5 尚、女子高生
翌朝、尚はいつものようにのそのそと起き上がり、、あるノートを手にする。そのノートは4冊にも及んでいる。そのノートには1ページずつぎっしりと箇条書きで何か書いてある。
尚はぱらぱらと全てのノートに目を通し、洗面所で顔を洗い着替えをすまし、朝食をとる。
「尚、また髪ぼさぼさよ。しっかりといでおきなさいね。」
「うん、わかった。」
尚の髪は寝癖がついていた。基本的に尚は見た目に一切頓着がない。それは幼いころからずっとである。
なので、尚の部屋には化粧道具はおろか鏡すらない。
しかし、見た目を気にしないからとそれを突き通すのは難しかった。
小学生の頃は何も気にしなかった。髪に寝癖がついてようがお構いなしであった。中学生になり周りの女子が色付き出したころから、尚は考えを改めなければならなかった。
女子は学校生活において友達付き合いが最も大切なのである。彼女達がする話はイケメン俳優、ドラマ、クラスの中で好みの男子、そして化粧やファッションの話である。
尚はこれらの話に一切ついていけなかった。尚が気付かなかっただけで、みな小学校高学年になるころにはその兆候があったのである。思春期特有の男女の心の機微についていけなかったのだ。
しかし、悪い話ばかりではなかった。人間関係が一新したのだ。小学生の時より尚は思ったことがすぐに口から出てしまうことが災いして、常に孤立していた。時にはいじめとも言えるような仕打ちを受けたこともある。
口はわざあいの元。それを体現するかのようであった。なにか言えば人を怒らせ、傷つけた。
尚は理解したのだ。たとえ真実でも、自分の考えが正しいと思った時でも口に出してはいけないことがあるということを。
それから尚は日々相手の顔色を窺い、何が言ってよくて、何がダメなのかを分析し始めた。相手を怒らせたときは、たとえその理由が分からずともノートに記し、毎朝それを確認するようになった。
おかげで、クラスで常に孤立していたがいじめられるような事はなくなった。
そんな人間関係を刷新できたのは、尚が中学1年生のとき転校することになったからだ。もともと横浜に住んでいた尚だが、父親が亡くなったとき母が元の勤め先で再雇用してもらえることになり、東京都世田谷区に引っ越した。
それは尚にとって大きな転機であった。みんなの様子を観察し、自身の作ったノート「言っちゃいけないノート」と名付けたそれを確認することで、人間関係において劇的な失敗をすることはなくなった。
また横浜の中学校は共学でファッションや、好きな男子などの話についていけなかったのだが、女子校である三女に転向し、以前の学校よりもそういう話題が少ないことにきづいた。女子校特有の男子とのかかわりで自分の見た目を気にする機会が減るからである。
これには尚も大助かりだった。また三女は中高一貫のそこそこの進学校であるため、尚の好きな生物や勉強の話が話題に上がることも多く、尚は以前ほど孤立することがなくなった。
それどころか友達もできたのだ。恵里というその子は、顔は華があるような子ではなかったがどこか愛嬌のある子だった。それでいて人懐っこい尚とは正反対のような子だった。
女子校である三女であってももちろんファッションの話で女子たちは盛り上がる。またいじめも存在した。しかし尚が、あまりいじめられなかったのはひとえに尚が美少女であったからである。
見た目はスクールカーストに直結する。しかも男子がいない女子校において、強く嫉妬の対象になりえることもなかった。
尚は友人の恵里からファッションの話や、今流行しているものの話などを聞き、少しづつ女子学生としての必須知識を身に着けだしたのだ。