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お花畑の魔王様  作者: 卯堂 成隆
捩花 : 人の子よ、その身に余る喜びよ
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1話

 春も近い山の中。

 一人の少女が息をきらしながら走っていた。


 靴も無く、裸足のまま。 何かに追われるように、怯えた目をして。


 服はボロボロ、首には家畜につけるような無骨な首輪、足には靴も無く、爪がはがれて血が滲んでいる。

 一体彼女は、何から逃げようとしているのだろうか?


 だが、彼女の疾走は長く続かない。

 起伏の激しい山の中でそんな事をすれば、すぐに体力は尽きてしまうからだ。

 ほどなくして、少女はヒィヒィと荒い息をつき、力なく地面に座り込んでしまう。

 そんな彼女の耳に、サラサラと小川のせせらぎが聞こえてきた。


 ――あぁ、水がほしい。

 少女が音のするほうに足を向けると、すぐそこに白い飛沫を散らしながら小さな川が山肌を伝って流れている。


 思わず駆け寄って水を求め、ふと気づいた。

 新緑を水面に映す川の中を、上流から薄紅の大きな花びらが流れてきたではないか。


 美しい光景だと見とれるのもつかの間。

 すぐに少女は、今がまだこんな花が咲く季節ではないことに気づく。

 そう、誰かが温室で育てた花を散らしているような、そんな勿体無い行為をしているのだ。

 こんな山の奥深くで。


 いったい誰がそんな事を? いや、そんな事よりも人がいるのならば助けを求めよう。

 そんな思惑とともに上流に足を向ければ、ふと低い男の声が聞こえてくる。


 悪く言えば陰気な、良く言えば穏やかな、愛をささやくには少し妖しく、悪し様に(けな)すには魅力的過ぎる声。

 何を囁いているのかと耳をそばだてれば、その声は二つの言葉を繰り返し告げていた。


「出会う。 出会わない。 出会う。 出会わない。 出会う。 出会わない。 出会う。 出会わない。 出会う……」

 まさか、これは花占い?

 そう思った瞬間である。

 潅木の茂みが途切れ、声の主が目に入った。


 そこにいたのは、身長2メートル近い大男。

 しかも、その肉体は神殿に飾られている男神像のように逞しい筋肉で覆われている。


 そんな屈強な男性が……だ。 全裸のマッチョが……だ。

 ピンクの薔薇で埋め尽くされた浴槽に入って全裸で花占いをしていたのだ!

 しかも、浴槽の縁に肘をついたセクシーポーズで!

 なんという不幸な光景だろうか!!

 そして……。


「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 侵入者の視線に気づくと、男は野太い悲鳴を上げた。

 意味もなく乳首を手で隠すあたり、無駄に芸が細かい。


「なんでアンタが悲鳴を上げるのよ! アタシの台詞返せ!!」

 その衝撃の現場を目撃してしまった少女が、魂の叫びを上げたのを誰が責められるだろうか?

 むしろ慰めの言葉が必要であるに違いない。


**********


「まったく……人がステキな出会いがあるかどうかを真剣に占っていたのに、邪魔しないでくださいませんか?」

 横においてあった眼鏡を装着すると、全裸の変態マッチョは開き直った態度で少女に文句をつけた。

 顎まで伸びた焦げ茶色の髪は顔をほとんど覆いつくしており、その視界の悪さから眼鏡など意味があるのだろうかと首を捻りたくなる外見である。


 不機嫌そうに唇を尖らせてこれみよがしに鼻を鳴らす陰気な変態マッチョに対し、被害者である少女はと言うと、こちらも少し落ち着いたのか腰に手を当ててこう告げた。


「その前に、アンタは服を着て。 話はそれからよ!」


 彼女のために説明するならば、男の下半身は浴槽の水面を埋め屈す薔薇に遮られて目に入らない。

 目に入らないといったら入りません。

 ええ、絶対に入りません。


 その出版コードに引っかかりそうな危険な浴槽の中で、変態マッチョはパシャリと水音を立てて体勢を変えると、ふと何かに気づいたように首をかしげ、顎に指を当てた。


「まぁ、お話がしたいというなら私もやぶさかではありませんが……妙ですね。 貴女、猟師もほとんど踏み込まないような、こんな人里離れた山の中で何しているんですか?

 見れば靴も履いていないし、足が血まみれになっていますね。

 服装も、山に入るにはあまりにも薄着かつ粗末。

 首には犬でもないのに飾り気の無い、誰かを拘束するための首輪。

 察するところ……」


 大男の口から言葉が呟かれるたびに、少女の顔がどんどん青褪めてゆく。

 そんな様子に気づかないのか、知っていて無視を決め込んでいるのか、大男の口から彼女の素性が自慢げな口調で唱えられた。


「あなた、逃亡奴隷ですね」

 その瞬間、春を運ぶ強い風が大男の髪をかきわけ、額から生えた小指の先ほどの小さな角が目に入る。

 肌の色も顔立ちも人とかわらない姿でありながら、角や尻尾のある存在。

 眠らない子供たちを叱るたびに親が口にする――そんな生き物は一つしかなかった。


「……魔族!?」

 男の正体を察するなり、少女は血まみれの足で逃げ出そうとした。

 人類の敵対者である彼らに捕まれば、どんな無残な殺し方をされても不思議ではない。

 いや、むしろ殺さずに延々と慰み者にされる可能性も高かった。


 だが、石のむき出しになった川原は足場が悪く、ザッと音を立てて少女の足が滑る。

 ――こんなところで転ぶだなんて!

 少女は痛みをこらえようと目を閉じる。

 だが、いつまでたっても痛みは訪れず、彼女の体を優しく何かが抱きしめていた。


 ……誰かの腕ではなく、ダラダラと粘液を撒き散らす、極彩色のタコの足のような代物が。


「ひっ!?」

 とてもではないが、助かったという感じでは無い。

 むしろこれは状況が悪化したのでは無いだろうか?


「ほらほら、いきなり走り出すなんて、危ないじゃないですか」

 後ろから聞こえてくる魔族の男の声に、少女は正しく状況を理解する。

 これはたぶん、魔族に捕獲されてしまったということだ。


「まったく。 怪我をしたらどうするんですか」

 おそらく、自分がいたぶる前に傷つく事は許さないという意味だろう。

 それほどまでに、魔族という生き物は心が歪んでいて、なおかつ執着が強いのだ。


 あぁ、自分は一体どうなってしまうのだろうか!?

 刃物で肌を少しずつ切り刻まれるのだろうか?

 それとも、見世物として魔獣と殺し合いをさせられるのだろうか?

 ひょっとしたら、想像するもおぞましいバケモノに変えられてしまうのでは無いだろうか?


 そんな想像が、ぐるぐると頭の中を駆け巡る。

 やがて、魔族の足音は彼女のすぐ後ろにまで近づいてきた。


「改めまして。 こんにちは、お嬢さん」

 ――あぁ、もうダメだ。


「いっ……いやぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 今度こそヒロインらしく悲鳴を上げると、少女は白目をむいて意識を失う。

 そして後には、この少女をどうしたものかと困惑する……腰に布を巻いただけの、半裸の大男だけが残されるのであった。

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