2新年会②
(総ちゃん……? 誰?)
息を飲んで見守るが、娘は離れる様子もなくぽろぽろと滴を溢している。
「総ちゃんやな? うちや、うち」
「もしかして……なんでここに……」
「うちな、江戸から大阪行って、今はここに置いてもろてん。まさか総ちゃんに逢えるん思ってなかった……夢みたい」
女は名をお雪と言った。
沖田に引き剥がされたお雪は、はっ、と口を押さえた。
「堪忍な、懐かしくて。でも、また逢いたい……」
「ごめん、今大切な人がいるから悲しませたくないんだ」
お雪は声を詰まらせる。
「総ちゃん、うちな……相談したいことがあるんよ。お父さんも亡くなって今妹と二人暮らしで……せやから」
沖田の瞳が揺れたのが、はっきり葵にわかった。
明らかに親密そうな二人を前にして動揺したが、訳ありっぽいお雪の様子も気になった。
「沖田さん、お困りのようですから……」
彼は葵の肩を抱き寄せると、畳みへ座らせお雪を見据えた。
「さっき言った大切な人はこの人なんだ。彼も新選組隊士だ。困っているなら一緒に話を聞かせてもらう」
お雪はこくんと頷いた。
別の座敷へ通された。
部屋には三人。
無駄に広くて落ち着かず、座布団の上に腰を下ろした葵はちらちらお雪を見た。
葵と同い年くらいに見える。
小さくまとまったリスを思わせる可愛らしい顔付きに、つんととがったさくらんぼのような唇が印象的だ。
下座へ正座したお雪は、葵を一瞥すると声をひそめた。
「脅されてんねん」
物騒な物言いに沖田が眉をひそめる。
「一体誰に……?」
「浪士崩れや……うち、借金があって。妹はまだ小さいやろ? だから毎日心配で……」
お雪は鼻をすすり、ときどき袖で目尻を拭いながら話した。
沖田の身体がだんだん前のめりになっていく。それに連れ、彼がお雪に同情していくようだった。
「借金の理由は? どれくらいの額なの?」
お雪が一瞬、言い淀んだ。
ちらりと沖田を見て、葵を見た。
そして、誰とも視線を合わせることなく、
「おとんが……酒でこさえた借金なんよ」
とだけ伝えて畳と睨み合ってしまった。
その後とつとつと話を引き出すと、
借金を返せないなら姉妹ともども遊郭で働けと脅されているそうだ。
葵が口を挟む。
「脅されているなら役所にも……」
お雪はわっ、と畳みへひれ伏した。
「いやや、悪い筋から借りてるんよ……役所へ相談なんてしたって意味ない!」
沖田は腕を組み思案していたが、
ちょうどお雪の家が新選組の管轄だったため、「注意して見ておく」とだけ伝えていた。
お雪を部屋から出し二人になると、葵は沖田へ尋ねる。
「遊郭へ売り飛ばすなんて、人身売買じゃないですか……どうにかならないんですか?」
江戸時代は基本的には「借りたものは返す」のが原則であり、現代ほど債務者保護の仕組みは整っていないという。
「つまり何もできないってことですか」
「ああ……新選組の名を出して手を引かせる方法もあるが、私的な事情で動くのは、厳密には隊の規則に違反する。それに……」
「それに?」
「いや、具体的な話が何も出ないのが気になるな」
葵は立ち上がった。
「……夜道が心配なのでお雪さんを送ってきます」
結局沖田も一緒にお雪を送った。
彼女の家は古い長屋で、十歳に満たない妹の小春と二人暮らしだった。
「総ちゃん、うち本当に怖かったから送ってくれて助かったわ」
「いや、心配だから送ろうと言い出したのは葵だから。感謝なら彼に」
たしなめられ、お雪は暗闇に目を凝らし「おおきに」と葵へ頭を下げた。
帰り道に沖田は、一応話しておくね、と前置きしてお雪との関係を教えてくれた。
江戸にいたときの近所の子で、父親の酒癖が悪く、何回か助けている内に仲良くなったという。
「でも、それだけだよ」
(少なくともお雪さんの方は"それだけ"なんて見えなかったけどな……)
だけど沖田は葵のことを、男としてとはいえ、大切な人だとお雪に紹介してくれた。
――なのに
涙ながらに沖田の胸へ頬ずりしていたお雪が、まぶたにこびりついている。
葵はかぶりを振る。
お雪は知り合いもないこの土地で妹を養い暮らしている。
それも借金をカタに脅されているんだから、頼れる昔の知り合いに会って、ああなっても無理はない――
そんなことは承知していた。
なのに、承知の上でこんな感情を抱く自分は人でなしではないか。
「とにかく、葵が不安になるようなことはしないから」
闇夜に光る沖田の刀が普段より下がっている。肩に力が入っているのだろう。
(総司さん、本当はお雪さんの力になりたいんだ)
「あまりに暴力的な取り立てをしているなら問題ですし、見廻りを増やしましょう」
そうだね、と頷く沖田に気づかれないように白い息を吐く。
屯所に着いて、葵はぴたりと立ち止まった。
「沖田さんこれから巡察ですよね? 私気にしないので、お雪さんの様子をちゃんと見に行ってください。先に寝てます」
早口で一息に言い終え、急いで中に入った。
(いい子のふりしちゃって……)
真っ黒な墨が、胸に一滴落ちた。




