41話
「ん、そろそろいいかな?」
砂時計の粒が最後まで落ちたのを確認し、ダーテンは鍋のふたをあけた。
ふわりと漂う魚の匂い。
どうやらこちらも魚の煮込みを作ったらしい。
ただしこちらは淡い琥珀色の透明なスープに、戻した干し鱈とジャガイモとキャベツだけと言う非常にシンプルな代物である。
生臭さは微塵もなく、むしろ白身魚特有の滋味深さしか感じられない。
ダーテンはそんなスープを深皿によそうと、鉈のような包丁でパンを切り分けてスープ皿の横に添えた。
「ほれ、冷めないうちに食えよ」
「遠慮なくいただくわ」
アデリアは簡単に食事前の祈りを済ませると、スプーンを片手にダーテンの手料理に挑みかかった。
「あら、美味しい」
ダーテンの作った魚のスープはスパイスが全く使われておらず、それゆえにまろやかで優しい味がする。
しかし、素朴と言うにはあまりにも洗練された味だ。
丁寧にした処理されたのか魚には臭みは全くなく、魚の旨みと野菜の甘みとが互いに引き立てあっている。
何も引いてはならず、何も足してはいけない、そんな完璧な調和。
限りなくシンプルであるからこそ、恐ろしく奥深い。
安い材料で作られた、一見すると庶民の料理である。
だが、すくなくとも労働者向けにつくられた、食堂の濃い味付けの料理とは別系統の代物であった。
貴族の頂点として育ったアデリアから見ても、この料理は恐ろしくレベルが高い。
「いがいといけるだろ? これ、魚と塩とジャガイモとキャベツだけなんだぜ?」
アデリアが満足したのを見て、ダーテンもまた嬉しそうに笑う。
その笑顔に、アデリアはなぜか自分の頬が火照りはじめているのを感じていた。
ただ顔のいいだけの男ならば見慣れているアデリアであったが、貴族であるがゆえに裏表の無い笑顔には耐性がないのである。
そんなものは、ずっと彼女の周囲には存在しなかったのだから。
ゆえに、彼女は人の素直な心にはひどく弱かった。
「そ、そういえば、村人たちから領主の事を聞いてきたのよ」
本能的に危険を感じたアデリアは、頬の熱を振り払うように話題を変える。
だが、ほぼ同時にダーテンもまた口を開いた。
「おぅ。 俺も仕事の休憩の時に同僚から色々と聞いてきたぜ。
私的に重税をかけた挙句、人身売買で私服を肥やすとか、ひでぇ奴だよなぁ。 まじ悪人って奴?」
その瞬間、アデリアの顔が一瞬強張る。
顔もいいし頭も回るのだが、ダーテンは時々空気の読めない奴であった。
「え? あら、そう。 そうね、酷い奴よね」
話そうとしていたことを先に口に出されてしまい、アデリアは言葉を失う。
そして無意識にスプーンで皿の底をぐりぐりと、拗ねたように意味もなくかき回し始めた。
だが、そんな彼女の様子に気づくことなく、ダーテンは向かいの席に腰を下ろし、頬杖をつきながら彼が手に入れた情報を語り始める。
しかし、彼の口から飛び出したのは、予想以上にとんでもない情報であった。
「でさ、本当かどうかはわかんねぇけど……一部の村人達の間で実際に代官を暗殺しようって話しもあったらしい」
「……なんですって?」
アデリアは思わずスプーンを動かす手を止める。
さすがにそんな話題を聞きながらでは、食事は出来ない。
「なんでもよ、前から俺が代官を殺してやるっていきまいていた奴が一人いてさ。
今、村ではその男が代官を殺ったんじゃないかって噂になってる。
んで、表立っては誰も口にしてないけど、裏では英雄扱いされてるっぽい」
「……それは聞いてないわ。 誰なの、それは」
アデリアとダーテンの予想では、代官を殺したのはクーデルスだった。
だが、ここに来て別の有力な容疑者が現れてしまうとは完全に想定外である。
「さすがに名前までは聞き出せなかったけどさぁ、そうじゃないかって奴には心当たりがあんだよな」
自分のスープ皿にスプーンを突っ込みながら、ダーテンは何かを思い出すように斜め上をにらみつけた。
「復旧作業の時にだけど。
代官のことを殺してやるっていきまいていた奴は確かにいたんだよ。
顔もしっかり憶えてるぜ」
そう語るダーテンだが、語り口調はどうにも釈然としないものを感じさせる。
「どんな奴らなのかしら?」
「うーん……わりとどこにでもいるような、ちょっと気の短い兄ちゃん?
強めの風を吹かせる程度の風魔術が使えるから、よく清掃をまかされているぐらいしか印象にないな。
少なくとも、風の魔術を使って空を飛ぶほどの力は無ぇと思うぞ」
返ってきたダーテンの答えに、アデリアもまた首をかしげた。
たしかに風の魔術には空を飛ぶ術が存在するが、フワフワと浮かぶだけでも一人前の魔術師と呼ばれる程度の技術は必要である。
それを、少し魔術を齧った程度の村人が?
――ありえない。
「なんというか、動機はあるけれどあの現場を作り出す能力はなさそうですわね」
あの現場の様子を見る限り、その容疑者に出来ることとは思えない。
だが、少なくとも普通の人間が魔術もロープも無しという条件で、村長の家の二階の窓を破って部屋に侵入する事は不可能だろう。
しかも、あれだけ大胆に侵入したのに足跡ひとつないという状況を作り出す事が理解できなかった。
「とりあえず、冷める前に食べようか」
「そうね、せっかくの料理が冷めてしまったらもったいないわ」
二人は押し黙り、何かを考えながら食事を続ける。
そしてどれほどの時間が過ぎただろうか。
口を開いたのは、アデリアだった。
「そういえば、あの事件の犯人像の絞り込みもやってませんわね。
すっかり団長の仕業だと思っていたから、失念してましたわ」
「あ、そういえばすっかり忘れていた」
推理小説であれば初歩的な作業である。
だが、なまじ容疑者がはっきりしすぎていたために、二人は全くその必要を考えていなかった。
「まず、殺害方法は……神がかり的な水の魔術の使い手?」
「あの死因だとそうなるだろうな」
詳細は不明だが、他にあの赤い粘液を撒き散らし、人を瞬く間に白骨にするような方法は考えられない。
たとえ特殊な薬剤を使うにしても、その作成に水の魔術は不可欠だろう。
「そして部屋への侵入方法は、風魔術による空中移動」
「だよな。 それぐらいしか、あんな風に侵入できる要因は思いつかないし」
そこまで考えて、二人はその犯人像がクーデルスと全く重ならないことに気が付いた。
色々と規格外ではあるけれど、彼の属性は地であり、水でも風でもないのは周知の事実である。
「これって……もしかすると犯人は団長ではない? もしくは複数による犯行」
「可能性として、兄貴が真犯人をかばうためにわざとあんな言動をしたって事もありえるよな」
食事の場に、ギリッと二人分の歯軋りが響いた。
だとすれば、二人はまたしてもクーデルスの手のひらの上で踊らされたということになる。
「でも、真犯人がその村民の男だとしても、団長がかばう理由が思いつかないし、今度はあんな殺し方をする能力が無いという疑問が残るわ。
共犯者の可能性については、相手についての手がかりが全く無いわね。
いっそ、モラル様のお裁きとでも言われたほうがしっくりくるわ」
「だったら最初から神罰だって宣言するだろ。
まいったな。 容疑者は増えたけど、どちらも動機と能力と手段がかみ合ってない」
結局、その日の推理はそこでおしまいとなった。
そして食後のデザートを要求されたダーテンが、プロテイン代わりに確保しておいたタマゴと蜂蜜を使って、泣く泣くプディングを作る羽目になったのはここだけの話しである。




