99話
「やーい、バーカ。 お前も引っかかってやんの! はずかちぃニンジンでちゅねー」
「うるせぇ! 誰がニンジンだ、この、キンキラキンの菜の花頭!!
バカって言うほうがバカなんだよ、バーカ、バーカ!!」
「んだと!? ガキみてぇなコトいってんじゃねぇぞ、このクソ赤毛!」
「ウルセェ! んなことよりも……決着つけるぞ、ダーテン! もぉ、逃げられねぇからな!!」
「上等だ。 そろそろお前の美少女のくせして妙に品の無いツラにも飽きてきたところだぜ!」
口では散々に罵りながらも、二人の顔はどちらも笑っていた。
そして同時に、互いの間合いを外すべくジリジリとすり足でその位置を変えている。
どちらにも隙が無く、迂闊に踏み込めば返り討ちに、よくて相打ちになる未来しか見えない。
緊張から汗が滴り、少女の形をした美しい顔には、滝のように汗が滴っていた。
そしてその汗が床に落ちた瞬間、まるでそれが合図であったかのように二人は同時に動き始める。
ダーテンは上から刷毛を振り下ろし、サナトリアは横から薙ぐように。
――相打ちか?
どちらの動きも、常人の目では追いきれないほどであったが、気が付くとダーテンの刷毛がサナトリアの刷毛を受け止めていた。
どうやら、途中でダーテンが刷毛の軌道をかえて防御に回ったらしい。
そんな風に二人の動きを確認できたのは、その一瞬だけの事。
どちらもすぐさま次の攻撃へと移りはじめ、すぐにその動きが目で追いきれなくなる。
カカン、カンカンと、まるでフラメンコを踊るかのように軽快な音を立てながら、二人の振るう刷毛が何度も交差した。
振り回される刷毛の切っ先から染料が跳ね、緑の蔓で覆われた戦場は次第に赤と金色のまだらに染められてゆく。
そんな鮮やかで幻想的な世界の中で戦う二人の動きは、時には苛烈なまでに激しく、時には相手を誘うために緩やかに、誰かが見ることを意図したものではないというのに、まるで舞台の上で踊っているかのように美しく、観衆たちの心と目に深く焼きついていた。
そんな中、ピシっと妙な音が響き渡る。
『おや、ダーテンさん、ピンチですねぇ』
『どういうことでしょう、クーデルスさん』
『おそらく、今の音は刷毛にヒビが入った音です。
手下にも戦わせていたサナトリアさんと違って、ダーテンさんは一人で激戦をくりひろげていましたからね。
そろそろ刷毛の耐久度に限界が来たと言うことでしょう……おそらく、あと二から三回。
多くても五回ほど打ち合えば、たぶん刷毛が壊れてしまいます』
おそらくそれは本人もわかっているのだろう。
ダーテンは顔を青褪めさせたまま、距離をとって刷毛に染料をつけなおす。
おそらく捨て身の一撃を放つ準備だ。
「いいねぇ、最後まで諦めないその態度。 大好きだぜ」
肩で息をしながらサナトリアが舌なめずりをする。
いきがってはいるが、こちらもそろそろ体力が限界らしい。
先ほどから、やや動きに精彩が無くなりはじめていた。
「悪いな、俺の愛情は全部アデリアに捧げちまったあとでね。
お前の期待に応える気は……まったく無い!!」
袖で額の汗をぬぐいつつ、ダーテンが刷毛の切っ先をサナトリアに向ける。
こんなところでも堂々とのろけるあたり、ダーテンは筋金入りのバカだった。
「つれないこと言うなよ。 力ずくで可愛がっちまうぞ」
「そいつは全力でお断りする……いくぞおらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
僅かに刷毛の切っ先を下げ、そこから蛇が襲い掛かるような動きでダーテンが襲い掛かる。
その動きは隙だらけでありながらも、今までのやり取りとは比べ物にならないほど早かった。
だが、サナトリアもまたその動きに体を合わせ、相手の刷毛を払ってカウンターを仕掛けようとする。
しかし、疲れ果てた体ではダーテンの捨て身の一撃をいなしきれず、結果として二人はもつれ合うようにして大きく体勢が崩れて床に転がった。
同時に、互いの手から刷毛が離れ、床を転がる。
ダーテンが素早く起き上がって刷毛を手を伸ばすが、その足首をサナトリアが掴む。
そして片方の手で染料の入ったタンクを掴み、その中身をダーテンにぶちまけようとした。
だが、ダーテンはとっさに地の魔術を発動させると、石つぶての魔術をぶつけて自分の刷毛を手元へと跳ね飛ばす。
「これで終わりにしてやるっ!」
「終わるのはテメェだ!!」
そしてお互いに座ったままの不完全な体勢から再び攻撃を放とうとしたその瞬間であった。
『競技終了!!』
ガンナードのアナウンスとともに、床や壁を染めていた染料が全て光り輝く花びらとなり、ブワッと音を立てて宙に舞い上がる。
「何……だと? サナトリアより先にこの階段の奥に進んだ奴がいたのか!?」
だが、この最下層に向かう階段はずっとサナトリアが占拠して誰も通さなかったはずだ。
そう――他に通路が無い限りは。
その瞬間、ダーテンは全てを理解した。
だとしたら、あんまりだ。
自分たちは、何のために戦ってきたと言うのだ?
「ふざけんな! こんなの納得できるか!!」
怒りもあらわに叫ぶダーテンの姿は、このイベントを見ていた全ての観客の心情そのものであった。
国中に怨嗟の声が響く中、ガンナードの声が優勝者の名を叫ぶ。
『第一回チキチキダンジョン猛レースを制した、栄え無き優勝者は……元王太子であるサンクード殿下でした!!』
同時に、水幕のスクリーンが、灰色に近い紫で塗りこめられた空間を映し出す。
画面の中には、宝玉を失った台座と、そこにあった宝玉を手にした一人の少女が映されていた。
「ふふふ、ふははははは!
訂正するがいい、下郎が。
今の私は、元王太子ではない。 れっきとした王太子である!
試練を乗り越え、私はアデリアと王位継承権を再び手にしたのだ!!」
尊大な声で自らの勝利を宣言するサンクードだが、その栄誉を称える者は一人もいなかった。
なぜなら……。




