4姉妹
「葵ちゃん、なにしてるの?」
藤堂の声にはっとした。
沖田のことを考えてぼうっとしていた。
「あ、石鹸作れないかなって……」
葵の前には油と灰汁を混ぜたものがあった。
「"しゃぼん"のこと?」
「ええ、でも駄目ですね。全然上手くいかないんです」
昔イベントで作った石鹸の記憶を頼りにしているのだが、この配合がなかなか難しい。
配合を誤ると刺激が強すぎて、ハイターを触ったときみたいに肌がぬめぬめする。
「しゃぼんってかなり値が張るもんね。こっちは?」
「これは煮沸消毒してるんです。熱いお湯で煮ると菌が死んで――いえ、悪い気を払って清潔にできるんです」
他にも風呂や手洗いうがいを隊士たちには徹底している。
こうして習慣にしておけば、葵の記憶が彼らから消えた後も、無意識で継続できるという。
近藤と土方が入ってきた。医務室にしたこの部屋をぐるりと見回し、近藤が声をかける。
「調子はどうかな」
土方が口出しした。
「効果は出ていますよ。葵が言った通りにしてから怪我の治りが早く、傷が膿むことが減った。
食事と風呂も改善してますし――」
なんだかやたら大げさで説明的で、葵の功績を必死に近藤にアピールしているように聞こえる。
当の近藤は、頷いて笑顔を見せた。
「遅くなったが、大阪城襲撃を防いだ活躍も結構だったな。おかげで向こうでも名が上がった。なにか褒美をと思うんだが……」
「私は大した働きはしておりませんが、可能ならしゃぼんが欲しいです」
「ほう、あの船来品の?」
「はい、米ぬかでも良いのですが、しゃぼんがあれば、傷を優しく清潔に洗えます。怪我人を中心に使いたいのです」
「葵さんの働きには感謝している。通常の隊務に加えて手当も任せきりにしているからな。
遠慮はいらないよ。絹の反物や紅などはどうだい?」
葵は間を置いた。
ちらりと土方を見ると、目で「いいから何でも言え」と促される。
「……蘭引というものをご存知ですか?」
ランビキは酒を蒸留して、濃度の高いアルコールが作れる道具で、とても高価だ。
消毒液という概念が薄いだろうから、近藤には簡単に、手当に役立つと説明した。
近藤は、葵が医療道具しか頼まないことに残念そうな顔をしたが、伝を当たると約束してくれた。
「……ところで葵さん、改元はいつごろなのかな?」
「申し訳ありません、はっきりした日付までは。今年の早いうちだと記憶しています」
と言ってももう二月だ。
「そうか、元号が変わるなら帳面を書き換えたりしないといけないからね」
近藤は疑っているわけではないよ、と肩を叩いてくれた。
だけどその横で、土方が案じ顔をしている。
しかし悩んでもこれ以上差し出せるものがない。頭を下げて彼らが去るのを待った。
しばらくすると別の声が、
「葵、今話せる?」
沖田だった。
「すみません、手が離せなくて」
最終的に昨日残った事実は「抱いてほしいと言って断られた」ということ。
とてもじゃないが顔を合わせられない。今じゃなくてもいいさらしをひたすら畳み続ける。
「そう……悪いけど今日も遅いから、先に寝ていてね」
沖田は何度も葵を振り返りながらいなくなった。
「どうしたの? 沖田と喧嘩?」
「違いますよ」
眉の下がった頼りない笑みを見て、藤堂は拳を握る。
「葵ちゃんさ、沖田に遠慮することないよ。二人はちゃんと……好き合ってるんだし」
"好き合っている"
ついこの間までそう思って、満たされていたのに、今は、彼は自分のどこを好きになったのかなんて考えてしまう。
「自分の良いところ、まずは一つでも考えてみて? 何かあれば聞くからさ」
葵は頷いた。
人の良いところなら見えるのにな、と思いながら。
その日の昼。
葵は助っ人の巡察で、女の子が絡まれているのに割り入った。
「……小春ちゃん?」
お雪の妹だ。
「あんだ、おめえ! この娘っ子には貸しがあんだ」
「新選組です。乱暴な取り立ては治安悪化を招きます。落ち着かれてください」
男はけっ、と近くの木箱を蹴飛ばした。覚えてろよ、とよく聞く捨て台詞を吐いていなくなった。
「小春ちゃん、大丈夫?」
「あおいさん……」
小春は蒼白に震えている。
葵はその日の組長に一声かけ、彼女を送っていくことにした。
夕暮れの路地を入り、あの長屋が見えた。
ずらりと戸が並んでいる。
一番奥の木戸を開くと、すぐ上がり框になっていて、葵はつんのめった。
「いてて……」
荒れた畳に手をついて顔を上げると、中は四畳半だった。
お隣の話し声が丸聞こえで、冬の隙間風がぴゅーと音を立て滑り込み、暗い部屋は冷え冷えしている。
「……お雪さんは?」
「お姉は、お仕事……多分」
「いつ帰るかな?」
「わからない。今日は夕餉は一緒にって言ってたんだけど……」
部屋の真ん中にぽつんと置かれたちゃぶ台には、焦げ付いた鍋がでんと置かれていた。
「助けていただきありがとうございました」
小春は、線引きするようにぺこりと頭を下げる。
年以上にしっかりした姿に、目の奥が熱くなった。
「嫌でなければ、ここでお雪さんを待ってもいいかな?」
小春はぱっと目を輝かせたが、すぐうーんと唸った。
「お姉、怒らないかな?」
「大丈夫。あやとりしようか」
適当な麻紐を結いて、二人であやとりをした。
カエル、ほうき、四本橋――
紐が形を変えるたびに、お雪という得体のしれない女性のことが、目の前の"小春のお姉さん"として輪郭を持つ。
「絡まっちゃったあ〜」
「ふふ、貸して」
くちゃっと結かれた紐を指で解す。
複雑に絡んでいたように見えたのに、あやとりは案外するするほどけていった。
「お姉遅いね……」
さすがに心配になってきた。
戸を開けると、暗くなった路地はしんみりしている。
突然、怒声が聞こえた。
「てめえ! いつまで待たせんだ!」




