1~嵐の予感
その日は、卓哉にとって人生最良の日となった。
これは、ある精神障がい者が、その人生の半分以上を非社会的な、現実から隔離された日々の中から、もがき苦しみながらも何とかして「這い上がってやる!」と決意してからの悪戦苦闘の物語である。とは言え、大した話ではないかも知れない。
月日は、二十四年前に遡る。今は亡き飯島愛が、テレビの深夜番組などで自身のTバック姿を惜しげもなくさらけ出していた1990年代初頭。当時同じくらいの世代であった卓哉のオナニーのおかずには、残念ながら彼女のTバック姿は、選択肢から除外されていたが、体を張って自分の人生を切り開いている彼女のひたむきな姿勢は、その後の卓哉の人生においてある「ヒント」になったかも知れない。
幼い頃から両親の仲はこの世に類を見ない程険悪で、しばしば、卓哉や二つ年上の兄に「結婚って生き地獄なんだね!」
みたいな感覚を、ちょっとやそっとじゃ抜き取れない程深く、深く根付いた食虫植物のようなものを、彼らの脳幹奥深くに住まわせてしまった。
卓哉は、十九歳で実家を出て、千葉市の弁当屋の工場で夜勤で働きながら、新千葉の1Kのアパートで普通に生きていた。
ただ、恋愛やセックス、異性関係は前述の両親の影響か?または、
「惚れた腫れたは、くだらない」
と言う単なるひねくれ根性か?月に一度の給料日か、たまにパチンコで大勝ちしたときに、千葉市の栄町にある「夢泉」と言う栄町一安くて、懐の寂しい学生にも優しいソープランドで一回四十分一万円の恋愛プレイを決して楽しくは無いが、卓哉なりに楽しいと無理矢理思いこませる根性で、性欲の処理だけは、こまめにこなしていた。
千葉駅前の雑踏と心の葛藤が入り混じる中、卓哉は何も夢見る事無く、ただ自分の宿命や家族やかつて自分を苦しめた大勢の人間を恨み、どこかで忘れよう、許そうとしながら刹那的な快楽だけを、なるべくリーズナブルな金額で楽しんでいた。
だろうか?楽しんでいたのかどうかは今となっては、答えに詰まる。
いずれにしてもパチンコや風俗は、快楽と虚しさを表裏一体に卓哉の心の中に写し出し、アダルトビデオでオナニー漬けになっても決して画面の向こうの可愛い彼女たちの体には、触れることが出来ない。触れられるのは、夢泉のババアソープ嬢だけだ。ババアだから嬢を付けるのも勿体無い。たまに母親のような年齢のモンスターが現れた時は、非常階段から必死で逃げた。
弁当屋の収入は、悪くはなかった。時給1250円で大体実働八時間だから、一日一万円計算で月に二十五日くらいは、休まず出勤していたので月収は平均二十五万円。残業の多い月は三十万近く稼いだ。
弁当屋での卓哉の仕事は、まず、パートのおばちゃん達との「いなりずし」作り。勤続十年以上のベテランのおばちゃん達の、いなりずしを握りながら止まることないおしゃべりの激しいペースに卓哉は、最初こそ戸惑い、泣きそうになったが、いつの間にか卓哉は、おばちゃん達の「第二の息子」として可愛がられるようになり、
「卓ちゃん、卓ちゃん!」
と呼ばれ、いなりずしを握るスピードは、ベテランのおばちゃん達よりも速くなるまでに成長していた。
工場の従業員の方々には、卓哉はとにかく可愛がられ、深夜三時頃の一時間の休憩の時には、休憩所になっていた工場の隣の民家の和室で、おばちゃん達の握った特大のおにぎりと余った弁当用のおかずなどが食べ放題だった。
日替わりで、パートのおばちゃんが握ってくれた特大のおにぎりの中身は、鮭や椎茸昆布、そぼろ、時には、鶏の唐揚げなどが入っていて、1人暮らしでコンビニの弁当ばかり食べていた卓哉にとって、このおにぎりは、最高に美味しくて心が穏やかになった。
年末は、忙しかったが、大晦日には、工場長の民所さんが、特大の海老の天ぷらを揚げて信州そばの上に乗っけた「年越しそば」を従業員全員に振る舞ってくれた。どれもとても美味しくて卓哉にとって、幸せなひと時だった。
卓哉は、高校をあと半年というところで自主退学していた。両親は、落胆の色を隠せないように見えた。
一人暮らしをする前に、姉ヶ崎の工場で四カ月バイトをして百万円貯めた。そのお金で、車の免許を取り、自立をして強くなるとの一心で実家を出てから4カ月ほど経った頃には、当時でいう「大学入学資格検定」大検に合格した。1992年の真夏だった。
この頃には、卓哉の心の中には、両親への憎悪の感情は、ほぼ消え去り、離れて初めて分かった親のありがたみを知った。衣・食・住に関わる全ての家事や買い物、身の回りの事を全部自分でやることによって、また、恵まれた職場での経験によって卓哉は、少し、物事をいい意味で気楽に考えられるようになった。今、振り返るとこの頃が卓哉にとって人生のピークに終わるとは、当時は想像すらし得なかった。
優しかったおばちゃん達、工場長、仲間、お金、人への愛情、感謝の心……
何もかもが、音など立てずに崩れていく日が近づいていた。