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ノルトハイムの英雄

 巨大な兎の形に集結した瘴鬼は、背中の大きな黒い翼を羽ばたかせると、首を回してノルトハイムの方角を睨んだ。

(アルドよ、ノウラを止めるのだ。奴はノルトハイムを滅ぼす気だぞ)

 イリヤの言葉を受けて、アルドは素早くノウラの前方に回り込んだ。ノウラは右腕に力を込め、アルドに拳を打ち込もうとするが、アルドは寸前でその一撃を躱す。

 ノウラは間断なく左右の拳をアルドに向けて繰り出してくるが、ノウラの動きは思いの外素早く、アルドはノウラの攻撃を避けるのが精一杯だった。


(このままでは、埓があかない)

 アルドは一旦ノウラと距離を離すと、ノルトハイムの方角に向けて飛んだ。

(上手く追ってきてくれるといいのだが)

 ノウラと距離を離さないよう、力を加減して羽ばたいていると、背後にノウラの姿が迫ってきた。

(よし、そのまま突いてこい)

 アルドを射程距離に捉えたノウラは、アルドの背に左手の拳を打ち込もうとした。その一撃を予想していたアルドは身を捻って拳をかわすと、その回転の力を生かし来迎剣でノウラに斬りつけた。

 しかし、ノウラの体は剣に斬られるより早く分裂し、無数の瘴鬼の姿に別れた後、再びノウラの姿に合一した。

(くそっ、見切られていたか)

 動揺している間に、アルドはノウラに頭上を取られていた。ノウラは両腕を組んで高く振り上げると、アルドの頭に渾身の一撃を見舞った。


 巨大な金槌で殴りつけられるような衝撃を食らったアルドの身体は勢いよく地に叩きつけられた。背をしたたかに地面に打ち付けたアルドは咳き込んだが、それでも幾許もなくして起き上がる。思っていた以上に天人の体は頑丈なようだ。

「あんな化物に、どうやって勝てというのだ」

 体の節々が痛んでいる。羽を自在に動かすにはもう少し時間がかかりそうだ。空を見上げると、ノウラがアルドのいる地上めがけて急降下してきている。体を躱すのはおそらく間に合わない。アルドは空に向かって剣を突き出したが、ノウラの両腕の先から黒い鍵爪が伸び、今にもアルドの身体を指し貫こうとしていた。


「お待ち!」

 その時、アルドの背後から鋭い声が飛んだ。

 ノウラの爪がアルドの身体に届く寸前で止まり、紅く輝く瞳がその声の主を睨んだ。

「リラおばさん!」

 後ろを振り向くと、リラが足を引きずりながら歩いてくるのが見えた。

「おお、アルドか。変わり果てた姿だけど、あんたは確かにアルドなんだね」

「俺がわかるのか、おばさん」

「わかるとも。どんな姿になろうと、聞こえる心脈は一緒だからね」

 リラは力強い笑みを浮かべた。心脈という言葉はイリヤも使っていたが、それが何を意味するのかはアルドにはわからない。


「あんたが、ノウラさんだね」

 リラは兎耳族ラビッティイの同胞に声をかけるような様子で、目の前の怪物に呼びかけた。

 ノウラはリラを睨みつけたまま、その問いには答えようとしない。

「あんたが怒っているのはわかる。あたしらの祖先はあんたの想いを踏みつけにし、あまつさえあんたの存在さえ消し去ろうとしたんだからね。そりゃあ瘴鬼になって化けて出ようともするさ」

 リラは腕組みをしたまま、一人でしきりにうなづいている。

「でもね、あたしら兎耳族ラビッティイだってそう捨てたもんじゃあない。あたしらの中にだってあんたの記憶を受け継いでいる者はいる。あたしもその一人なんだけれどね」

 リラの言葉が続くうちに、ノウラの体から殺気が薄らいでいくようにアルドには感じられた。イリヤはアラムダル聖典を最後まで読んだ兎耳族は一人しかいないと言っていたが、それはリラのことなのだろうか。

「そこにいるラウルも同じさ。ラウルはあんたが何をしようとしたのか知りたくて、自分の命すら犠牲にしたんだ。そして彼はあんたの願いをアルドに託そうとした。そのアルドとあんたがここで争ってどうするんだい?」

「……兎よ、お前はわかっていない」

 地の底から響くような声が、周囲の草木を震わせた。どうやらノウラが初めて口を開いたようだ。


「お前達アラムダル派の力は脆弱で、結局ノルトハイムの公式見解を覆すには至らなかった。千年経っても我の存在を都市貴族に認めさせることすらできなかったのだ。そのお前達が我の存在を記憶していたところで、一体何になろう」

 アルドは心臓を押しつぶすようなノウラの声音に気圧されていたが、リラは涼しい顔でノウラの言い分を受け止めている。

「今度は違うさ。アルドは天人族として復活したんだ。アルドがその姿を見せれば、都市貴族の連中だってアラムダル派の主張を認めざるを得ないよ。あの子がアラムダル聖典の生き証人なんだからね」

「……ふむ」

 ノウラはリラの説得に感じ入ったのか、背の翼をたたんで黙り込んだ。

「だからどうか、このまま天界へ帰ってくれないかい。そうすればアルドは千年紀の災厄を除いた英雄として扱われる。英雄の言葉は力を持つ。あんたのことはアルドがきっと語り継いでくれる」

「俺からも約束しよう。貴方のことを皆が心に刻み込むまで、俺が千年前の聖戦の語り部となろう」

 アルドはノウラの鼻先に近づくと、力強く断言した。


「……悪くない申し出だ。だがアルドよ、お前が英雄になるのはまだ早い。英雄になりたければ、この我を倒してゆけ」

「なぜだ、ノウラ。我々がここで争う意味がどこにある」

「我が一族がお前達天人族を奸計にかけ、その力を失わせたからこそ聖戦は汚されてしまった。だが元の姿を取り戻したお前とならば対等な勝負ができよう。今こそ真のカムチャダール聖戦を行うときだ」

 突如、ノウラの全身から殺気が吹き出してきた。ノウラは右手を振り上げ、アルドの体に叩きつけようとしたが、アルドは宙に舞い上がりその一撃を躱す。


(そうか……ノウラは天人族と本気で戦いたかったのか)

 ノウラが最も許せなかったのは、対等な条件で天人族と戦う機会を奪われたことだったのかもしれない。誇り高いノウラは、長距離走で負けることより不公平な競争で勝つことの方を恥じたのだ。

 アルドが天高く舞い上がると、ノウラは地にめり込んだ拳を引き抜いて後を追ってきた。

 ノウラの鉤爪がアルドの背に迫る。

 アルドは来迎剣でその鉤爪を振り払うと、一旦空中で静止した。

 ノウラも少しアルドから距離を離し、二人は空中で睨み合う。

(さて、どうしたものか)

 アルドは自分の数倍は大きなノウラと対峙しながら、次に打つべき手を考えていた。

 体格において遥かにアルドに勝るノウラと剣で渡り合うことは厳しい。増してやノウラは小さな瘴鬼に分裂してアルドの剣を避けることができる。


(ならば、こうするか)

 アルドは一旦右手の中の来迎剣を消すと、心の中に槍の姿を思い描いた。

「――顕現せよ、神火槍」

 その言葉に応じて、アルドの手の中に先端に筒を搭載した槍が現れた。ノウラを斬ることができないのなら、神の炎でまとめて焼き払うしかない。

 アルドは筒先をノウラに向けると、心の中で火を熾した。

 筒先からは巨大な火球が迸り、ノウラを目掛けて飛んでいく。

 ノウラは再び無数の瘴鬼へと分裂したが、回避が間に合わず十数匹の瘴鬼は火球に巻き込まれて焼き尽くされた。

「お前の力はその程度か?千年前のお前達の力は、そんなものではなかったぞ」

 瘴鬼は再びノウラの形に凝り固まったが、ノウラは全身から黒煙を上げつつ不敵に笑っている。


「どうした、それで終わりか?」

 ノウラは挑発するように唇の端を釣り上げた。その言葉に答えることなく、アルドは再び神火槍から火球を放つ。

 今度はノウラが分裂する前に、火球を爆発させた。ノウラの左腕が爆発に巻き込まれたが、ノウラはすぐに焼かれた部分を分裂させ切り離した。

 ノウラの肘から先が炎に焼かれながら地上に落ちていくが、それでもまだノウラは涼しい顔をしている。

「まだ足りぬ。これでは対等な戦いとは言えぬな」

 そう言いながら、ノウラは再び左腕を生やした。その左腕はまた元通りに動いている。

(これでは、きりがない)

 瘴鬼は無限の再生能力を持っているようにアルドには思われた。このまま少しづつ傷を負わせていても、決定打とは成り得ないようだ。


(神気を大量に失うが、火焔陣を敷くしかあるまい)

 ノウラから距離を離すとアルドは神火槍を構え直し、大きく息を吸い込むと今度は巨大な火球を放った。燃えさかる火球はノウラに衝突する寸前で十数個に分裂し、ノウラの周囲を完全に包囲した。ノウラは紅い目で周囲を見渡すがどこにも逃げ場を見出すことができない。

「浄化の炎よ、我等が罪業を灼き尽くせ」

 アルドが言葉を発すると、ノウラの周囲の火球が連鎖爆発を起こし、天が崩れ落ちるかと思うほどの轟音が鳴り響いた。

 丘一つ包むほどの巨大な炎が天を焦がし、瘴鬼は全て燃やし尽くされたかにみえた。


(……終わった、のか?)

 ノウラの殺気はすでに感じられなくなっていた。しかし風で煙が吹き払われると、その中から現れた姿にアルドは我が目を疑った。

「見事だ、アルド。それでこそ天人族だ」

 アルドの眼前に現れたのは、背に翼を生やした真っ白な兎耳族ラビッティイの姿だった。均整の取れた四肢と神々しいまでに美しい毛並みは、これまでに見たどの兎耳族にも勝る威容を誇っている。

(――あれが、ノウラの本来の姿なのか)

 この世に恨みを抱きつつ逝った者の魂が魔物の姿を取ったのが瘴鬼だとイリヤは言っていた。天人族のアルドと対等に戦えたことでノウラの怨恨が消え、瘴鬼に包まれていた本来の魂が顔を出したのだろう。

「お前はよく戦った。もうそろそろ神気も尽きる頃だろう。だが我はお前を助ける気はない。戦士としての誇りを抱いて逝くが良い」

 そう告げると、ノウラはアルドを目掛けて天を駆けた。その姿は思わず見惚れるほどに美しい。本当なら千年前に、このように存分に地を駆けてみたかったのだろう。


 駆け寄ってくるノウラを避ける力は、もはやアルドには残されていなかった。

 ノウラはアルドの背後に廻り込むと、恐ろしい程の力でアルドの首を絞め上げた。

「最後にお前と戦えたこと、嬉しく思うぞ」

 ノウラはさらに両腕に力を込めた。このままアルドの首を折るつもりらしい。

(だが、このまま死ぬわけには行かない)

 地上ではまだラウルが生きている気配を感じる。

 どうにかして生還し、ラウルの命を繋ぎ止めなければならない。

(残された神気を使い果たさなければ、勝てない)

 アルドは己の右胸に意識を集中すると、そこに長剣が突き立つ様を心に思い描いた。

(――貫け、来迎剣)

 そう心の中で呟くと、アルドの右胸に激痛が走り、黄金色の剣がアルドの身体ごとノウラを刺し貫いた。

 アルドの背後で絶叫が聞こえ、首を絞めていた両の手がほどけていく。


「見事だ、アルド。まさか神臓の神気を刃に変えるとはな」

 ノウラは大量に吐血しながら、苦しげな息の隙間から言葉を継いだ。

「天人の姿など、所詮俺には似合わん。神の臓器などなくても生きていくことはできるさ」

「だが、本当にそれで良いのか。千年ぶりに元の姿に戻れたというのに」

「身に余る力は不幸を呼ぶ。この力を手にしてそれがはっきりとわかった」

 アルドは右胸の痛みをこらえながら話し続ける。

「俺達は一千年の間亀甲族タートリアンとして生き続け、その姿に適応してきた。今さら天人として生きていくことなど不可能だ」

「呪われた姿のまま、生きていくと決めたのか」

「初めは呪いだったかもしれん。だが地に足をつけて生きていくことの貴さも俺達は知った。それに……」

「それに?」

「俺にはまだ為すべきことが残っている。俺はあくまで亀甲族タートリアンの代表者として聖戦に参加したのだ。天人の姿で凱旋門をくぐろうとは思わん」

「……そうか」

 ノウラが静かに瞳を閉じると、眩い光がその身体を包んだ。

「ならば今すぐ、ノルトハイムを目指して駆けるが良い。地を駆けることこそがお前の誇りなのだろう」

 アルドはその言葉に黙ってうなづいた。

「さらばだ、亀よ。この後はお前の駆ける姿を天から見届けるとしよう」

 ノウラの身体を包む光が一層強くなり、その眩しさにアルドは目を覆った。光が薄らいだ後にアルドが目を開くと、そこには地平まで続く空が広がっているだけだった。


(アルド、急いで降りるのだ。神臓を失った今、いつまでその姿を保てるかわからぬぞ)

 心の中にイリヤの声が聞こえた。アルドはゆっくりと羽ばたきながら、遥か下の地表へと降下しようとする。

 しかし、イリヤの姿がようやく遠目に見えてきた頃、アルドの背中の翼が突然消えた。アルドは勢いよく落下し、地に思い切りその体を叩きつけられた。

「アルド、大丈夫かい!」

 落下した衝撃に呻き声を上げているアルドのそばにリラが駆け寄ってきた。

「ああ、この身体は随分と頑丈にできているようだ。まだ走るくらいなら出来そうだ」

「ちょっとあんた、まだ走るつもりなのかい?あんたはノウラを天に返してくれたんだから、もう十分すぎるほどよくやってくれた。あとはもうゆっくり休みなよ」

「そういうわけにはいかない。まだそいつを助けないといけないからな」

 アルドはそう言って、地に倒れ伏しているラウルを指差した。


「正気か、アルド。ラウルはお主に先に行けと言ったのだぞ。それがノウラの願いでもあったのではないのか」

 イリヤが焦りの滲む声でアルドに語りかけた。

「ノウラは俺と全力で戦い、そして天に召された。もう思い残すことなどないだろう。なら後は俺の願いを叶えるだけだ」

「でも、ラウルを連れて行ったら、あんたが亀甲族が勝ったことにはならないよ。千年に一度の機会をふいにする気なのかい?ラウルの事なら私らで何とかするよ」

「リラおばさん、俺は勝つためにカムチャダール聖戦に参加しているんじゃない。悔いのない戦いをしたいだけだ。それに今ならまだ俺が一番早くラウルをノルトハイムまで連れて行ける」

「……そうかい、なら行っといで。さあ、ぐずぐずしてる暇はないよ!」

 リラはアルドの手を取って助け起こした。アルドの身体は徐々に緑色に変色しつつある。もはやアルドに残された時間は少ない。

(今の内に、できるだけ駆けなければな)

 アルドはラウルを背負うと、ナバラの丘を下り、そのまま一直線にノルトハイムの凱旋門を目指して駆けて行った。


 ノウラと死力を尽くして戦った後、ラウルを背負って走るのは並大抵の負担ではなかった。それでも天人族の底知れぬ体力でアルドは駆け続けたが、凱旋門をくぐる頃には、既にアルドの四肢は鱗に覆われ、半ば亀甲族タートリアンの姿に戻ってしまっていた。

 遠くから晩課の鐘の音が聞こえてきた。アルドは四足走行の体勢に変えると、再び走り続けた。

(どんなに亀が急いでも、どうせ晩までかかるだろう、か)

 アルドは突き放したように己を哂った。やはり歩みは遅くとも、この姿が一番自分には馴染んでいる、とアルドは感じていた。

 走り続けるうちに、今度は甲羅がアルドの背中を覆った。これでさらに脚が遅くなる。しかし中央通りの脇を埋め尽くすノルトハイムの観衆は、皆がアルドに声援を贈っていた。

(この姿になってなお、俺を応援するというのか)

 アルドは走り続ける中、横目で兎耳族ラビッティイが自分の名を呼び続けているのを見ていた。

 兎耳族に応援されるのは、生まれて初めてかも知れない。

 先ほどアルドが上空でノウラと戦う姿を見ていたためか、今はもうアルドの鈍重な走りを嗤う者は誰もいなかった。


「アルド!アルド!」

 観衆の熱狂的な声援を背に、アルドは走り続けた。既に黄金色の頭髪も失われ、アルドの姿は完全に亀甲族に戻っている。それでも観衆はアルドの名を叫び続けた。

 その声に背中を押されるように、アルドはようやく、終着点の噴水の前に引かれた赤線を越えることができた。

 聖戦を終えると同時に、疲労の極に達したアルドは石畳の道路ヘと倒れこんだ。

(――これで、全て終わったのか)

 アルドは首筋にラウルの静かな息遣いを感じながら、ゆっくりと瞳を閉じた。遠のく意識の中で、割れんばかりの拍手と歓声が浴びせかけられるのをアルドは感じていた。

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