燕尾服の紳士
木造の建物の下には、吹き抜けの食事スペースがあり、テーブルと椅子が置かれている。建物の看板には「フライシュ」という店の名前が刻まれていた。テーブルの一つに、茶色いくるくるのくせっ毛が目立つ青年とベレー帽を被った赤く長い髪の少女が座っている。少女はハンバーガーを両手で掴んで美味しそうに頬張っていた。
「おい! ハンバーガーなんて頼みやがって! 金がないんだって言っただろ! 俺にも分けやがれ!!」
くせっ毛頭の青年ことウォーレンは少女を叱っているというわけではなく、どちらかというと文句を言っているようだった。彼はこの国――アンドロギウス王国の元貴族で、ハンバーガーをむしゃむしゃと美味しそうに食べている少女――エラを救った結果、家が潰され市民へと格下げになった。
「これはもう私のものよ! 挟まっている漬物はあげてもいいわ。っていうか要らない」
そういうとエラは中に挟まったピクルスを取り出し、皿の上にポイっと捨てる。そこにはレタスやトマトも置いてあった。典型的な野菜嫌いだ。
「好き嫌いしないで食べろ。あと、そこにフォークとナイフがあるだろ、それを使って食べるんだよ! まったくマナーのマの字もなっていない!」
ウォーレンは渋々とピクルスと横に添えられたポテトを摘まんで食べる。ハンバーガーは手間暇がかかるため、どちらかというと高級な料理だ。他の肉料理に比べて三割程度高い。
「……ぐちぐちうるさいわね。いつも魔術を使って食べてたからカラトリーなんて使わないし、使うのも面倒だわ」
「魔人はそんなことに魔術を使うのか!?」
魔術は魔人のみが持つ能力だ。『万物の外面』へと影響を与えられるが、術者自身には効果がない。
エラの発言から推測すると、魔人は魔術で食べ物を空中に浮かせてそのまま食べるのだろう。もしくは、フォークとナイフを空中で操作したり? いずれにせよ何て楽ちんそうなんだ。
「もしかしてスープを飲むときも?」
「液体は扱いが難しいから私はスプーンを使うわ。私が使えるのはスプーンだけよ!」
「……そんなことを堂々と言われても。人間の赤ちゃんでもフォークを使うぞ」
「私も小さい頃は使っていたわよ。お・と・なになったから必要なくなったってわからないの?」
「今でも小さいだろ?」という煽り文句がウォーレンの口から飛び出そうだったが、どうにか飲み込んでおいた。ある程度成長して魔術がコントロールできるようになれば、食事作法も変わるのだろう。
魔人と人間では常識が異なりすぎて話にならない。
「そろそろ話を始めるぞ。今の手持ちは銀貨二〇枚……だった。おまえがそんなもの頼んだから、あとは銀貨一九枚とクォーター銀貨三枚だ」
「これ、クォーター銀貨一枚もするの!? どおりで美味しいわけだわ……」
「ものの価値はわかるみたいだな。というかここの通貨はクナディア帝国と一緒だし当たり前か」
今彼らがいるアンドロギウス王国は、魔人の国クナディア帝国の植民地だ。植民地とはいえ、街中に魔人がはびこっているわけではなく、むしろまったく見ない。北の方に魔人と人間が住む特区があるくらいで、一般市民にとっては魔人の国の植民地だという実感がない。
ウォーレンにとってもそれは同じで、税務官として働いていたときですら、クナディア帝国との貿易の関税が取っ払われていたせいで、書類を扱うことはほぼなかった。魔人を唯一見たのは、大きな式典でクナディア帝国のお偉いさんとその護衛を遠くから眺めたときくらいだった。
海外から観光旅行客がたくさん来ているのは知っているけれど、あまり見たことがないし、見に行こうとは思わない、そんな感じだろうか。エラは、学校の授業にネイティブの外国人先生が来たみたいな……いずれにせよウォーレンにとって魔人は興味の対象外で遠い国のお話だった。
「この店の料理が褒められるのは俺も嬉しいし、ウェンディさんに流された俺も悪いが、今は金の話だ! 仕事を見つけなくちゃならないし、住居も探さなくちゃならない。できるだけ早く見つけないとお金が尽きて俺とおまえで野垂れ死にだ」
このハンバーガーはウォーレンが好んで食べていた料理だ。フライシュの看板娘・ウェンディがいつもの感覚で注文しようとするので流されてしまった。貴族時代の金銭感覚が残ったままだ。
「お仕事ねぇ……ご飯だったらいくらでも見つけれるのに」
「見つけるというかおまえはパクッてくるだろ! もう盗みは禁止だ! 犯罪は許さんぞ」
クナディア帝国でももちろん盗みは犯罪だろうが、必死に食いつないで生きてきたエラの倫理観は破綻している。直せるなら早めに直したほうが懸命だが、ウォーレンにできるのだろうか。
「で、どんなお仕事にするの?」
「そうだな……無難なところで飲食店か? あとは販売店の店員とか? これでも元お貴族様だ。礼儀作法はマスターしているが……俺に敵意を持った貴族が多くてな。悩んでいる」
ウォーレンにはイザベラという妹がいる。彼女は正義感が強く、相手が上の身分でも彼女の癪に触れば、ギャフンと言わせていた。そんな彼女を陥れようと権力や裏の方法を使って嫌がらせをしてくるので、ウォーレンは相手の弱みを握って脅して問題を収束させていた。
いわゆる後始末だ。
「折角ならここにしなさいよ。ここ、お肉が売りのお店でしょ? 『まかない』って魔法の言葉があるのを知ってるわ!」
「別に魔法でもなんでもないんだが……そうだな……」
と、そこに看板娘ウェンディがちょうど良く来た。
「ウォーリックさんとエラちゃん。ハンバーガーは美味しかった?」
『ウォーリック』とはウォーレンのことを指す。ある調査でこの店に訪れるようになり、ウェンディとは自然と顔なじみになってしまった。貴族であることを知られたくなかったので偽名を使っている。いや、もう貴族でないので偽名を使う必要はないが、説明するのも面倒なのでそのままにしている。
「お姉さん、美味しかったわ。良いお肉を使っているわね。牛だけかしら? お肉のランクは屋敷で食べたのより低いそうだけれど気にならないし、旨味が外に出ないような工夫がしてあって、とってもジューシー! 満足よ!」
こいつはお肉の評論家とツッコミたくなるが、ファンベール家の肉の方がランクが高かったと言われてウォーレンは誇らしげになった。夕食を分けてあげて良かったと思っている。
「ええ、うちのパテは牛、百パーセントよ。製法も工夫している。満足してくれて嬉しいわ」
合挽肉じゃない牛肉単品。どおり高いわけだ。いや、そういうことじゃなくて……
「ウェンディさん。仕事をクビになっちゃって今探してるんだ。この店で求人しているか?」
「あら、そうだったの。それは大変ね。エラちゃんも養わないといけないのなら……頑張れお兄ちゃん」
エラのことについては、妹ということで合わせている。娘にしては年齢が近すぎるし、無難なところだろう。エラとしても別に問題ないそうだ。
「ただ今は人手が足りてるから……ごめんなさいね」
あっさりと断られてしまった。この店は人気店だ。働きたいと集う者も多かろう。
「あと……」
ウェンディはなぜかエラを見つめる。
「エラがどうかしたんですか?」
「(ちょっと言いにくいんだけれど……エラちゃんは街の有名人なのよ。良い意味じゃなくて悪い意味で……)」
ウェンディは手を口に当てコソコソとウォーレンに聞こえるように教えた。
嫌な予感。
とても、とても嫌な予感がする。
「おい、エラ! 俺がいない間に何やった! 洗いざらい話せ! たった一週間で有名人になるっておまえはどんだけすごいんだよ!」
「そうよ! 私はすごいのよ! へへーん」
嫌な予感の大元凶に皮肉は通じないらしく、おごり高ぶっている。ウェンディはそんなエラを額に汗をかきながら受け流し、エラの所業を指で折りながら紹介する。
「盗み食いと、窃盗と、喧嘩と、器物損壊と……」
まだまだあるのかよと耳を塞ぎたくなるが、エラの後始末をすると決めたので受け入れないといけない。
後始末のベクトルがイザベラのときと全く異なっていることにも唸りたくなる。貴族の揉め事なら権力と犯罪スレスレの脅迫でどうにかなるが、市民に落ちてしまった現状、使えるカードも、カードを得るための調査費用もまったくない状態だ。
「あと、身ぐるみを剥がされたって子どもがいたかしら……そう、あそこにいる子よ」
ウェンディが指す方向を見ると少年が三人ほど立っていた。エラが着ている服装が同じだし、何より背丈もほぼ一緒だ。
……エラが着てる服の持ち主だろう。
「おい、帽子女! 今日こそ懲らしめてやる!」
リーダーと思わしき少年がエラに向かって宣戦布告した。帽子女とはエラのことだろう。呼び名まで付けられている。『今日こそ』ってことは何度も痛い目を見ているのだろう。
「また来たの? 懲りないわね」
やれやれ、といったご様子で、エラは椅子から勢いよく飛び上がり、その少年の目の前にふわっと降り立った。この年齢の子、いや、人間には絶対できない動きだ。
あからさまに魔術を使っている。
「今日は何秒持つかしら?」
コキッコキッと閉じた手を別の手で握って鳴らす喧嘩前のお決まりの動作を終え、エラは少年を試すような眼差しで見つめた。少年たちは両手両足が震えるのをこらえ、必死にエラを睨みつけている。
やはり魔人。
その様子はまるでドラゴンと駆け出しの勇者だ。秒で片が付くであろう。だが、少年たちも何度も負けては繰り返すようなおバカではなく、しっかりと作戦を立てていた。
「今日は俺たちだけじゃないぜ。おーい、帽子女を見つけたぞ!! ここだ!!」
少年はエラと逆方向を向いて叫んだと思えば、その方向からたくさんの大人たちがぞろぞろと現れる。その大人たちは目をキラーンと光らせ、手には武器を持っていた。エラというよりかはウォーレンを見ているような気が……
『ここにいやがったか!! 保護者もいるぞ!! ひっとらえろー!!』
『うちの店を粉々にした弁償代払ってもらうわよー!!』
いたずらっ子なエラちゃんの被害者の会だ。
彼ら彼女らの獰猛な目を見れば、交渉の余地がないことは明白だ。だとすれば、やることは一つ。
「エラ! 逃げるぞ! 説教は落ち着いてからだ!!!」
「ぶっ飛ばしちゃダメ?」
「ダメだ! 絶対ダメ! 損害がさらに大きくなる。魔術で俺をアシストしてくれ!」
「はーい」
さすがのエラも大人たちを堂々とボコすのはマズいとわかっているのだろうか。了承してくれた。エラの魔術で背中を押されながら通常の二倍くらいの足の速さで現場から逃げ去ったのであった。
逃亡者たちは街の外れの通りへとたどり着いていた。
辺りには淀んだ空気が流れ、転がった酒瓶の横に腰かけている髪や髭がぼさぼさな男や、露出の多い服装であからさまに誘っている女や、布で全身を覆った腰の曲がった老人など、街の裏といえばココだ! というのを誰しもが納得できる、そんな場所だった。
(ちょっと危ないところに来ちゃったな……)
こういう場所があることは、ウォーレンも知っていたが、場所自体は記憶していなかった。徴税員として来たことが多少あるものの担当することは少なく、同行した兵士に場所を案内されたので覚えていなかった。ここが危ない場所ということはわかるが、ガードマンに魔人のエラがいるのでウォーレンは安心している。逆にエラが面倒事を起こさないかそちらの心配しているようだ。
「この街にもこういう場所があるのね」
この雰囲気に飲まれることなくエラは堂々としていた。クナディア帝国時代もいろいろな修羅場をくぐってきたのだろう。
歩いていると屋台のようなものがあり、そこに男が集まって何かを物色するようにニヤニヤ見ている。
「なにかしら?」
軽やかなステップでエラは屋台に向かって、人の隙間から何かを見たと思えば、顔を真っピンクにして、両手で顔を覆いだした。指の隙間を開けてちょっと見てはピンクになり隙間を閉じる、少し時間がたてば、また隙間を開けてピンクになり、を繰り返している。
(なんだ?)
怪しいとはわかりつつも気になれば見てしまう。興味には逆らえない。
……そこには、裸に薄い布を巻いた美しいスタイルを持つ二人の若い女性が立っていた。
彼女たちは布をひらひらと揺らし情熱的な踊りをしながら男たち――客たちにアピールしている。
……奴隷売りだ。
この国では奴隷制があり、人口の二~三割は奴隷だ。奴隷のほとんどが市民や貴族の家事使用人、もしくは農奴になるが、主人の慰み者となる性的な用途の奴隷ももちろんいる。彼女らはその奴隷だろう。
チラチラ見ているものを隠すように、ウォーレンは後ろから両手でエラの視界を塞ぐ。
「おまえにはまだ早い。さっさと行くぞ」
「(もうちょっと。もうちょっとだけだから)」
エラは顔を見上げてウォーレン見つめコソコソ声で懇願した。なぜか気になっちゃってしょうがないらしい。
「おまえはおっさんかよ! 教育に悪いものを隠すのは大人としての義務だ。行くぞ」
後ろからエラの服の背をつまみ引きずるようにしてピンクな劇場を後にした。引きづってもエラの顔はその屋台の方向に釘づけで、離れたところで渋々諦めた。怪しい場所からさっさと離脱しようと歩みを進めると、
「あのような奴隷に興味がおありですか?」
誰かが声をかけてきた。声がする方向を見るとそこには、燕尾服を着飾ったスラっとした男性が立っていた。帽子は被ってなく、白髪が後頭部に向かってキレイに整えられ、片眼鏡をかけていた。いわゆる紳士でこのような場所にそぐわなく不審だ。警戒は怠らない、が。
「いいや、俺は別にほしいわけじゃない」
紳士すぎて無視するのは逆に失礼だと、無意識に思ってしまったのか返事をしてしまった。大抵こういうのは、詐欺狙いか身体狙い(男女問わず)で、無視するのが安定行動だ。
「では、そのような少女がご趣味で」
紳士は、ゆっくりとエラの方へ手を向けた。
「この子は違う。妹だ。それに俺が好きなのは、容姿端麗で厳かで清楚でバインバインなお姉さんだ」
おそらく、それは学院時代の憧れの先輩マーガレット譲のことだろう。一方、エラは会話の内容が理解できていないのか、「バインバインって何だろう?」と頭からハテナが飛び出している。
「……ファンベール家のご息女と言えば、イザベラ嬢だけのはずですが……」
「!?」
ここで『ファンベール家』という名前が出ることはまったく予期していなかった。警戒心がさらに強くなると同時に会話しなければよかったとウォーレンは後悔する。
「……なぜファンベール家のことを知っている?」
「いやはや、『元』ファンベール家でしたな、ウォーレン・ファンベールさん。情報は出回るものですよ。それに何か事情がおありのようですね……その少女が妹とは……」
(俺の情報をつかんでいるということはエラのことも!?)
ウォーレンのことが元貴族だと知るものはいないわけではない。ファンベール家が廃されたことは貴族の間では話が飛び交っているだろう。
そして、エラは街で問題を起こす有名人だ。情報をどちらも掴み結び付けられるのはとても良くない。エラのことがバレたのなら再び余罪が浮き彫りにされ、死罪の道へと繋がってしまう。
ウォーレンの額に汗が流れる。
「……何が目的だ?」
直感が告げていた。
この紳士がやっていることは平たく言えば、私はこういう情報を持っているのでバラされたくなければ要件を聞いてください、だ。
しかし。
「そう警戒しないでください。ウォーレンさん、仕事が決まってないようでしたら、私の仕事を手伝ってほしいのですよ」
そういうと紳士は胸ポケットから紙切れを取り出す。住所が書いているようだ。
「そこの住所にある小さな屋敷が私の職場です。お仕事の内容については……その屋敷でお話します。気が向いたらでいいのでぜひ来てください。私は用がありますので、それでは」
紳士はキレイなお辞儀をして立ち去った。




