50話
「さて、きな臭い話になってきました。
とはいえ、スタンピードについての話が本当かどうか分からない以上、迂闊に王都に向かうのはちょっと危険かもしれませんねぇ」
宿屋に併設されている食堂で、クーデルスは一人でエールを飲みながら独り言を呟いていた。
「けど、リンデルクに戻るのも意味がありませんし、この街に留まるのはたぶん危険でしょう。
ですが、何よりも判断を下すには情報が色々と少なすぎます」
ため息を吐いてからそう呟くと、クーデルスの懐から触手がこっそり顔を覗かせて、クネクネとダンスを踊る。
先ほどの台詞に、どうやらフラクタ君が一言あるらしい。
「さっさと竜の姿になってアモエナさんだけつれてゆけばいいって……まだ拗ねているんですか」
どうやら、フラクタ君は先日のカッファーナの反応がそうとうお気に召さなかったようである。
今回は怪しい雰囲気を聞きつけて自発的に出てきてくれたが、未だにクーデルスが呼んでも無視を決め込んでいるのだ。
「とりあえず、私の勘だとスタンピードが起きるまでには、まだしばらく猶予がありそうな気がするんですよね。
だから、まずはこの街に滞在してさらに情報を収集しましょう。
その後でどうするかを決めることにするつもりです」
ちなみに、最優先の判断基準はアモエナたちの身の安全だ。
それがかなえられないというのなら、他の全てを犠牲にしてもかまわない。
願わくば全ての者が平和裏に笑いあって結末を迎える事ができればよいのだが……。
この世界がそんなに優しく無いことを、クーデルスはいやと言うほど知っていた。
そんな事を考えながら、クーデルスは注文しておいたエールのジョッキを煽る。
室温と同じまでに暖められたぬるいエールは、発酵が進みすぎているのかひどく酸っぱかった。
やがて時間は流れ、未だに部屋から出てこないアモエナをどうしようかとクーデルスが思案していた頃。
ようやくカッファーナが宿に戻ってきた。
だが、戻ってきたカッファーナはひどく気まずそうな顔をしている。
いったい何があったというのか?
「どうしました、カッファーナさん? なにやら浮かない顔をしていらっしゃいますが」
嫌な予感を憶えつつもクーデルスがそう話しかけると、カッファーナは少し項垂れてしおらしい表情をしながらこう切り出したのである。
「ごめんなさいね、クーデルスさん。 ちょっと面倒な事が起きているのよ」
当然ながらそれだけでは全く意味がわからない。
「給仕さん、彼女に何か飲み物を」
どこから説明しようかと迷っているカッファーナに、クーデルスはまず彼女が落ち着くよう、店員に飲み物を注文した。
そして給仕がぬるいエールを持ってくると、カッファーナは一口含んで眉をしかめる。
最近はクーデルスが用意する冷えたビールに慣れてしまったせいか、この店の味では満足できなくなってしまっているようだ。
「さて、改めて……何があったか、お伺いしましょう」
クーデルスが話を向けると、カッファーナは投げやりな調子でこう語った。
「結論から言うと、護衛としてつれていたフンゴリアンたちが目をつけられちゃったのよね」
「誰にです?」
「この街の自警団の組織によ。 今はウチのドルチェスに対応してもらっているわ」
予想もしなかった単語と展開に、思わずクーデルスは首をかしげる。
「いったいどういう経緯でそんな事に……」
「最初はねぇ、酔った冒険者が私のお尻に手を伸ばそうとしたのを、フンゴリアンの一人が防ごうしたんだけどね。
どうも手加減を間違えたらしくて、その冒険者の手首がポッキリと……」
「あ……」
どうやら、フンゴリアンの能力は作り手に似てしまったようである。
そしてバツの悪そうな顔をしたクーデルスを他所に、カッファーナは遠い目をしつつその時の状況を振り返った。
「で、やりすぎだって事でそいつの仲間の冒険者たちが襲い掛かってきたんだけどね。
まぁ、アッサリと返り討ちにしたの。 強かったわよ、フンゴリアンたち。
……えぇ、そこまではよかったのよねぇ」
おそらくその直後に何かあったのだろう。
カッファーナはエールで唇を湿らせると、眉をひそめて忌々しげに語りだした。
「その場に居合わせた客の一人が、その問題の自警団の団長でね。
スタンピードから街を守る戦いに力を貸してほしいって、しつこいのなんの……」
「なんとまぁ、それは運が悪い」
まさかそんな連中が絡んできてしまうは……。
それは、クーデルスにしてもとんだ災難である。
「人事みたいな口ぶりだけど、雇い主である貴方に断りも無く話しをする事はできないって言っておいたから、そのうちここにも押しかけてくると思うわよ」
「えぇっ、なんて事するんですか!」
思わず悲鳴を上げたクーデルスに、カッファーナは特に悪びれも無く肩を竦めた。
「だって、私達じゃ到底断りきれない感じだったんだもの。 仕方が無いじゃない。
そもそも、むこうは権力者よ? どうしろっていうのよ。
あ、給仕さん。 私に蜂蜜酒をお願い。
……そこの髪の長いオッサンのおごりで」
悪びれもせず、好みの酒を注文するカッファーナだが、クーデルスは思わず頭を抱える。
よりによって正義の味方にかかわってしまうとは。
時に善意と言うものは、悪意より話が通じなくて面倒な代物なのだ。
「これが物語なら、何とかするアイディアが出てくるところでしょ。
脚本家として、何かネタはなかったんですか?」
「残念ね、私お酒入っちゃうと執筆できないタイプなの」
笑いながら告げるカッファーナに、クーデルスはため息しか返せない。
そしてカッファーナが不味そうに残っていたエールを飲み干した頃。
その面倒な相手が、ドルチェスに案内されて宿にやってきたのである。




