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お花畑の魔王様  作者: 卯堂 成隆
捩花 : 人の子よ、その身に余る喜びよ
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27話

 そして翌日。


「ふぅ、張り切りすぎて少し店を早く開いてしまいました」

 そう呟いたクーデルスの息は白く色づき、揺らめきながら澄んだ空気の中に溶けていった。

 その周囲はまだ暗く、夜明けと言ってよい時間帯ではあるものの、まだ太陽があがる前である。

 あたりには白い靄が立ちこめ、肌を撫でるそよ風は冬のように冷たい。


 こんな時間に起きて活動しているのは、およそ朝市に売り物を出そうとする農民ぐらいのものだろう。

 あとは、早朝の散歩を趣味にしている少数派ぐらいか。


 この場所は景色も良く、他にも屋台を出す人間がいるのだが、クーデルスはゴールドメンバーズカードで商業ギルドの職人の顔をひっぱたき、無茶を言い出した挙句に無謀としか思えないほど広い場所を占拠していた。

 その広さ、横が十メートルで、縦が二百メートルほど。

 ショッピングモールかと思わせるような広さだ。



 そもそも、この河川敷はあまり商人たちに人気のある場所では無かった。

 なぜなら、ここは屋台を出すための手数料が必要なく、市場に店を出す事もできない底辺商人が集まる場所だと認識されているからである。

 つまり、無理を言っても立場の弱いものからしか苦情が出ない……そんな場所なのだ。


 そんな腹黒さ丸出しなクーデルスの屋台だが、見た目は非常に美しかった。


 壊れてゴミ同然になっていた屋台はドワーフたちの手で修復された上に彫刻が施され、もはや原型をとどめないレベルの改造がなされていたし、さらに周囲にも彼らの手によって作られた……屋台と同じ方向性のデザインがなされた芸術品レベルの椅子やテーブルが並んでいる。


 そしてその足元にはクーデルスの生み出した癒しの力を持つタンポポが、淡くオレンジの光を放っていた。

 もはや休憩所というよりは美術館の庭園に近い。


 一つ不可解な点があるとすれば、この広大な敷地に屋台は一軒しかなく、しかもその窓口が分厚いカーテンで封鎖され、中が完全に見えないようになっているところだろうか。


「さてと、そろそろ呼び込みを始めますか。

 フラクタ君、始めてください」

 すると、クーデルスの声とともに、中身の見えない屋台から甘く上品な香りが漂い始め、道行く通行人を誘惑し始めた。

 そして一人ふたりと店の方へと吸い込まれてゆくと、今度はメイド服に身をつつみ髪を緑と黒のメッシュに染めた美女たちがどこからとくなく現れて、かいがいしく給仕を始める。


 街の屋台にはありえない高級な雰囲気に、一度は場違いではないかと躊躇する通行人たちだが、美女たちの笑顔には逆らえず、しかも料金が前払いの明朗会計であるため後からぼったくられる心配も無い。

 そして店のメニューを見て彼らは驚く。

 なんと、そこで売られている茶は、茶の木から作られた本物の茶葉であったからだ。


 三国志のお好きな人には吉川英治の新装版でおなじみかもしれないが、かつて茶の木のお茶は非常に高価な代物であり、それこそ家宝と引き換えにでもしなければ庶民の口には入らない代物だったのである。

 この世界においてもそれは同じであり、茶葉は同じ重さの金よりも高価なものであった。


 メニューは三種類のお茶と、スコーン二種類のみ。

 だが、その簡素さがかえってその場には似つかわしかった。


 問題はただひとつ。

 あまりにも居心地が良すぎて、入った人間がなかなか出てこないことぐらいだろうか。


「うわぁ、すごい盛況ね」

 聞きなれた声にクーデルスが振り向くと、そこには踊り子の衣装を纏ったアモエナが笑顔で歩いていた。


「アモエナさん? ここには来ないように言っておいたはずですが」

 クーデルスがやや不機嫌な声でそう告げると、アモエナはどこか甘えた調子で唇を尖らせる。


「えー ケチくさいこといわないですよクーデルス。

 ここで踊らせてくれない? 私にも稼がせてよ」


 たしかに言われてみれば、ここは居心地が良く、広くて、さらに暇をもてあました人間が山ほど存在している。

 しかも、出しているのは茶とスコーンのみで、視覚的な娯楽が風景しか無い。

 稼ぎが在る無しを別にしても、アモエナがその芸を見てもらうには最適の環境であった。


 だが、そんな事はクーデルスも最初から想定済みである。

 なぜ彼がアモエナを呼ばなかったかと言うと……。


「そういうのはもうちょっと後からにしたかったんですよ。

 まさか、ドルチェスさんも?」

「うん。 たぶんしばらくしたらカッファーナさんも連れてここにくるんじゃないかな。

 あの人たち、酒場とかこういう賑やかな場所のほうが執筆が進むタイプみたいよ」


 作家と言う生き物には、なぜか二つの人種がいて、一つは自分の部屋で一人でいるときにもつとも集中できるタイプであり、もう一つは喫茶店などの外の環境のほうが筆が進むタイプである。

 どうやらドルチェスとカッファーナは、そろって後者のタイプであるらしい。


「仕方の無い方々ですね。

 あと、人はたくさん集まっていますが、あまり儲かってはおりませんよ。

 客が長くとどまるので回転率が非常に悪いのです。 まぁ、想定済みですが」


 それは喫茶店などの経営でよくある問題で、もしもクーデルスが商人であったならば、失敗だと判断する状況である。

 だが、彼の本質は政治屋であり、この状況を彼は失敗だとは思っていなかった。

 むしろ彼にとって、この状況はまさに想定どおりの展開なのである。


「ふぅん……あんまり難しい事はわからないけど、たぶん最終的に利益は出るようになっているんでしょ?」


 学の無いアモエナに、クーデルスが何をしようとしているのかを理解できるほどの知識や見識は無い。

 だが、愚かではない彼女は、クーデルスに何か考えがあることだけは理解していた。


「ええ、私にとっては……という意味ではありますが。

 さて、では私は計画を次の段階へと進めたいので、ちょっと出かけてきますね」

「待ってよ、クーデルス! ここで躍らせてくれるって話は!?」


 そのまま立ち去ろうとするクーデルスを、アモエナはあわてて呼び止める。

 すると、クーデルスは何か思い出したかのように振り返った。


「あぁ、そうだ。 一つ注意しておきますが、屋台の中は絶対に覗かないでくださいね」

「ちょっと、人の話聞きなさいよぉっ! 馬鹿ぁっ!!」


 取り付く島も無いクーデルスの態度に拗ねて頬を膨らませるアモエナだが、クーデルスは鼻から軽くため息を吐くと、膝を折り曲げてそんな彼女と同じ高さまで視線を下げる。

 そして、春の最中にやってくる冬の名残の風のように無機質な声で尋ねた。


「人の話を聞かないのはアモエナさんもですよ。

 私は、ここには来ないように言いましたよね?

 ちゃんとその意味は考えましたか?」

「そんな難しいこと、わからないし!」


 すると、彼はなんてことも無いようにこう告げたのである。


「わからないのですか。 それはお可哀想に(・・・・・)


 その瞬間、アモエナの全身の毛が逆立った。

 まるで、足元にポッカリとそこの見えない穴が開いたような感覚。

 なにか……取り返しのつかないことを言ってしまったのだろうか?


「あ、あの……く……クーデルス、もしかして怒ってる?」

「まさか。 私が可愛いアモエナさんの事を怒るだなんてありえませんよ」


 クーデルスは怯えるアモエナの頬を大きな手でそっと包み込むと、わが子におやすみの挨拶をするようにそっと額に口付けた。

 そして囁く。


「良い子だから、もう宿にお帰りなさい。

 私が貴方をちゃんと愛している事はわかりますね?

 そして、愛しているからこそ、ここには来ないように言った事も、かしこい貴女ならちゃんとわかりますね?

 可愛くて、わがままで、それなりに純真な貴方にはまだ早い……見るべきでは無い事が世の中には色々とあるのです」


「わかったわ。 でも、そんな色気の塊みたいな声で囁きながら私の事を子ども扱いしないで。

 ――気がおかしくなりそうだわ」


 そういい残すと、アモエナは顔を少し赤らめながら宿へと戻っていった。


 兄や父親のようでありながら、それとは明らかに異なる優しさ……クーデルスが時折見せるこの大人の雰囲気が、アモエナはとても好きだった。

 そして、そんな彼につりあっていない自分自身がたまらなく嫌いだった。


 この、どうしようもなく抑えがたい、心を内側から焦がす熱が何であるかを、まだ彼女は知らない。


 そしてそんなアモエナと入れ替わるようにして、招かれざる客はやってきたのである。


「こんにちは、クーデルスさん。 ご盛況ですな」

「おや、こんにちはフェイフェイさん。 お散歩ですか?」


 商人と政治屋。

 腹の中に性質の異なる黒いものを抱えた二人は、笑顔が本来攻撃的なものであるという説話を思い出させる顔で、とても平凡な挨拶を交わした。

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