第三章 第八節
それから十数分後。
似内さんと別れた俺は、自宅についた。
「ただいまー」
そう言って玄関で靴を脱いでいると、涼香が何故か慌てた様子で、玄関までやってきた。
「あ、あっくん! いきなりだけど、質問していい!?」
「ホントいきなりだな。まあいいけど。どんな質問だ?」
俺は何気なく問いかける。すると、
「あっくんと私の胸に、何の関係があるの!?」
会心の一撃が待っていた。
誰かに思いっきり腹パンされたかのような痛みが走る。いや、肉体的なダメージはないが、精神的なダメージが非常にやばい。身体中から嫌な汗が湧き出る。
……ああ、完全に忘れていた。似内さんが涼香に電話をしていたことを。そしてその内容が、俺がおっぱい好きという事をバラす内容だということを。
「2時間くらい前、似内さんから電話があったんだけど、『お兄さんが虎上さんの胸を』って言って、途中で電話が切れちゃったの。
私それがすごく気になって、電話を何度もかけなおしてみたんだけど、全然繋がらないんだ。不思議だよね」
「そ、そうか、不思議だな……」
繋がらない理由はなんとなく分かる。
俺はあの時、似内さんから携帯を奪った後、携帯の電源を切った。その後、似内さんに携帯を返したが、似内さんは電源を入れなおしていないのだろう。だから繋がらない。
助かった。とりあえず今のところは、似内さんから、俺のおっぱい好き情報が漏れる心配はないようだ。
「ホント不思議だよね。でも一番不思議なのは、どうして似内さんが、あっくんと私の胸の事について話したのかなって事なんだけどね。
あっくん、今日も似内さんと会いに行ってたんでしょ? 何か心当たりはない?」
「さ、さあ? どうして似内さんがそんなことを言ったのか、俺には見当もつかないな……」
……よし、決めた。この場はとぼけて誤魔化そう。そして、この場をしのいだ後、似内さんが携帯の電源を入れ直すより先に、似内さんの家に行き、『あれは言い間違い』だと涼香に伝えて欲しいと嘆願しよう。そうすれば、俺のおっぱい好き情報は漏れな――
「ふーん、そっか。じゃあちょっと私、似内さんの家まで行って、詳しい話を聞いてくるね」
「!?」
俺に多大な衝撃が走る。
このまま涼香が似内さんと接触したら、俺のおっぱい好きがバレてしまう。
まずい、それは非常にまずい。涼香から変態扱いされてしまう。
いやまあ、もう涼香以外の人間には割と変態扱いされているけれど。
それでも。
他の人間にはいくら変態扱いされても構わないけれど、涼香には変態扱いされたくない。
今更感は多々あるが、変態というのは一般的に、常識的に考えて、嫌われる可能性が高いからだ。
兄の威厳なんてものは俺にはないけれど、涼香に嫌われたくない。絶対に。
涼香の外出は、何としても阻止しなければならない。
「す、涼香。もうすぐ夕飯だし、似内さんに話を聞くのは明日でもいいんじゃないか?」
時刻は現在、17時50分。休日の我が家の夕食は、大体19時頃から始まる。(というか、今日は両親が外出してるから、その時間までに今から俺が夕飯を作る。)外出を止める理由としては、適切なはずだ。しかし、
「大丈夫。夕飯までには帰ってくるから」
あっさりと俺の提案は拒否された。
どうする? 他に何か、外出を止める方法はないか?
「じゃあ行ってくるね」
涼香が靴を履き始める。このままだと、あと30秒もしない内に、涼香が外出してしまう。だが、外出を止める方法は浮かばない。かといって、何もしない訳にもいかない。
「す、涼香!」
俺は慌てて涼香を呼び止める。
「なあに?」
「その、……悪い。何を言おうとしたか忘れた。思い出すから、ちょっと待ってくれ」
少しでも時間稼ぎをしようと嘘をついた。わずかに出来た時間を利用し、全力で考える。けれども、駄目人間である俺には、相変わらず外出を止める方法を浮かばなかった。
「……あっくん、まだ?」
「も、もう少し待ってくれ」
さらに時間をかけて考える。が、浮かばない。
「……怪しい」
慌てて涼香を呼び止めてから約3分後。ついに涼香が、疑いの視線を向けてきた。
「ねえ、あっくん」
「……何だ?」
「おととい、似内さんの連絡先を教えてあげた時、あっくん、自分に出来ることなら何でもするって約束してくれたよね?」
「……そうだな」
このタイミングでその約束を持ち出すとは。駄目だ、嫌な予感しかしない。
「その約束、今叶えて」
「……」
「あっくんが私を、似内さんの所に行かせないようにしている理由と、それに関係してる隠し事を、全部教えて」
……詰んだ。詰んでしまった。予感的中だ。
色々しっかりバレている。こうなったらもう終わりだ、正直に言うしかない。
何故なら、俺には涼香との約束を破るという選択肢はないからだ。
俺がいくら駄目人間であっても、涼香とした約束だけは破ることは出来ない。破りたくない。それを破ってしまったら、俺は人間ではなくなる。駄目人間以下のクズ野郎になってしまうからだ。
俺は、全てを話すことにした。
「……分かった。話すよ、涼香。俺がお前を似内さんのところに行かせないようにしていたのは、電話の件を似内さんに聞くのを防ぐためだったんだ」
「やっぱりそうなんだ。でも、私の胸とあっくんに何の関係があるの?」
「いや、涼香の胸は関係ない……、いや、関係はあるか」
「?」
涼香が首を傾げる。俺は一呼吸した後、覚悟を決めて告げる。
「俺はな、涼香。おっぱいが大好きなんだ!」
「!?」
涼香が驚愕の表情を浮かべた。また、顔が赤くなっている。まあ、俺の今の発言はセクハラに等しいし、顔を赤くして怒るのも分かる。
そんな状態の涼香に、続けておっぱいのことを言うのは心苦しいが、隠していることを全部伝えるという約束を果たすためだ。心を鬼にしよう。批判や非難は後で全て受ける。
「今日似内さんと会った時、俺のおっぱい好きが、似内さんにバレてしまったんだ。似内さんは、俺がおっぱい好きだという事を、涼香に伝えようとした。だから電話をしたんだ。似内さんが言うには、俺がおっぱい好きだから、涼香のおっぱいに手を出すかもしれないことを恐れたそうだ。でも安心してくれ。俺は確かにおっぱいが好きだし、涼香の程よい大きさの形の良いおっぱいももちろん好きだが、だからといって、俺は涼香に手を出すことはない。安心してくれ。俺はおっぱいに関しては紳士でありたいと思っている。あ、紳士と言っても変態紳士じゃないぞ。礼儀やマナーを弁えた、普通の紳士のことだ。俺は、おっぱいを性的に見るんじゃなく、芸術的な観点から見ている。すなわち、おっぱいについて魅力的に感じても、それはいやらしい気持ちで感じているということではないんだ。だから安心してくれ。俺は変態じゃない。いや、変態かもしれないが、安全な変態だ。安心してくれ。何度でも言う、安心してくれ、頼む」
隠すことなく、俺のおっぱいに対する想いの全てを伝えた。
涼香は俺の言葉を聞いてしばらく、顔を赤くしながら俯いていた。しかし、
「……ちょっと待ってて」
そう言って、自分の部屋に向かって行った。
俺としては誠実に伝えたつもりだが、涼香にとっては耐え難いものだったのかもしれない。
涼香が普段から、いくら俺の事を好いていてくれていても、流石におっぱいの話は駄目だったんだ。
部屋から俺を懲らしめるための道具を持ってきてもおかしくはない。もしそうなったら、俺は抵抗せずにそれを受け入れよう。
そして数分後。罰を受ける覚悟を決めていた俺の前に、
「こういう感じでいいかな……?」
やたらと胸元が大きく開いたキャミソールを着て、涼香は現れた。
「どうしてそうなった!?」
というか、そんな服持ってたのかよ!? 涼香は、露出の高い服は着ないはずなのに!
困惑を隠しきれない俺に対し、涼香は言う。
「え? どうしてって、あっくんがおっぱいが好きだって言うから、おっぱいが見えやすい服を着てみたの。ほら、キャミソールって、かがんだりすると胸チラしやすいし。あっくん喜ぶかな、って思って」
「そんな配慮は要らないよ!? ……それより涼香、怒ってないのか?」
「怒る? 何で?」
「いや、だって、男から、おっぱいが好きだって話をくどくど聞かされたら、あんまり気分は良くないだろう?」
「他の男の人からならそうだけど、あっくんだから問題ないよ? むしろ、あっくんが好きなものを知れて嬉しかったし!」
「涼香さん、俺のこと好きすぎない!?」
「うん! 大好き!」
「……」
俺は、自分の表情を涼香に見られないようにして、頭を抱えた。
そんな最中、
「兄ちゃんも姉ちゃんも、そろそろ自重してくれない? 部屋の中まで馬鹿なやりとりが聞こえてくるんだけど」
そう言って、リビングに繋がるドアから、弟の龍弥がひょっこりと顔を出した。
龍弥は、涼香の弟であり、俺の義理の弟だ。
義理と言っても、涼香や、今の母さんと同じように、本当の家族のように接している。現在、14歳で中学2年生。
つまり、思春期真っ最中な時期であるはずだが、龍弥は別に、ブラックコーヒーを飲み始めたり、洋楽を聞き始めたり、哲学書を読み始めたりすることはなく、今年大学2年生になる美人女性と恋人になることに成功するという偉業をなしとげたイケメンであり、俺の自慢のリア充弟である。
「あ、りゅーくん、ごめんね。でも、あっくんへのアピール攻撃が今いい所だから、もうちょっとだけ我慢して」
「姉ちゃんの倫理観の崩壊っぷりはいつもの事だけどさ。今日はいつもより大分はっちゃけてない?」
「だって、あっくんが私のおっぱいが好きだって分かったし、攻めるなら今がチャンスだと思って。なんなら、触ってもらおうかな?」
そう言って、涼香は自分の胸を両手で下から掴む。
その、魅惑的でいけない光景から、俺はとっさに目をそらす。
「うっわ、ホントだ。今日は引くほど攻めてる。兄ちゃん、姉ちゃんもこう言ってるし、触ってみたら? そうすればこの馬鹿なやりとりも一区切り付くんじゃない?」
「無理に決まってるだろう!?」
俺の悲痛な叫びが、家中に響き渡った。
以上で第三章は終了です。次回から第四章となりますが、第四章は一話分で終わるほど短いです。そしてようやく、彼本人が登場します。