解決はなく、されど解消はされ
誰も追い付けないように、全速力で飛んでいると、冷たい雫が、ボクの頬に落ちてきた。
冷たい。
雪じゃないのが不思議なくらいだ。
寒さというのは体を縮めさせて、同時に心も無理矢理圧縮されている気分になる。
だからボクは体を止めて、抜いた刀を首筋に押し付けようとしているのだ。
このまま生きていてはいけない。
だから……なのに、なのに。
手は動かなかった。
薄皮を1枚2枚切るかどうかというところで、寒さに凍りつかされたように、止まっている。
ボクは最低の臆病者だ、そう、あの誰かがいなければ、最初の戦いで何も出来ずに死んでいた。
役立たずだ無能だ不要だ。
これだけ自己否定をしても、手は1ミリたりとも動かない。
諦めて、ボクは部屋に戻った。
***
部屋に戻ってきたボクは、ベッドで掛け布団を被り、蹲っていた。
ボク達に重度の精神障害が起きることはまずない。
人間ならばショックを受けるものでも、関を越える前にストッパーがかかる。
二重人格などがありえるはずがないのだ。
否、そもそもこれは二重人格なのか、ボク達はお互いを強く認識しているようである。
人格が入れ替わっている間の記憶が無いのは通常でもある症状だが、罹患者は他人に言われるまで気が付かなかったり、自身がいつの間にか知らないことをしていたり、知らない場所にいたりしない限りは自覚出来ないことが多々ある。
そして極めつけは、戦闘中話し掛けてくる、あの声だ。
完全にボクの意識の外にあるアレも、極めて異常である。
元々1つだった人格が2つになったのではなく、2つだった人格が1つになっている、というのがこの症状を的確に表しているだろう。
誰だ、一体誰なんだ、君は。
答えはない。戦っている時はあれだけ饒舌な彼が、今は全く喋らない。
苛立って、ボクは自分の足を殴った。
そんなことをしても、痛いだけ。
でも、肉体の痛みは心の痛みよりはっきりしていて、悩みから少しだけ目を逸らせた。
「野苺様……!良かった、ご無事で!」
そこで、慌てた様子の藍が、駆け足で部屋に入ってきた。
「大袈裟だな、ボクが何をすると思ってたのさ」
「随分思い詰めた顔をなさっておいででしたから、まさかご自身のお命を絶たれるのかと思って、藍は、藍は……!」
そこから先は言葉が出ないようだった。
しかし、鋭いな、殆ど当たっているじゃないか。
頭を掻いていると、藍が起き上がったボクの胸に文字通り飛び込んできた。
倒れないようになんとか耐える。
彼女の体は、震えていた。
途端、申し訳ない気持ちが、とめどなく溢れてくる。
「ごめん、自分のことばかりで、君を不安にさせてしまった」
「いいえ、いいえ。お気になさらないで下さい。でも、困ったことがあったら、藍にもご相談ください」
「うん、これからは、そうするよ」
藍の頭を撫でる。
いつだって柔らかで触り心地のいい髪の毛。
どんな高級な毛皮でも、これに勝るものはないだろう。
暫く藍の暖かな体を抱いて、落ち着きを取り戻す。
一先ず皆にも謝らないと。
通信の設定をいじって、全員にコールする。
人数が少ないからなんだろうけど、セキュリティ甘いな、迷惑行為し放題じゃないか、これ。
「よぉ!野苺か!大丈夫だったか!」
「うわっ、だ、大丈夫だから、叫ばなくていいよ!」
相変わらず夕顔には会話のペースを握られそうになる。
「今日は悪かったよ、盛り上がってたのに、興が冷めるようなことしちゃって」
「気にすんな、誰もお前に怒っちゃいねぇよ!そうだそうだ、もう第2回大会の予定も立ててんだ、今度はコンビ戦にしようぜ!」
「ま、待って待って、夕顔以外の皆、聞こえてる!?」
もしや設定をミスしたのかと疑いたくなった。
だがやはり夕顔が喋りすぎていただけらしく、その内に口々に気にしなくていいという旨が知らされた。
うん、ていうか第2回大会の方に皆気が向いてる、クールっぽい人もいたと思うんだけど、何このテンション。
「ま、そういうわけだ、俺達は設営で忙しいから、お前らも後で来いよ!」
わかった……ってもう設営してるの!?いつやるつもりなんだ!?
そう聞こうとしたのに、その時には指揮官権限で通信が強制的にシャットアウトされた。
「なんていうか、凄いところだね、ここ」
「はい、藍の想像を絶しています。驚きの感情が顕著になりつつあります」
感情が生まれるほどなのか。
今になってこのおおらかな性格に感謝出来た、普通に生きてたら、皆のキャラの濃さに病みそうだ。
さて、それではボク達も手伝いに行こうと立ち上がったその時、
連日となる出撃命令が、視界に表示された。
どうやら名誉挽回のチャンスが早くも廻ってきたらしい。
と、警報に紛れて聞こえなかったけど、通信が1つ、相手は、茜だった。
「どうしたの、こんな時に」
「ああ、こんな時だから、手短に済ますぞ、どんな形であったにせよ、貴様は勝者だ。余に勝ったのならば誇れ、胸を張れ、己は勇者なのだと信じるがよい」
それだけ言って、彼は通信を切った。
ボクは雨の降る空を見上げ、今度こそは自分の力で戦場を生き抜くと決意を固めた。