52話
「さて、続いての問題点を説明しましょう」
クーデルスがそう告げると、村人たちはまだあるのかと言う顔をした。
おそらく、彼らの頭が情報を処理しきれなくなってきたのだろう。
そんな彼らの様子には全く関心を払わず、クーデルスは助手であるダーテンに向き直った。
「ダーテンさん、このあたりに穴を開けてください。 人が一人入るぐらいの大きさでいいです」
「うぃーっす」
ダーテンが投げやりな返事と共にパチンと指を鳴らすと、畑の一角に音もなく穴が開く。
そしてクーデルスは何処からとも鳴く長い棒を取り出すと、その穴の中の側面をコンコンとつついた。
「さて、この穴の中の側面に注目してください。
土の種類によって色や質感が違うので、縞模様になって見えますね?」
アデリアや村人たちがそっと覗き込むと、たしかに穴の側面は縞模様になっている。
だが、コレがいったい何だというのか?
「ここで問題になるのは、この耕盤層と呼ばれる硬くしまった土の層です」
すると、クーデルスは上から二番目の層に棒の先端を合わせてそんな言葉を口にした。
そこで、突如として村人の一人が手を上げる。
「あ、オラ知っているだ。 耕盤層って名前を聞いたのは初めてだけんど、地面を掘るとえらく硬い土があって、この当たりじゃ"悪い妖魔"って呼ぶだ。
そいつが浅い部分にいると、作物の出来が悪くなっからよ。
こまめに鍬と鋤で退治せにゃならんって、うちのジッチャがよく言ってたんだべ」
あぁ、そういえば……と、村人達の中からそんな声が幾つもあがった。
本来ならば、横からこんな発言をするのはマナー違反だが、クーデルスはあえてそれを咎めない。
「その通りです。 ですが、こうも言っておりませんでしたか?
その悪い妖魔は、畑仕事を怠けるとすぐにまたやってくる……と」
「んだ。 まったくその通りだべさ」
村人が大きく頷くと、クーデルスは本命の生徒であるアデリアに向かって解説を始める。
「この迷惑な妖魔の正体は、馬を使って畑を耕すときに、その重みで潰されて硬くなった土です」
クーデルスがそう告げると、横で聞いていた村人達が目を見開いて、ホゥと感嘆の声を上げた。
「なので、耕作のために畑の上を馬が通れば、どうしても出来てしまうんですよ。
そして、なぜこの板状に広がる土の層が妖魔と呼ばれるほど嫌われるかと言うと……ただそこに存在するだけで大地の水の循環を妨げてしまうからなんですね」
そして解説を続けながら、クーデルスは棒を使って地面に図を描き始める。
「この図をごらんいただければわかると思いますが、ここに水を通さない層があると、大地が乾いても地下水が植物の根の届くところまで上ってこないので、すぐに地面が干からびて作物が枯れてしまいます。
さらに、雨が続いても水が下に潜ってゆかないので、いつまでも上のほうの土が湿ったままになってしまい、作物が腐ってしまうのです」
つまり健全な農地とは、水が大地の中を絶え間なく循環するものである。
それを妨げる耕盤層の存在は、まさに悪しき妖魔と言うほかは無い。
「それは……困りますわね」
「はい、その通りです。 なので、農民たちはこの耕盤層を砕くために必死で深く耕すのですね。
ですが、ここにいくつかの落とし穴があるんですよ」
その言葉に、村人たちは首をかしげた。
邪悪な妖魔ならば、退治してしまえばいいじゃないか。
彼らがそこに疑問をはさむことは無い。
だが、クーデルスはそんな彼らにも聞こえるように、ゆっくりと大きな声で語りかける。
「まず、栄養のある土は、地面の上のほうにしか存在しません。
下のほうにある土には、栄養がないんです。
それを深く掘り下げて耕せば、どうなりますか?」
そこまで説明が入るにいたり、アデリアがはっとした表情になる。
「栄養のある土が下に潜ってしまい、栄養の無い土が上に来る……それでは、植物がよほど深く根を張らない限り、栄養のある土までたどり着けないではありませんの!
仮に上手くかき混ぜたとしても、こんどは広い地面全体に栄養が散ってしまいますわ!!」
そして出来上がるのは、栄養の無い貧弱な畑だ。
つまり、農民たちが努力するほどに、土地がやせ衰えてゆくのである。
「二つ目の落とし穴は、深く耕した結果として、地面の表面に硬い土が多くなります。
そして、その重みで下になった軟らかい土が圧縮されますね?
それを何度も繰り返せば、その土地の土全体が硬くなります。
ですが、畑を耕さなければ耕盤層が出来て作物が枯れてしまう」
「それでは意味が全くないではありませんか!」
何と言う真実。
村人たちが畑を愛するほどに土地が深く呪われてゆくとは、なんとおぞましい話ではないか。
「その通りです。 深く耕し続ければ、畑の土全体が徐々に固く劣化してしまうのです。
だから、畑というものは毎回深く耕してはいけないのですよ。
必要がなければ、浅く粗くで構わないのです。
もしくは、私が植えた麻のように、深く根を伸ばす植物の力を借りて掘り返さずに耕せばいい」
そう結論付けたところで、クーデルスはさらに問いかける。
「さて、ここで思い出してください。
今は雨や洪水で表面の肥えた土が削られた後ですね?」
「あっ、そうですわ! そんな状態で畑を耕せば、ただでさえ少ない栄養が、分散されてさらに乏しくなる……不味いことになりませんこと?」
「その通りです。 だから今、冬小麦を植えようと畑に手を加えれば、大地に力が足りなくなっているので間違いなく大飢饉が起こります」
ここで古き言い伝えは真であったか……などと叫ぶものはいない。
静まり返った観衆の頬を、夏の生ぬるい風が撫でた。
だが、クーデルスの授業はさらに続くのである。
なぜならば、ここまではただの問題提起であって、解決方法ではないからだ。
「ですが、作物を育てなければ死んでしまいます。
ならば、どうするか?
小麦以外のものを植えればいいのです」
その言葉に、ようやく村人達の目に光が戻る。
言われてみれば、なにも食い物や売れる物は何も小麦だけではない。
さらにアデリアが目をきらりと光らせ、クーデルスの言葉のあとを継いだ。
「そして、その出来上がった作物の余剰を金銭に変え、それを上納するのですね?
国に税として収めるならば、小麦ではなくて金貨でもかまいませんもの」
でなければ、領地を持たない法衣貴族などは税を払うために小麦を買わなければならないという事になり、それは金銭と言うものの存在を否定しかねない。
「貴女のその頭の回転の速さを、私はとても好ましく思います」
「こ、光栄ですわ」
クーデルスがニッコリと笑ってアデリアを褒めると、彼女は少し頬を赤らめつつも、誇らしげに胸を張る。
その隣では、ダーテンがなぜか面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「さて、では結論に入りますが……今年の夏は何を植えるべきでしょう?
私はライ麦や燕麦をお勧めします。
たしかに価格としては落ちますが、これはパンを焼く材料にもなりますし、小麦と違って酸味の強い土壌でも、砂地でも、栄養の無い土でも問題なく育ちますからね」
クーデルスの語る言葉に、もはや村人はただ黙って耳を傾けていた。
そして心に刻む。
この男に、決して逆らうべきではない。
従わなければ、飢えて死ぬのだ……と。
その様子をたとえるならば、まさに羊。
ならば、クーデルスはその羊に紛れ込んだ山羊といったところだろうか。
山羊は、その立派な見た目で羊たちをひきつけて囲い込む。
「さて、次はこの地に適した作物についてお話をしましょう。
単独の作物に特化した農業生産と言うのは、実にリスクが高い代物なのです」
調子にのって時間を忘れたクーデルスの授業は夕方になるまで続いた。
翌日のスケジュールに多大な障害を出し、アデリアに叱り飛ばされたのは言うまでも無い。




