挙句の果てにはウォーレンの人相も出回るようになっていた。今の手持ちで払える金額なら『エラが迷惑をかけてすみません代』を渡したが、このままでは資金が尽きるどころかむしろマイナスになってしまう。
お昼が過ぎた頃、ウォーレンたちはお仕事探しを諦め、少し遅い昼食を取ることにした。場所はいつもの「フライシュ」だ。少し遠くの席に男たちが食事しているのが見える。仕事終わりの兵士だろうか。肉料理が売りのこの店は彼らにも人気のようだ。その中の一人に目が止まる。黒い髪で外にツンツンとまとまった毛束がいくつか出ている。
(……あいつ。まだ来てるのか)
彼らを眺めていると、食事中のエラが喋り出す。
「ハンバーガーの方が食べるのが楽でいいけれど、これも美味しいわね」
エラは慣れないナイフとフォークに苦戦していた。どちらもグーで握り、ちょくちょくナイフとフォークを持ち替え食べやすいよう工夫しているが、それはジグザグ持ちという食べ方だ。マナーとしては悪い。注意しても良かったが機嫌を損ねるのも嫌なのでそのままにしておく。ちなみにハンバーガーは高いから止めるように言い、一般的な肉料理を頼んだ。皿には揚げ焼きにした豚肉にマッシュポテトが添えられている。シュニッツェルという肉料理だ。
「お肉とは今日でお別れだ。そろそろ本気で金が心配だ。明日からはパンだけな」
「それは困るわ。お肉は私の生きがいなのに……」
エラは食べかけのシュニッツェルを見つめて愛おしそうにする。
「おまえがしょんぼりするなんてよっぽどお肉が好きなんだな……気持ちはわかるが我慢するしかない」
「ならさっさとお仕事見つけなさいよ!」
「朝から探してるだろ! というかおまえが問題起こしまくったせいでどこも雇ってくれないんだ!!」
エラを連れていかなければまた問題を起こしそうだし、連れていくと話を聞いてくれない。ウォーレンのお仕事探しは詰んでいた。
「もうこの街から出ていって他の街で暮らすしかない」
エラが問題を起こしたのはこの街だけなので、他の街に行けば仕事は見つかるだろう、が。
「他の街にこのお店はないでしょ? それは嫌よ」
「あー、もう! なんてわがままなんだ」
「そうだわ! 昨日会ったおじさんがお仕事手伝ってほしいって言ってたじゃない。そこにしなさいよ」
「うう……結局そこに行き着くか……」
選択肢から避けていたのもあるが、エラに突かれてしまえば逃げようがない。ウォーレンはポケットから紳士に渡された紙を渋々取り出し、言われたことを思い出す。
『私の仕事を手伝ってほしいのですよ』
(とても怪しいが……話を聞くだけ聞いてみるか)
紙に書いてある住所の近くにたどり着くと、小さな屋敷が見えた。屋敷は木造で二階建てだ。この一帯は怪しい場所ではなく、普通の市民も暮らすような安全な場所だった。
(ここか?)
入り口に書かれた住所と紙に書かれた住所を見比べて、合っていることを確かめる。間違いはなかった。
「あの紳士、一体何の仕事してるんだろうな。この屋敷のオーナーで使用人を探しているとか?」
「さぁ。怪しそうだったけれど悪人の感じはしなかったわ」
「おまえの直感が正しいことに期待するよ。危ないときはよろしくな」
ボディーガードガールことエラちゃんがいることに安心していいのか、そもそもいなければこんなことにはならなかったのだが、成るように成ったわけで考えるだけ無駄だ。
扉の前に移動すると壁に取り付けられたベルに気が付く。紐を引っ張るとチリーンと高い音が辺りに響いた。しばらく待つと扉が開けられ燕尾服の紳士が顔を出す。今日もきっちりと髪も服も整えられていた。
「おや、ウォーレンさん。さっそく来ましたか。どうぞお入りください」
「ああ、話を聞くだけだからな」
紳士に招かれエラと屋敷に入った。中はファンベール家の玄関ホールのような大層なものではなかったが、手入れのされた清潔感のある空間だった。棚には小さな美術品が置かれている。その奥には階段が見え、踊り場で手前に折り返されていた。屋敷の奥に十分なスペースがなくこのような作りになっているのだろう。
すると、
ドタドタドタと通路から背丈のバラバラな少年少女が七~八人ほど現れた。
『お兄ちゃん! お兄ちゃん! とってもカッコいいね』
『私、お兄様のことなんて、全然好きなんかじゃないからね!』
とウォーレンの周りに少女たちがまとわりつく。一体何なのかとウォーレンは挙動不審になり、離れようと後ずさりする。
一方、
『お嬢様。とても麗しゅうございます』
『ああ、なんて美しい姫君なんだ。私は貴方に一目惚れしてしまったようだ』
とエラの方には少年たちがまとわりついていた。エラは不審な目つきで彼らを見つめていた。お嬢様扱いは好かないご様子だ。
紳士は呆れた様子で一言告げる。
「皆さん、この方々はお客様じゃありませんよ」
すると、少年少女らの態度は一変して何も取り繕わなくなった。全員がその場から離れる。
「あーあー。頑張ってお兄ちゃん作戦したのに、お客さんじゃないなんて」
「あの子にお嬢様作戦効かなかったなー。もっといい方法見つけないと」
嵐が過ぎ去り三人だけが残った。
「……あの子たちは一体何だったんだ? もう妹はいらないんだが」
「女の子をお嬢様扱いすれば機嫌が取れるとでも思ってるのかしら? なんかムカつく」
紳士はこちらの疑問に答えるわけでもなく笑顔で喋りかける。
「それも含めてお話しますよ。どうぞ二階へ」
案内されたのはお客さん用の部屋で、この部屋にも手入れが届いていた。真ん中に机が置かれ、その両脇を二つのソファで囲っている。部屋の中には、ウォーレンよりも少し年上と思わしき短髪の男性が背筋をピンと立て佇んでいる。紳士の執事だろうか。ウォーレンとエラは、片方のソファーに腰掛ける。上等な品ではないものの気にはならない。反対側へと紳士が着く。
「飲み物はコーヒーしかないですがよろしいですか?」
「ああ」
この国では紅茶よりもコーヒーが主流だ。この文化も魔人の国クナディア帝国から伝わっている。コーヒーの黒さが魔人の印象に合っているからだろうか。
「私はあんまり好きじゃないわ。苦いし」
「なら、砂糖を多め入れましょうか」
執事と思わしき男性がカップにコーヒーの粉末を入れてお湯を注ぐ。淹れ方はドリップ式ではない、いわゆるトルココーヒーと呼ばれるものだ。コーヒーカップが置かれ、話をする準備ができた、が。さっそくエラがコーヒーを口にしていた。
「うへー、やっぱりコーヒーは苦手だわ。ジュースの方がいいわ」
「……大人の通過点だ。少しずつでもいいから慣れなさい」
魔人なのになんで苦手なんだ、と口を滑らせそうになったが堪える。エラが魔人だとバレてしまうのは良くない。そして、ウォーレンは紳士との会話を始める。
「そんで、あんたは一体何者なんだ? 俺を知っているということは貴族か?」
「私はセベロと言います。身分は貴族ではなく普通の市民です」
燕尾服紳士ことセベロはコーヒーを淹れてくれた男性に手を向ける。
「そして彼はルドルフ。この屋敷の管理と仕事の手伝いをしてくれています」
ルドルフは立ったままウォーレンたちに軽く会釈した。セベロのように市民であったとしても、成功した商人であれば屋敷を持ち使用人を雇っていても不思議ではない。そして、貴族に顔が利けば、男爵の爵位を与えられることもある。
「俺はウォーレン・ファンベール。あんたが知っている通り元伯爵貴族のファンベール家の長男だ。そんで、こいつは親父の隠し子のエラだ。俺らは仕事が見つからなくて困っている」
当たり障りのない嘘をつきながら自己紹介した。エラには事前に話してあり文句を言うことはなさそうだ。
「で、本題だ。あんたは何の仕事を手伝ってほしいんだ? 俺らにとっては嬉しい話だがまだ決めたわけじゃない。それに、わざわざここに呼んだってことは理由があるんだろう?」
仕事を手伝ってほしいなら用事があるとはいえ、あの場で直接話しても良かっただろう。ウォーレンは何かしらの理由があると感づいていた。
「そうですね。どう説明しましょうか……」
白髪紳士のセベロは一旦悩む。そして、方針が決まったようだ。
「端的に言いましょうか。私の仕事は『奴隷商』で、その仕事を手伝ってほしいです」
「ど、奴隷商!?」




