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粗忽長屋

作者: 溝野魅苑

2004年ごろ、他のサイトに載せて放置してたら消えてしまってたものです

「おい。ちょっと待ってくれよ。」

「何でい?どーしたってんだい?」

「今、運んでる仏さんが俺だとしたら、その仏さんを運んでる俺は誰なんだ?」

「以上、粗忽長屋の件。お後が宜しいようで。」


   *


頭が痛い。最近、持病の偏頭痛が酷くなった気がする。だらけてるからか? だらけてるからだな、多分。

バイト、くびになって一週間。すっかり生活は昼夜が逆転してるし、動かねーから、腹も減らねーし、外出ねーから、風呂も入んねー、髭も剃らねーでパンツ一丁だし。しかし、財布の中身は、俺に現実の厳しさを見せつける。

バイト、探さないとな。

俺は、1週間ぶりにシャワーを浴び、髭を剃り、服を着て外に出た。夕方になっても、夏の日差しは衰えず、頭がガンガン痛むけど歩いた。

二駅分。

別にだらけた身体に喝を入れる為とか、バイトが見つかった時の為に身体を鍛えておく為ってわけじゃない。只、金がない。財布の中身が教えたもうた現実の厳しさって奴。


バンドだ、演劇だ、と27にもなって、定職につかずに糞の役にも立たねー事ばっかやってる俺と違って、3つ下の妹は、既にOL5年目。ボーナスで親に温泉旅行やらホテルのディナーやらをプレゼントする見上げた奴。

もちろん、俺の事を見下している。

しかし、そんな事、構ってらんねーのよ。とにかく、日銭すらねーこの状態、バイト決まっても働きに行く事すら出来ねーこの状態。妹に助けを求めるしかねーわけなのよ。


汗と、屈託した心と、偏頭痛、更には妹の態度を想像し既に溢れ出ている屈辱感にまみれ、俺は二駅先にある妹のマンションの前に立つ。俺の心と裏腹に、バカっぽさ丸出しの音を出す呼び鈴を押した。

「… はい?」

不信がる妹の声。

「俺だけど。」

ここで、声は安心し、いつもの俺を見下した物言いが始まる。はずだった。

「… はー?」

更に不信がる妹の声。

考える。妹だってもう24だ。

「俺だけど。」

と言って呼び鈴を押す男が肉親の俺だけだって事もあるまい。あれで案外器量も良いんだし、

「俺だけど。」

と言う男が複数いて、それだけじゃ誰だかわからない、なんて事もあり得る。だから、俺は

「俺だよ。俺… 匠だよ。」

と名乗りを上げた。ここで、声は安心し… ってか、声すらしない。

「おい! 緑! 緑! 」

ちょっと焦って声を荒げ、ドアを乱暴に叩いた。ぶっちゃけ、これから金を無心する男の態度ではなく、これでドアが開いて、交渉に及んだとしても、難航するであろう事は明らかである。そんな思考が頭を過り、俺は行動を抑え、ドアノブを見つめた。

ガチャリと静かな音がして、暫しの間。それからドアノブがゆっくりと回った。ドアが30度程度開く。要はチェーンが掛かったまま。幾ら見下しているとは言え、実の兄貴に何て態度。

「本当に、お兄ちゃんなの?」

30度程度の隙間から、やや上目遣いで妹が俺の顔を見つめた。その、おどおどと怯えた視線。考えた。妹は、案外器量も良いし、良からぬ男に言い寄られているに違いない。今流行りのストーカーって奴。今までそいつは何度となく、俺の名を語り、妹を油断させ、ドアを開かせ、恐ろしい目に合わぜて来たんだろう。大体、仕事バカの妹がこの時間家にいるのもおかしい。きっと精神がボロボロになって会社に行けない状態なんだろう。だから、俺は

「とにかく、中に入れろよ。話はそれからだ。」

と兄貴らしさを発揮し、妹を不安から解放し、安心して金が無心できる態度を取った。ずっと俺のつま先を見ていた妹だったが、これまたゆっくりとチェーンを外し、俺を中に招き入れた。


よく片付いた妹の部屋。俺は出されたコーヒーをすすりながら、ぐるりと見渡した。人形だのぬいぐるみだのが並ぶ棚の一角に俺の写真が飾られていた。案外兄貴思いなんじゃん、と感動したが、その額縁は黒枠だった。

やっぱ嫌われているのか?

無言で俺の足元辺りに視線を落とす、精神を病んでいる可能性をはらむ妹にそれを聞くのもはばかれる。

「へー、緑、俺の写真、飾ってんだ。」

さりげない感じで俺は言った。妹は何も答えない。只俺の足元を見つめるだけ。

「嬉しいけどさ、もーちょっと小じゃれた額にしてくれよ。これじゃ俺、死んだみたいじゃん? 」

俺は努めて陽気に言ってみた。妹がびくっと身を震わせた。考えた。俺は言ってはいけない事を言ったのか? きっと、妹に付きまとうストーカーにより大事な人が死んだとか、何かそんな悲しい事があり、それがトラウマとなって妹は写真には黒い額縁しか使わないようになってしまったとか? だから、俺は。

もうなす術もなく、只コーヒーをすすった。


「お兄ちゃん… さー。」

妹が思案げに口を開いた。

「何だ? どーした? 」

俺は、いよいよ、妹が俺に心の闇を打ち明ける気になったのを察し、居住まいを正し、誠意ある兄らしさを演出した。

妹はまた口を閉ざす。俺の演出がすべったのか? その時、妹は顔を上げ、狼狽し泳ぐ俺の視線をしっかりと見据え、意を決したように口を開いた。

「お兄ちゃん、ちょっと一緒に行って欲しいとこがあんの。」

俺は悟った。ついに妹は自分が精神的に追い詰められて、危険な状態になっている事に気がつき、肉親である俺を同伴して、精神科の門を叩く決意をした、と。俺は、妹の強さと賢さに打たれ、こんな兄でも信頼してくれている事に、また打たれ、同意の意を表した。


最後に来たのは、婆ちゃんが死んだ時だっけか。電車で2時間、バスで1時間。都内とは思えない風光明媚さ。

我が家の墓所。

我が家の墓石は、爺ちゃん、婆ちゃん、マサエ叔母さん、キヨエ叔母さんで全部で4個。のはずだった。

墓石は5個。

刻まれているのは、俺の名。


   *


頭が痛い。

遠くで誰かが聞いてるラジオから落語が聞こえている。その話の面白いところは、粗忽者の熊さんが、川に上がったドザエモンを同じ長屋の八さんだと思い込み、同じく粗忽者の八さんも何の疑問も持たずに自分が死んだと思い込み、葬式まで出すって言う点だと解説者が言っている。お笑いを解説するもんじゃねーよ。

妹の声がする。俺を見下した風でもなく。おどおどと怯えた風でもなく。精神を病んでる風でもなく。

「お兄ちゃん、バイトくびんなった日に、酔っ払ってケンカして、頭に大怪我して死んだのよ? 私がお兄ちゃんの遺体の確認に行ったの」

遠くのラジオの落語が進んで行く。そろそろ落ち、落語の用語じゃ下げってやつだ。

「おい。ちょっと待ってくれよ。」

俺は妹に呼びかける。

「おい、ちょっと待ってくれよ。」

遠くのラジオの落語が進んで行く。

「何でい? どーしたってんだい? 」

妹が悲しげな目を俺に向け答える。

「何よ? どーしたって言うの? 」

いよいよ落語はクライマックスだ。

「今、運んでる仏さんが俺だとしたら、その仏さんを運んでる俺は誰なんだ? 」

俺は妹に問いかける。

「それが俺だとしたら、今ここにいる俺は誰なんだ? 」

以上、粗忽長屋の件。お後が宜しいようで。

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