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3~醜い道化師

 1995年、千葉市鎌取の本格的な国立の薬物中毒患者更生施設に二十二歳になった卓哉の姿があった。

「しばらく、ここで入院か……」 

一番症状が軽い手前側の相部屋に卓哉は、入った。初めての施設での食事は、素晴らしくまずかった。「ブタのエサ」そんな表現をする患者もいた。

一日四回、朝、昼、夕、寝る前患者全員が並んで一人ずつ薬を飲まされる。多分、鎮静剤とか大人しく言うことを聞かせるためだけの薬を。毎日。中には、飲んだふりをしてトイレで吐き出す患者もいた。


定期的に、家族が見舞いに来てくれた。面談室は、会話が全部録音されていた。卓哉の両親は、半年前に離婚していた。

卓哉は、入院生活の中で様々なジャンキーと出会うが、特に誰と仲良くすることもなく孤独だった。多くは覚せい剤。アルコール依存症やシンナー系もいただろうか?

月・水・金は入浴日だった。衣類を脱衣所で脱いだら周りは、たいそう立派な彫り物を身体に刻んだヤクザさん達多数。そんなことも平気になっていた。

テレビの前から立ったまま就寝時間の夜九時まで離れない女の子がいた。彼女は、

「案山子」カカシとあだ名をつけられた。

ある日の夜中に、卓哉は小便がしたくてトイレに向かった。

奥に進めば進むほど危険な患者がいるという噂が卓哉の脳裏を過った。

しかも一番奥の一番危険と思われる患者と卓哉は、一瞬目を合わせてしまった。そいつは、奇声を発しながら猛進して卓哉に向かってきた。

間一髪職員がそいつを後ろから羽交い締めにして卓哉は、ギリギリ助かった。

二週間という異例の早さで卓哉は、退院を許された。理由として、使った薬物が全て精神科から処方された合法薬だったこと。入院中、模範生を演じきったこと。

久しぶりに吸ったシャバの新鮮な空気。そして自由。しかし、本当の地獄はこの後、家族を巻き込みながら十年以上もの長い間続くことになってしまう。

卓哉は、離婚した両親の中から父親か母親とアパートで同居することになり、母親と兄の住む浜野のアパートで人生の再出発をすることになった。

兄も母も卓哉を心配していたが卓哉は、まだ悪魔との付き合いを再開しようとそのスキを伺っていた。

バイブルの「チョコヘロ」も愛読書として大切にして日々、読み漁っていた。

本質的には、卓哉は何も変わっていなかった。薬の魔力にまだ、取りつかれているようだった。時間の問題だったかも知れない。再犯は。

母は、必死に働きながら卓哉のために常に明るく振る舞い、真っ直ぐアパートに帰ってきて手料理を卓哉に沢山食べさせた。ガリガリだった卓哉の体重は、見る見る増加していった。

当時の母の考えには、卓哉には、薬ではなく食べ物で元気になってほしい。そして卓哉を笑わせ、楽しませるために色んなパフォーマンスを披露した。卓哉は、時に大笑いして幼い頃のあどけない笑顔を見せることもだんだんと増えてきた。

 兄は、就職して充実した毎日を過ごしているように見えた。父は、結局独りにさせてしまったけれども、たまに遊びに行く事は、卓哉なりに欠かさないようにした。

 数カ月が経ち、卓哉は、日雇いのアルバイトが出来るくらいにまで体力、気力ともに回復した。体重は、80kgまで増えて逆に肥満体型になったが、ガリガリに痩せて生気のなかった頃の卓哉よりもちょっと栄養過多な感じの卓哉の姿を母は、まるで相撲部屋の力士を育てるおかみさんのような愛情で喜んで食べさせた。

少なくとも、卓哉は前向きに生きようとポジティブに考え、日雇いのバイトを単発で続けていた。母は、どんな形であれ働きだした卓哉を見て喜んでいる様子が、見ていてよく分かった。


1995年の夏、母は、卓哉と兄の為に登山旅行を計画した。お金も貯めていたようだ。「為」というのは、苦しみながらも、山頂に登り詰めた時の達成感や充実感を二人の息子たちに感じてもらいたいと願う母の切なる思いが込められていた。

しかし、この壮大な母の計画を秘めた乗鞍の登山旅行は、その後の卓哉や家族の、または今までのショボい人生を象徴するかのような珍道中となってしまう。

出発は、早朝だったような気がする。意気揚々とする母に対して卓哉と兄は、ダラダラとしていて

「めんどくせ~」

「全然、おもろないわ」

などやる気ゼロで、既に暗雲立ち込めていたような雰囲気だった。宿泊先のペンションに着いたのは、昼過ぎくらいだっただろうか。なかなか、良い感じの宿だった。一泊目が明けて、卓哉は、念仏を唱えるかの様に寝ている母に

「お~い、びゃびゃお~」

と早朝から繰り返していたので、さすがに

「うるさいな!さっきから!」

と母は、怒鳴ったが、卓哉は、子供のようにケラケラ笑って喜んでいた。兄は、

「何だよもぅ~、朝からバカ2人がよぉ~」

と呆れていた。

朝食を食べながら、3人は、テレビの天気予報でショッキングな情報を知ることとなる。「台風急接近……」

母は、様々な思いを込めてお金を貯めて計画したこの登山旅行に全てを賭けていただけに、台風という神の悪戯を嘆き、兄は、苦笑を浮かべ、卓哉は、朝食が足りなかったらしく

「昼飯は、肉が食いたいなぁ」

と肉への思いを巡らせていた。

三人の様々な思いを込めた乗鞍の登山旅行二日目は、空模様と同じように暗雲が立ち込めてきていた。

結局、登山は、チャレンジしたものの台風と濃霧で危険極まりなく少しだけ登りかけて直ぐ引き返した。

卓哉は、腹が減っていたせいもあり、キレてしまい石や岩を蹴ったり、地面に投げつけたりして野獣と化した。母は、それでも天気が良くなることを信じて、待機所で待ち続けた。兄は、この現状を、少し呆れたように静かに微笑んでいた。野獣は、レストランのメニューを見ながら

「カツカレーがいいな」

と狙いを定めていた。

 今、振り返るとこの頃は、卓哉と家族は色々大変ながらも若さもあったか?微かな希望を持って生きていたような気がする。兄も、母も、父も。

「チョコヘロ」は、兄によって捨てられた。まだ、薬物依存の傾向が強かった卓哉だが、日雇いのアルバイトもそろそろ卒業して、まっとうに働く道を考えるようになる。


1996年の十二月、卓哉は、パチンコ店のホールスタッフとして生まれて初めて正社員として働いていた。ここも卓哉にとって、素晴らしく恵まれた職場環境だった。

遅刻、早退、欠勤。勤怠が乱れまくっても主任の有内さんは、卓哉の人柄を高く買ってくれていて、卓哉が安定するのを待っていてくれた。職場の同僚も

「お前は、仕事は全く出来ないけどキャラクターで許す」

と褒められているのか?貶されているのか?分からない中、仲間と楽しく働き、楽しく遊んだ。

しかし、所詮キャラクターで買われていた卓哉は、例えば仲間と仕事終わりにカラオケに行っても、卓哉自身自分の役割は分かっていた。お酒も入り、盛り上がってきたころ卓哉は、全裸になり踊り、歌う事で皆を喜ばせる道化師だった。母は、そんな卓哉が痛々しかった。と後日語っている。

実際には、卓哉は成長など殆どしておらず前のまま、もしくは前よりも悪い状態に陥っている事にこの当時は、気付かなかった。いや、気付いていたけど気付かないふりをしていた。二十四歳にもなって仕事もロクに出来ず、キャラクターのみで使ってもらっている上に恥をさらして皆を笑わせる醜いピエロを演じている自分を卓哉は、半ば仕方ないとあきらめていた。

 体重は、運動不足と過食で90kgを超え、全裸になったときに反射鏡に写る自分の哀れな姿を、独りになったときに思い出しては悲しい気分になっていた。

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